チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

マスクしてください

2020年08月26日 08時48分13秒 | 日記

ある公的な場所で

「おはようございます」

「マスクをしてください」

挨拶が此れかよ、と思いながら手持ちの絹のマスクをする

 

あるデパートで

「マスクをしてください」

「アッ」

「お持ちでなかったらこちら500円です」

「ありますので」売るんだと思いながら中が絹の絽表が麻のマスクを取り出す

 

とある博物館で

「マスク使用でない方は入れません。お帰りください」

ここまで言うかなと中絽表麻のマスクをする

戦争中普通の主婦が街角に鋏を持って立ち、袖の長い着物を着ている女性を引き留め、有無を言わせずチョキチョキとお袖を切ったそうな、次姉がお茶のお稽古に行く時小振り袖を着ていたら切られたといっていた。本当にそんなおばさんがいるのかと子供心に感じていたが、正しく今「マスクお姉さん」がその当時の「愛国婦人会」モードになっている

 

言う方はつらいだろうなと思っていたが、全くそういう気配はなく「権限」を駆使しているだけだから「いいこと」しているという自信が見える

人間っておかれた立場によって「人」が変わっていく

かすかに覚えているが、戦時中普段はやさしいおじさんだった人が、町内会の軍事訓練でバケツリレーにハッスルして、ちょっと渡すのが遅かったりしたら「何―してるー」と怒鳴ってこずいていた姿にびっくりして泣きながら家に帰り、父に告げ口(母はバケツリレーに参加)

「こういう世の中になると人が変わるんだよ、でも世の中が落ち着いたらまた元の優しい人に戻るよ、もう見に行くのはおよし」

 

父は公的に戦争反対を公言していたので、刑務所には入れられなかったが、うちには毎朝憲兵さんが出勤して見張っていた。父が行くとこすべて憲兵さんがついていく。母は庶民的に温かい人だったので、憲兵さんにお昼ご飯を出したり、おやつをいっしょにしたりと、家族の一員として待遇していた。だから憲兵さんは我が家にいるときは優しく明るく私の遊び友達だったが、一歩父と外に出ると顔つきも態度も変わり、父を見張る姿勢が厳しかったようだ。

「任務というのはそういうことだよ」といっていた

 

マスクお姉さんも「任務」を履行している、協力を使しよう

しかし

チャ子ちゃん先生は医者や科学者そして厚生労働省の解説や勧告を十分吟味しマスクはしない、消毒液も肌に優しい、無害のものを持参している。手洗いうがいは昔から習慣

 

世の中が激変する今、情報を分析し自分自身は自分が守らなければと思う


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