12月9日は岡谷市で「日本絹文化フオーラム」の基調講演を仰せつかった
「きものという農業」が演題で、そのあと若手養蚕農家の三社とのトークショーの司会もすることに
ところが予定していたお一人が急遽インフルエンザのために欠席、二人の養蚕農家とのトークショーになった
お一人は150年続いた養蚕農家の後継者の「アシザワ養蚕」の芦澤洋平【36歳)さん、もうお一人は養蚕をゼロから始めた「トヨ衣の里プロジェクト代表」の大林優子さん【43歳)
チャ子ちゃん先生は産地取材から、個人取材を続けていくうち、きものは美しい、きものの着方は、きものの種類は、きもののコーデイネートはーーというきものの表面の問題から気持ちが離れてしまい、きものの本当の生まれ育った場所に根を下ろしてみた
そうしたらきものの素材つくり、きものの地色つくり、着物の柄の誕生などすべてが「農業」つまり「大地」に行きついたのだ
大地を愛する私たちの先人たちが、最も美しい着物という衣類を表現の場にしたのだとわかった。その担い手が蚕の吐く糸であり、苧麻や大麻の繊維であり、木綿や樹皮や蔓の繊維である
それは自然からいただくもので、自然に感謝しながらモノづくりを進めたのは私たちの先人たちが遺してくれた智慧の塊
ただただ自然にいただいたものを、大切に無理なく別の形に生き返らせるということから、それがだんだんビジネスというどうしたら儲かるかという経済原理にはまってきたとき、本来のきものは死んで、蚕やその他の植物の存在も消され、大量生産のできる「石油繊維」のものがもてはやされ、大量で機械化されれば物は安くなり、着捨てでいつもあたらしいものに飛びつく「流行」も華やかになり、人は次から次へとものを増やしていった。「断捨離」という言葉行為がつい最近まで流行っていた
そういう中で「消えゆくモノづくり」に警鐘を鳴らし始めた人たちが、本来の日本のモノづくりの基本を学び始めた
今回のトークショーでは、一人で養蚕をはじめ、自分で糸を取ってその土地の織りの技術を絶やさないように生き始めた方もいらした。また自分もこれから養蚕をやろうと思っている、また農業を始めた。という30代の方々も観衆で会場に座っていて、熱い質問で会場は熱気に満ちた
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