わかっているようでわからないのが自分自身
またやっちゃった!と思いながら失敗を重ね自分自身を振り返りながら検証もするが
それでもわからなかった自分自身が出てくる
記憶がある限り年齢をさかのぼって自分が何に興味を持ちどういう毎日を送っていたかを書き出してみたことがある
しかしあまりにも古過ぎて飽きてしまって途中でやめてしまった
そういうことも自分自身なのだなと受け入れそのままにしてある
ある人にこの話をしたら一週間かかって自分史をかきあげたらしい
そうしたら本当の自分がわかったと大喜びしていた
私は途中でやめているので「これも私」「あれも私」という具合に毎日違う自分と出会うことになっている
ある時古くから私を知っている人に出会ったら
「自分がやりたいことはもう馬の耳に念仏だからな、あなたは」
と言われて昔から前つんのめりにやりたいと思ったことをやってしまっていたのかといささか驚いている。
しかし自分では臆病で人見知りでなかなか人と馴染めないと思っている
それを友人に言ったら笑い飛ばされてしまった
ここのところ自分の行動を省みることが多く、やっと自分自身を理解はじめたように思う。年齢的にはあまりにも遅いけど、人はいつでもやり直せると信じている自分もいる
今はこの年の暮れに出る本の執筆を優先しなければあいけないけど、途中でやめてしまった自分を振り返るノートを埋めてみようと思っている。そうするともっと自分自身が見えてくるかもしれない
こういう時そのノートをどれにしようかな新しく過去いいのを購入しようかなと形から入ろうとする自分がいる。そういう自分自身も理解してあげよう
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