ごく当たり前で誰もが口にする言葉「ありがとう」
この「ありがとう」を自分の歳の1万倍いうことで運が開けてくるとか、毎日100回は唱えようとか言うことが大流行した時代がある
またそれを実行して大いに繁栄した方もいらっしゃる
しかしーーだ
このありがとうという言葉は戦前の修身という教科書に必ず載っていた言葉だ
だから誰もが「ありがとう」と言っていた「ありがとう」と「ごめんなさい」はセットでもあった
この教科書が墨でつぶされたり、禁書になったり、焚書になったのは、日本人から「ありがとう」の気持ちを滅する必要があったのであろうか
最近焚書になった本の復刊がはじまり、チャ子ちゃん先生も少しずつ手に入れて読んでいるが、その焚書の意味が解らないと思うほど「日常のこと」「あたりまえのこと」が禁じられている
その中でこの「ありがとう」の言葉が禁止されるのは、日本人のごく当たり前の心構えをなきものにしようと思ったのだとわかる
「ありがとう」を言えば運気が上がる、願望が叶うと、まるで犬にお手をすれば餌をあげるといった形で「ありがとう」を復活させているが、日本人そのものが、対価がないとやらないという民族に教育しなおされたのだろか
復刊された修身の教科書を読んでいると、男の役目、女の役目それぞれに違いがあるけど、人間性において平等であるとははっきりりかかれていて、そう教育されていた。だから家庭が整っていたのだろう。そこにお互いの信頼が生まれる教育だったのだ。それがいけないと禁書にされている。なぜ?
たいしたことないと思っていることが、他の国では大変重みのある事でもあるらしい。ということは当たり前に感謝し、愛を持つという日本の教育は、世界で最も文化的だったということだろう
そうすると自分の命はもちろん、人の命も大事にする、その延長戦で衣食住にかかわるすべての命を大事にする、そういう志向が許されないということだ。常に争いをけしかける民族からしてみれば、平和主義の日本人はこの地球に生きていてほしくないのであろう
その罠にまんまとはまってはいけない。
というわけでいま「比佐子塾」を開いている。明日が今年最後の講義
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