いま12月末に発売される「大嘗祭二つの布」について原稿執筆をしている
そして気がついたことがある
よくよく古事記を読むと大麻と養蚕が古代から日本の日常の中に根付いているということ。機織りもしかり
しかし一般的には中国から「秦氏」が機織りの技術を奈良時代に持ってきて広めたという記述が多いしチャコちゃん先生もそう信じていた
確かに近代的な機織り技術は秦氏がもたらしたのかもしれない。縄文時代の研究家によると機織りの技術は縄文時代から日本にあったという。それが証拠にいろんな遺跡から機織りに使う用具が発掘されている。これは事実なので尊い現実だ。
先日
「日本人はパクリの天才だ!何でもかんでも外国の文化を持ってきて自分流にしてしまっている、着物だってそうでしょう?あの形はモンゴルのものだ」と言われてカチンときたチャコちゃん先生、そんなことはないのよとムキになって、古事記にある文章を語って聞かせ、またいろんな時代の日本人ならではの技術を話し、なんと言っても正倉院御物の殆どが日本国の技術であったと最近科学的にも証明された!
と頑張った
話し終わった後力が抜けて水をがぶ飲みして二人で爆笑してしまった
ふーー
ここまでムキになっているのは実は着物のことを勉強するまでわたしも日本人は他所の国の文化を真似するだけで、独自性がないとする、左翼系の評論家の言語に影響されていた。日本は文化的に劣っていると叩き込まれた青春だった
そのため着物なんて絶対に認めない、映画も芝居も本も全て洋ものもちろんフアッションはフランス、生活様式はアメリカ、しかし体は日本人。この矛盾に気がついたのはある言葉、「日本人はバナナだ」とアメリカ人の友人。「?」と私。「表は黄いろなのに中身を白にしようとしている」〔後にセブ島で食べたバナナは中身も表も黄いろであった、おいしかった。つまり成熟していない日本人という意味もあったようだ)
日本人はバナナだと言う言葉は私を日本人として目覚めさせたと思う。自然の流れの中で着物に出会い深く勉強するようになって着物が本当の日本を私に教えてくれている。まだまだその教えの深さに追いつかない。毎日新しい学びがある。
着物がつなぐものは日本の心そのものだと最近気づいた
「大嘗祭と二つの布」にはその思いを綴っていきたいと思っている
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