チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

天下人

2011年08月17日 11時30分27秒 | 日記
「民百姓のための政治をしないと国はつぶれる」
といったのは戦国時代の知将竹中半兵衛
その思想を掲げた豊臣秀吉に仕え
秀吉を天下人にした

確かに秀吉は民百姓の生活を守り日本は桃山文化を構築できた
歴史的な秀吉の評価はまた別のところにあると思うが
秀吉が天下人になりたいと思ったのは
間違いなく民百姓の生活を楽にさせたかったことは
疑いない

これから日本を統一というとき
竹中半兵衛がこの世から去ったのは
民百姓のために損失だった

しかしその後の民百姓は天下人が誰であっても
ただむなしいだけになっている

今マスコミを初め
政府が騒いでいる天下人候補達
誰がなっても庶民は関係ないただむなしいだけ

正義を持たない人
真実が分からない人
国民を見ていない人
日本を愛さない人
そういう人が国を動かしている間
決して国は栄えない

放射能恐怖を押し付けたままの現天下人は
毎日夫人や側近とグルメに明け暮れていると新聞の日程覧に出ている

新しい天下人も
増税だ原発推進だと庶民の暮らしを逼迫させることに夢中

10月にはあの彗星が地球に近づく
そのとき日本はどうなっているのだろう
どうなるのであろう

とにかく今自分のその場所で
粛々と毎日を意義あるように生きていくのが一番

誰が天下人になろうが
自分の行く道をしっかりと見据えておこう
そして何もかも受け入れて自然の営みに感謝し
穏やかに日々を過すことが大切であろう

チャコちゃん先生今の天下人ニュースにウンザリ

きょうはごっめん!
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大きな夢

2011年08月16日 10時15分53秒 | 日記
セリシンで出来た化粧水やクリームを握って
この波動はすごいですね
この世にこんな人にいいものがあるんですね
と化粧水をアチコチにつけて興奮気味の松宮夫妻

昨日は
今度能登の月見の宴を初め
門前町であらゆる可能性を確かめようと話し合った

桑を植え養蚕をし蚕の吐く繊維と麻の繊維で新しい布を作って
日本の技術を世界に発信しようというプロジェクト
若い人たちがこの企画に目を輝かせて乗ってくる

チャコちゃん先生蚕の話を熱く語っているうち
このセリシンの話になり
蚕を知らない人たちはその蚕の力に感動をした

松宮夫妻は化粧品の製造もしていらっしゃるので
このセリシンに出会えたことがよほど嬉しいらしい

ミネラルを多く含むパック剤を作ったり
果物のエキスで酵素満点の胃腸薬も製造していらっしゃる
松宮さんご自身があらゆる病気に苦しまれ
その病気をこの地球にある物質を使って治していった経緯があり
セリシンのよさが心底分かってくださった

蚕君よかったね

こうなると養蚕業というものにもっと大きな夢がかけられる
古代からある蚕と麻そしてお米を私達は大切に考えなければ日本はつぶれる

三宅一生さんが福島の麻や山形の植物繊維を使って
「東北の底力 心と光」という個展を
六本木のミッドタウンでおやりになった

その知らせを大内順子さんからお聞きしたのだが
出張や仕事が重なって行けずじまい

こういう運動が大きな流れになり
日本で自由に麻を栽培できたり
養蚕に多くの若人が手を染めたり
日本の未来に夢を抱くチャコちゃん先生ではある

日本にもともとある資源をみんなで掘り起こして
其れを大切に育てていくことも
国づくりの一環となる

日本の資源の見直しから始めよう
そしてまだ元気な養蚕や麻の作り手に
若い人たちは教えを乞うことがいい
そのつなぎ手の役割を一身に受けようと思う

月見の宴に集まりませんか
そこでまた色んな話をいたしましょう
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終戦記念日

2011年08月15日 13時43分18秒 | 日記
どちらかといえば「敗戦の日」としたいチャコちゃん先生
戦争に負けて、まだずっと負けたのを引きずっている66年間
敗戦の日から新たな戦争が始まっていたのだと
最近つくづく思う

それは日本人というものの旅が始まった
どこの日本に戻るのか
どこに向かっていくのか
66年間ずっと分からずにきている

その間色んな文化を失い
またたくさんの文明を身に付けてきた
ここらでチョット一休み
日本人って?
考えねばならない

先日NHkで「原爆生かされなかった情報」という番組を見たが
日本政府は原爆ーかどうかは分からないがー通常と違う爆弾を持ったB29が
日本にやってくるのを正確にキャッチしていたという
しかも廣島は警戒警報を原爆が落とされる寸前解除している

