秋桜の花弁が8枚
きもののパーツも8枚
この二つが重なったとき会社名を「秋櫻舎」とした
その命名者は今は亡き本多光夫さん
編集の神様といわれ家庭画報の初期の編集長で、きものサロンの創設者、更にレジデント社の社長に就任、プレジデントの創刊
女性誌、ビジネス誌、料理などなんでもござれの編集感性は今もそれぞれの場で脈々とつながれている
家庭画報で着物の取材を始めた時、最初が奄美大島の大島紬、そして岡山の作州絣、更に八丈島の黄八丈、白生地の丹後と一緒に取材に回った
きものの着方も大事だけど、その着物を作っている人たちのことをもっと理解する必要がある、という教えでああった
本田さんの直属の部下として鍛えられた
きものの現場取材がいまだに続いているのは、この教えのおかげと思う
そういう時秋に出かけることが多く、いつも秋桜に迎えられていた
その頃の秋桜はひなびた場所に楚々と咲いている風情が多く、群生で秋桜が咲いている風景にはあまり出会わなかった
野に咲く秋桜を手でちぎっては滞在する宿のコップにさして楽しんでいた
そんな私の姿を見ていたのであろう、会社を作るというとき
「会社名を秋桜にしたらいいね、秋櫻舎というのはどうだろう」
いつの間にか秋桜のことをいろいろ知らべてくださっていた
秋桜はcosmosというと宇宙を意味する
秋桜はKosmosとKで始まるとギリシャ語の「美の伝達者」
花びらの8枚は八方を意味しててすべての方角を指す
「それからきもののパーツは8枚です!」
「そうか決まったね!会社の社を使わず、ずっときもののことを学び続けるという意味で舎にしたらいいね」
「きゃーきまり!!!」
そしてなんと秋櫻舎は40期を迎えた
今日もコスモスの花を活けて「チャコちゅぶ」
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