チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

戦争体験 2

2021年08月17日 08時26分36秒 | 日記
夏の初め我が家の玄関に爆弾が落ちた。防空壕に入っていたのは両親と私それに憲兵さん。爆音と爆風の強さで生きた心地がしなかった。警戒警報解除のサイレンと共に防空壕から出ようとしたが、戸口が全くあかない。体格のいい憲兵さんが中から必死に開けようとするがびくともしない

防空壕の中は4畳半くらいの広さで、電気を引いてあり、ランプもある。水や乾パン、缶詰、お茶の道具もそろえているので餓死することはないが、窒息死するかもしれないという恐怖が大人たちにはあったようだ。

こういう騒ぎの中私は母の膝で眠っていたらしい。後で父に聞いたら「これも運命、戦地で戦っている人に比べたら静かに死ねる、其れだけでもありがたい」と思って静かに目をつむって祈っていたという

軍需工場から引き揚げてきた姉や兄が防空壕の扉が開いていないのを見て、近くにいた男たちに手伝ってもらい扉を開けてくれた。助けられ外に出てみた景色は、だだっ広い土地と土埃、家は、家は吹き飛ばされ跡形もなく、防空壕の周りに瓦や柱土塀などが固まって載っていたのだ

防空壕を出るとすぐ私は母の手によって目隠しをされた。そして常に母が私の手を握っていて、また時にはおんぶして歩く。どこに向かっているのかわからないが、家族は一緒に走っていた。ときどき憲兵さんが私をおぶる。しかし母の声が耳元でするので私は安心してその背中で眠っていた

途中どこで調達したのか兄がリヤカーを持ってきて私をその荷台に載せたが目隠しはそのまま。憲兵さんも自分の家に帰るということで「比佐子ちゃんまたね」と耳元でさよならを言ってくれた。私は黙って手をひらひらさせていたのだそうだ

何時間か歩いて止まった。目隠しが外されあたりを見ると稲田、遠くに山が見えカエルが鳴いていた。とりあえず父の実家に身を寄せるという。家が吹っ飛んでないのだからまずは家族が身を寄せる場所が必要だ

あぜ道に座り家族六人リュックから出した食べ物を広げて黙々と口に運ぶ

何故母に目隠しをされたかは中学生になったとき姉が教えてくれた
急な爆撃だったので防空壕に入れぬ人たちが爆風に飛ばされ木の枝にぶら下がっていたり、道路には亡くなった人たちが転がっていたのだそうだ。その屍をよけながら歩いていたのだという。姉たちが見たものは地獄絵だったのだ

家族が同じ思いで末っ子の私には地獄は見せまいとした深い愛に今も感謝している


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