警戒警報が解除になっても防空壕で話し合いを続けている人は助かった
そういう生存者の話は「なぜ?」という疑問が消えないので悔しい

「解除になった!」
という開放感で多くの市民が防空壕から出たきたところを
ピカドンとやられた
しかも今までと違った強力な爆弾を持ったB29が飛んでくるのを知っていた上層部

長崎のときも
同じ爆弾を持ってB29がやってきていることを現場は上に情報を渡したが
生かされなかった

日本はアメリカ軍が原爆(そのときは特殊爆弾といっていた)を落とすことを
把握していたのになぜに国民を救わなかったのか

こういう一連のことは
福島の原発の爆発や放射能被害を覆い隠す体質と何処か似ている

国民に選ばれている国会議員が
どうして国民のために働かないのか不思議
どうして勝利国のアメリカばかりに気を使うのか
なぜ?

この時期に色んな戦争秘話があぶりだされてくるが
その証言をなさる方も80歳、90歳
まもなく記憶も定かではなくなるだろう
今のうちに身近な戦争体験者にたくさんのことを聞いておくべきだ

絹のことを知りたくて
何年か前呉市に住む海軍の軍医だった方を訪ねて
ケガの処置とか兵隊さんたちの最後の言葉などをお聞きしたが
その方の深い心の傷を感じて
当たり障りの無い話に終始してしまった
今から考えると残念
もうお亡くなりになったので二度とお聞きできない

敗戦感覚はいつまで続くのだろうか
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月見の宴

2011年08月14日 14時58分47秒 | 日記
9月10日土曜日
輪島市門前町絲藝苑で月見の宴を開催
日本海に夕日を見送った後
山の端から月が昇ってくる
美しい

この地をはじめて訪れたときそれは今から30年前
この太陽と月のマッチングにいたく心を動かされたチャコちゃん先生
早速この地で「月見の宴」を企画した

絲藝苑は海草で下染めする「能州紬」の織り元
日本全国から能州紬のフアンを集めて
この月見の宴を楽しんだ

着物がたくさん売れた時代は
金沢から芸者さんを呼び
舞を一さし闇笛もと贅沢で美しい夜を50人100人で過した

ここは総持寺祖院の門前町
総持寺の雲水たちの読経もありがたい
更に住職の講話も

華やかな月見の宴もバブルが弾けてからは
ひっそりと月との語りだけになっていた矢先能登地震が起きて中断

今回矢張り東北で地震に会われた方々への祈りも
この地で太陽と月に祈りましょうと
石川県の協力も得て再開

不肖チャコちゃん先生が司会進行を勤めますゆえ
是非いらして欲しい
多分ユーホーも現れるかも
というのはこのあたりの出没は多い

参加費は無料
但しお食事をする人はこの地の蕎麦や肉魚などのデイナーが5000円
門前町の料理屋さんが作る

食事ー6時から 5000円
月見の宴ー7時から 無料
     能登に伝わる御陣乗太鼓、
     総持寺の読経
     参加者全員1人ずつお焼香をしながら月に祈る
     総持寺住職の講話
     つきの歌を全員で歌う
二次会は浜辺で
コレはどうなるか内容はその日の気分

参加希望は「能州紬」(のうしゅうつむぎ)で検索 ホームページがでる
そこに申し込み方法が案内されている
メールはnosyu@sirius.ocn.ne.jp

先日大麻の地もここに決めようと有志で見てきた
桑と大麻を作り新たな地産地消のモデル地域が出来ればいいと思っている

夕日を送り
月を迎えて
日本の平和
地球の平和
そして生きとし生けるもの全てに感謝の祈りをみんなでささげたい

新しい出会いに期待
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小田原少年少女合唱隊

2011年08月13日 09時56分40秒 | 日記
山岸敦子さんのご招待で
「鮫島有美子」さんのコンサートに行く
山ちゃんは今度声楽の発表会で「からたちの花」を歌うので
鮫島さんの歌唱を参考にしたいらしい

