チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

天長節

2018年12月23日 16時51分28秒 | 日記
戦争が終わった日は9歳だった
何が起きたかわからなかったが疎開先の父の実家の庭で天皇陛下の玉音放送を従兄弟たちとおとなしく聞いた
ラジオから流れる声は雑音が多く何を話しているのか子供にはさっぱりわからなかった
照りつける太陽に辟易して蔵の中に入ってしまった
蔵の中は涼しかったし静かだった

蔵の二階に上がって積み重ねられた布団の上に寝転び寝入ってしまった
「ひさこーひさちゃん」と呼ぶ声に階段を降り庭に立つと
大人たちの顔がはちきれそうな笑顔になっていた
というよりいつもかぶっている防空頭巾を脱いでいるのでみんなの顔がくっきり見えたのだ

「戦争が終わったもう空襲はない敵機は来ない」おばが独り言みたいに繰り返していた
母はホッとした感じと気が抜けた態度で私の手を握りあるき出した

家を焼け出された私達家族は母の実家が所有している山の中の柿山で暮らしていた
山小屋に家族6人が体を寄せ合って過ごしていた
空襲が激しく姉や兄はそれでも学校に行っていたようだ昼間はいなかったから

元の家は全焼大人たちはどうこれから生活を立て直すのか大変だったと思う

元の家は終戦の一ヶ月前に玄関に爆弾が落ち家が吹っ飛んだ
庭の防空壕には両親と私が避難していたが爆風で扉が開かず
窒息寸前のところ学生訓練に駆り出されていた兄や姉書生たちが生き残って家の状態を見に帰り
防空壕の扉をみんなで引き剥がせてくれた

防空壕から外に出たらなにもない
空を見上げたら大きな木の枝に人がぶら下がっていた
「あれ」と声を出したら母が慌てて手ぬぐいで私の目を塞いだ
目隠しをされたまま母の背にぶされ途中兄や姉の背に変わりながら走り敵機襲来と聞くと近くの防空壕に入れてもらって
夜明けに父の実家にたどり着いた

天皇陛下が戦争のことをしっかりと正確に次の世代に伝えていかなければ
とおっしゃる言葉に記憶をたどって書いてみた

#戦争 #空襲 #玉音放送 #疎開 #天皇陛下 #チャコちゃん先生 #蔵
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