ここんところ「失敗」の連続
毎日失敗している
どんな小さな失敗からも学びがある
きっとそれを感じなさいと言われているのだろう
この毎日の失敗がいつ終わるのだろう?何が原因なのか、それを紐解いてもわからない
相手の気付きをチャ子ちゃん先生の失敗で見せているという場合もあるようだ
これはなかなか複雑でもある
自分の失敗だと思うから、その原因を探す。失敗には必ず原因がある
しかし原因がなかなか
そういう時は相手の気付きに手助けしているということが分かり、見えない方はいろんな方法を思いつくものだと感心する。人間の思惑などと次元の違うことを下してくる
キリスト信者を弾圧いたいたいたサウロが、どんなにひどい目にあっても笑顔を絶やさず、相手を憎まず、恐怖に恐れおののかない教徒をみて、少しずつ考えが変わり、ついに神の光に包まれ、キリストの使徒となり「パウロ」と名前も変え、異国の人たちにも神の教えを告げていく、この話がなんだか分かる年齢になったよう
サウロは、自分が鞭うっている相手こそが正しい道を行っている人たちだ、自分が行っていることはいったい?という疑問を持ち、失敗の人生を歩いているのではないかと思い始めてしまう。
昔の人が「失敗は成功への道」という言葉を残しているが、小さな失敗も何かと意味を持っているということ、「失敗をした」とわかることこそ素晴らしいことではないかしらん。なんて自我自賛、なんだか失敗を正当化しているような文章になってしまった
でもぼつぼつ失敗から足を洗わせてくださいな
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