しかし残念!
この日は東北震災のための祈りの歌ばかりで
からたちの花はお歌いにならなかった
でも凄いもの見ちゃった

鮫島さんが「千の風」を歌うとき
上手下手から
振袖姿のお嬢さん其ればかりではなく
男の子も黒紋付に袴
最後にお出になった指揮者は黒留袖

驚いたの何の
会場は歓声もあがり一気に盛り上がる

赤い振袖黒の裾模様金の帯鶸尾路の帯揚げ
なんと素敵!
小田原少年少女合唱隊の皆さん

プログラムにはなめしか無かったので耳ダンボでイロイロ聞く
45年も前からある日本では超一流の合唱隊とか
チャコちゃん先生は無知で知らなかったけど
結構フアンが居るようだ

衣装で驚かせただけでなく
伸びやかな声に感動
鮫島さんが地味なのでこの最後の舞台は華やかで嬉しい

小学校一年から高校三年までの本当に少年少女
振袖紋付袴どなたの考えか分からないが
いいねえいいねえ
追っかけしようか

しかし満員の客席
着物姿はチャコちゃん先生だけ
こういうクラシックのコンサートは熟年夫妻や
後期高齢者のグループが多い
平均年齢が非常に高い

あなた達は時間もあるのだから是非おきものをお召しくださいな
たくさん箪笥に眠っているはず
きものもきっと音楽聴きたいよきっとーー

それにしても振袖姿はパワーがありますね
黒留め姿の指揮も和やかで気品があった
ヨーロッパにもこの姿で舞台に立つらしいけど
いいですねえ

日本でもヨーロッパでも合唱の実力は認められていて
更にマナーが良いことでも好感度ナンバーワンだとか
日本をアッピールしている姿に感動

「からたちの花」は聞けなかったけど
少年少女のお陰で充分に満足のコンサートではあった

それにしても鮫島有美子さん
クラシック歌手がマイク持って歌ってはダメですよ
歌唱力は抜群だけどCD聞いてるのと同じになる

山ちゃんだってマイクなしで歌うのにねえ
でもありがとう
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植麻候補

2011年08月12日 10時52分49秒 | 日記
養蚕と大麻の産地を新しく作ろうと能登へ行ってきた
桑を植える候補は1000坪の空き地の山の中
大麻を植える候補地は米を植えていた田んぼの休眠反

ここ能登の地にも原発がある
能登地震が起きて暫く動かしていないが
その町の住民は潤っていた
他の町は過疎化が進行している様だ

そこに養蚕と大麻が新しい顔として加わったら
循環の文化として隣町も参加してくるのではないか
というのは
ボツボツ動かしたいと北陸電気は考えた
その矢先の3・11
休業をしている人も多いそうだ

同行した人たちは青い海原を眺めながら大いなる未来に夢を馳せる

副産物もあった
この海岸の海草はミネラルがたっぷり
食べてよし乾燥して入浴剤として肌を守るもよし
何より放射能に強いヨードが多い

更に海草で繊維を下染めして布をしなやかに艶を出して
この地にしかない布が織りあがる希望がある

早速その夜は天日干しの海草をガーゼで包み
ホテルの風呂に入れて楽しむ
お肌ツルツル
ここにセリシン石鹸や化粧水、クリームが揃えば言うことなし
その上この地で取れる塩も美味しい

自然と共存共栄は始まった
道のりは長いが若い協力者が多いのが希望
中央に居るおじさんたちは
自分の利益ばかりを考えているが
30代40代の世間から見ればフリーターのような若者の方が
心底日本の未来を考えている

そして心の底から日本を愛している
そういう人たちは自分の利益より
みんながどうしたら潤うかを考える

いま本当に日本の国を文化的に強くしようとしている人たちは
豊かでない
でも豊かでないことを卑下もしていない
もう少しできっとひっくり返る
麗しい若い芽がこの日本列島にたくさん芽吹いてきている

古いしがらみから抜け出せない大人は
日本の未来を信じられない
そのため未来に向かって歩む若い人たちに
偏見の目を向ける

若い人たちは新しく改革しようとしている日本が
縄文時代の日本をお手本にしなければならないことも理解している

チャコちゃん先生たちは
能登の地で地産地消のスタートを切った

其れを記念して
9月10日19時から「月見の宴」を開催する
夕日が海に沈み山から月が上がる

この地はなにかある
そう幕は上がった
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立秋

2011年08月08日 15時54分06秒 | 日記
暑い暑いといっているうち秋が立つ
いつも毎年立秋の日前後に咲く当方の朝顔
今日はまさしく立秋の日に美しく咲いた
コレは朝顔の古代種で藍色と紫色の配合が絶妙
夕方になると赤紫になって種を作る

朝顔は秋の季語に入っているが
この朝顔はいつも立秋を告げてくれる

もう15年前に亡くなった五十嵐さんが
「いまどき珍しい古代朝顔よ」
ともってきてくださり
「立秋の日に咲くから楽しみにしていて」
と一鉢置いていった

その後ベランダのヘンスいっぱいに巻き付かせて
それはそれは見事な朝顔の宿だったが
あとから枯れた蔓を整理するのに大変な労力を求められた
それ以来冷たいようだが
湧き上がるような朝顔ヘンスはやめて一所にまとめているが

更にチャコちゃん先生の仕打ちが冷たく
もう種もとらなくなった
そうしたら自分の落ちた位置で
ちゃんと芽を出し蔓を伸ばし立秋の日に花開く

種を綺麗に取っていたころは
みんなに分けて
その種からこんなに綺麗に花が咲いたと
写真も送ってくる方もいた

一鉢の花から数え切れないような子孫が生まれている
五十嵐さんもきっと喜んでいらっしゃる

うちは面白くて6年前に亡くなった島本さん
なくなる前日にチャコちゃん先生お見舞いに行き
「早くよくなってまたゆっくりいらっしゃいね」
「絶対いきます伺うのが待ち遠しい」

で次の日に亡くなった
葬儀から帰ってくると
白いモンシロチョウがふわふわと揺れるように羽ばたいて
部屋の中を楽しそうに飛んでいる
直感で
「アアあなたはシマモトさんね」
と声を出して言ったら
一段と羽根を広げて一回りして外に出て行った

それから10日ばかり毎日遊びにやってきていて
次の年もまた次の年もと5年続き

「今年はシマモトさんはいらっしゃらないわね」
と話していたら
不思議な力を持つYさん
「あの揚羽の蝶が比佐子さんに話しかけている、えなあに?」

モンシロチョウから揚羽の蝶に位が上がったと
知らせに来たという

この場所に愛着を持ってくれて嬉しい
肉体は去っても
一緒に楽しむことが出来るのは幸せ

朝顔も今年は種を取り
きちんと植えようと思う
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ありがとうの花

2011年08月07日 10時25分11秒 | 日記
三五館の星山社長から
「この原稿をよんで元気をもらったので読んでください」
と山元加津子さん新刊「ありがとうの花」が贈られてきた

ご自分の会社が出版する本を「いい本だから」
とすすめる星山社長の人柄に
「らしいわ」
と思う

著者の山元加津子さんは特別支援学校の教諭をされていて
山元さんのメルマガに多くの方がメールを送り
感想や意見そして励ましあうコミュニテーを作っていらっしゃる
そういう一連のことを本になさった

山元さんは愛妾をかっこちゃんといって講演や本もたくさん書いていらっしゃる
チャコちゃん先生は全く知らない世界だったので
とても興味深く戴いた本をしっかり読んだ

みんなの優しい心がこの本にいっぱい詰まっていた
星山社長は
昔からこういう、人のやさしさを本に編集し続けていらっしゃる
真面目なテーマばかりを本にしているので
出版社としては経済的に苦しいと思う

「千の風」の詩集を本にしたときも
「浜岡原発が危ない」を本にしたときも
「もしも、IH調理器を使っていたら」を本にしたときも
一連の大和の心を語る友常先生の本も

みんな日本人のこれからの生き方を示唆している
しかしいつも早い
その後時代が付いてくるのだが
ビジネスにはなりにくいと思う

けど今度の「ありがとうの花」は時流にあっている
きっといい成績になるだろうと思う

みんなつながりたいのだとこの本を読むと感じる
そしてこのコミュニテーに集まっていらっしゃる方は
心が広く温かい

インターネットという21世紀の帝王は
これからどんな社会を作っていくのだろう
未知なる世界だけど今までと全く違った世の形になるのだろうか

チャコちゃん先生は思う
昔に返るのだと
縄文時代はみんな自分の霊感で動いていた
今の言葉で言うとテレパシーだ
奈良時代くらいまではこのテレパシーを使えていた人が多かったように思う

誰でもが持てるテレパシーは
衣食住を自然と協調させないといけない
着るものは自然素材
食べるものは地産地消 人と遠くのもの
住む家は自然素材で空気がスイスイ流れる

コンクリートの箱の中に住んでいる限り
箱族はインターネットを駆使してテレパシーの代わりに

ありがとうの花 ありがとう!
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8月6日

2011年08月06日 10時39分10秒 | 日記
日本にとって特別な日特に今年は
菅首相が平和宣言をするかと思ったが
その言葉は出なかった
世界に発信する良いチャンスだったがーー

唯一の被曝国家日本の首相として核兵器の断絶を言ってほしかった
米国の核抑止からの脱却を宣言
日本の平和憲法を守り平和外交するとーー

オバマ大統領が核廃絶演説をしノーベル賞をお取になったが
菅さんも力強く核廃絶のために日本は世界の核をなくすべく
先ずは核兵器と表裏一体の原発から脱却する
といったならば
ノーベル平和賞が取れたかもね

もっともオバマ大統領は
平気で臨界核実験をアメリカで繰り返していて
核廃絶は本心でないことが分かった
あのノーベル平和賞はどうなるの?

子供達が
どうして危ない核を使うのか
どうして戦争をするの分からないと率直に訴えていた声に
大人はどう応えるのだろう

廣島市長の演説は核廃絶を目指して世界に訴えていくと
力強い

日本は三つの県が核に脅かされている
米国に原爆が廣島に落とされて66年がたつ
そして今尚被曝に悩み核におびえている人たちが大勢居る
そういう人たちが居る国に
核と表裏一体の原発が推進されていることが正直分からない

廣島出身の男と結婚をし
初めて中谷家の墓参りをしたときの衝撃は今も残る
中谷家だけでなく全てのお墓には
昭和20年8月6日没
という文字が列になって墓石に刻まれていた
彼の従兄弟は小学校4年生でたまたまその日は夏休み中の登校日
校舎の影にいて爆風にあわないですんだが
真っ青の空に同級生が空高く飛んでいくのを見たという

「人が空を飛んだのを見たのはあの時だけ」
と今は冗談交じりに話す
でもその話も昨年始めてその従兄弟から聞いた
今までは話したくなかったのだという

原発ドームやその頃まだ残っていた銀行の壁に映った人影
平和記念館のこの世の者とは思われない遺品の数々

ここのところ毎年式典に訪れる日本の首相
こういうことを目にしても
米国の核抑止力から脱却して
日本の国民を守ろうと思わないのだろうか

同じ人間として其れが不思議
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大麻で日本を再生

2011年08月05日 11時25分26秒 | 日記
この8月初旬は大麻を刈り取る時期
大麻大麻と口うるさく話すチャコちゃん先生に
大麻を収穫している絵を見せてくださった人がいます

苧麻の収穫には何回か立会い
何もしないで日傘差してただ眺めて居るだけ
全く持っていやなやつだが

立秋前の最後の夏の暑さの中
男たちは大きな麦藁帽子をかぶり
二メートルはある苧麻を刈り取る

コレと同じ図がその絵にはかかれていた
あたり一面の麻の畑
「コレは大正時代の絵なんだよね」
戦前までは当たり前に見ることのできた大麻畑の絵

鎌で刈り取り繊維にするもの
建材に使うもの
食料にするもの
などなどに分けていく

当時は繊維をとる割合が高かったようだが
大麻が麻薬になるなんて考えもしなかった

縄文の時代から日本には大麻を生活に使って居る
それは日本民族史をちょっとでも研究すれば分かる

2000年続いた大麻の栽培がここ66年栽培されていないなんて
しかも禁止した国が他の国アメリカだということ
しかもサンフランシスコ条約の時だって
この禁止法はやめましょうということは出来た筈

アメリカに愛された小泉さんが許可を持ち出してもよかったはず
こうやって政治家の不勉強は今日まで続く
その間にどれだけ日本の文化が消えていったか

大麻は習慣性は無いので危険はないという
大体戦前の日本人は大麻に毒物があることさえ知らなかった
大体毒物なんて本当は無い

大地を綺麗にし
50個近くの工業品も出来
更に繊維としても優れている大麻

ところで
警視庁のバッチよく見ててごらん麻の葉が下敷きだ  

いまでは大学教授や弁護士文学者など
多くの方が麻の研究を地道に続けていらっしゃる
いまこそその研究に光を当てなければいけない

本来「まやく」は痺れるので「痳薬」という字を使っていた
其れがいつの間にか麻という字を使った「麻薬」に
日本語をドンドン簡単にしていき
結局意味の分からない文字ばかりになったのが昨今

麻は痺れない
麻こそいい迷惑
この汚名を早く外したいと本人が一番願っていることだろう

麻の着物に手を通しながら
つくづく麻の存在を大切に思う
日本の夏は麻で快適
この節電の夏に麻こそ涼を与えてくれる
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