チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

種を撒く

2012年10月16日 09時13分55秒 | 日記
全世界に向けて種を撒く
何か事が起きたとき
今自分は種をまいているのだから
と考えると
その起きたことも違った景色になってくる

思えばたくさん種をまいたものだ
芽も出て花も咲き実を結んだと思えるものもある反面
ついに芽も出ず当然花も咲かなかったと言うこともある

しかし種をまいた事実は残っているのだからソレハ良しとしなければ

つまりは時期が合わなかったと云うこと
これからは意識して時期に合った種をまき育てていかねばならないと思う

コスモスという花の種は曲玉状
当方で植えると鳥が喜んで食べてしまう
毎年たくさんの種を植えるのだがほとんど食べられて
ついに今年はあきらめた

此のように種をまいても人にそのうまみを取られてしまうこともある
そういうことも多い
それでもめげずに種をまくことの方が自分にとって重要だと
チャコちゃん先生は思う

もちろん種は在来種に限る

昔あったねこう言う歌
「ゴンベガ種まきゃあ カラスがほじくる ゴンベがぱーらぱらぱらぱらぱら」
後の歌詞を覚えていないが
アホなゴンベと思っていたが
最近はゴンベは神様だと考えるようになった
だって種を作るのも神様の仕事ですものね

今日もこれからチャコちゃん先生種まきに出発ーーー!
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むそうの会

2012年10月15日 10時37分50秒 | 日記
10年続いている「句会」
毎回「今日はやめよう」とおもいつつ10年
年四回なので40回

俳句が苦手
かといって和歌が好きでも無い
何となく誘われ何となく続けている
こういうこと人生に多いなあチャコちゃん先生

きものの仕事もなんとなく続けているウチ今日になってしまった
45年だぜ
そのうちの40年が何となくだったなあ
いまはきものを通してまなんだ様々なことを伝えようという意志に満ちている

だからといって仕事の姿勢が変わったわけでは無い
基本的に自然の理に反していることはしたくないし
それは自分の意志でおこなってこなかった

物心ついたときから何となく何かやっている
しかし事を起こすときは人の後ろにはいない
率先してやる
良いことも悪いことも
しかし自分にとってどうでも良いことには無関心でもある

こう言う日本人は大勢いるような気がする

前にEM液を開発した当時は沖縄琉球大学の教授でいらした比嘉先生
「世の中の菌二は善玉1割悪玉1割で残りの8割がノンポリなのね」
とお話を伺ったとき教えていただいた

その8割のノンポリを善玉にくっつけてしまうのがEM菌とおっしゃった

自分の中にも
これは絶対したくない1割
これをしたい1割
どうでも良い8割が存在している

チョット挫折すると此の8割がどうでも良い状態でいるのか
これをしたいと言う気持ちにのんぽりがくっつきわーっと見違える働きをするのか
又その逆になるのか

面白いことに
そのノンポリの中にもさらなるノンポリがいて
それが多くのノンポリを左右するらしい

願わくば善玉菌にくっついて平和に穏やかに生き生きと暮らしたいもの

そうそう
ノンポリは人によっては4割くらいまで減る人もいるらしい
そういう人は生活態度が自然の理にかなっている人だとか


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儀式

2012年10月14日 09時47分14秒 | 日記
儀式には作法がつきもの
江戸時代は子供に儀式のお手伝いをさせることにより
儀式の作法を身につけさせていた
これは「江戸仕草」でも語られている

つい最近と云っても30年くらいまでは
各地に「若衆宿」というのが有り
成人前の男の子を集めてその土地の長老たちが
儀式の作法から遊びの作法女の作法?まで教え込んでいた

その最後とも云える「若衆宿」の実態を岡山のとあるところで取材をしたことがある
と言っても制限が有り
女は家の中には入れてもら
まず長老からどんなことを教えているのかを
かいつまんできいただけである

泊まり込みで最後の晩は酒もでるらしく
きわどい作法もつまビラかなものがあったらしいが
なかなか聞けなかった

でもそこは引き下がらないチャコちゃん先生
色々と手かえしなかえ聞き出したことは
その土地の歴史、風土の習慣、どの家の血筋が尊いか
氏神様の祭りの仕方
いざ事が起きたときの連絡方法とその動き方
男としてこの土地をどう守って繋げていくか
長幼の礼

婚礼の儀式と葬礼の儀式作法は最も厳しく教えられたようだ

家庭でのしつけには限りが有り社会的なしつけは長老たちの手でおこなうと言う合理的な考え方だ
これだと年を取った者の仕事場所がわんさとある
長老の長は人格が高潔経験も豊か更に愛に満ちていると言う人が選ばれるのだという

砕けたところでは
酒の作法 女の作法当時は遊郭もあったのでそこでの作法がもっぱら

昨日友人の結婚式に出ていて
神社での崇高な儀式に則った結婚式は
日本の精神文化の根源だと納得した

とにかく美しくて厳か
こう言う体験をした新夫婦はきっと清潔な家庭を築きあげるだろうと思った

儀式の作法は美しい
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恫喝

2012年10月13日 01時05分51秒 | 日記
柔らかい恫喝
絶対に引かない恫喝
言葉も優しい恫喝

昨日は不思議な恫喝にあい疲れた

米国からこう言う恫喝を受けているのだろうか日本はーー

勝敗は恫喝をした方に勝ちがいった
そちらの思い通りになったのだから

でも恫喝されるには
それだけのされる理由があることも分かった

その理由が明確になっただけでもこちらは進化できる

恫喝で勝ったほうは此のやり方でまた誰かを恫喝するであろう
恫喝の効用だ

恫喝されながら
言霊というものがあるなと思った

恫喝されながら
その人の家庭環境を思った

恫喝されながら
その人の置かれている環境を思った

恫喝されながら
その人の論理が辻褄の合わないことを知った

恫喝されながら
お腹が空いたと思った

恫喝されながら
明日の結婚披露宴に何を着ていくかと考えていた

恫喝されながら
切り上げるタイミングは何かと計っていた

しかし長時間拘束され脅されていた
恫喝者の言い分の何割かを認めたことで一気に解決した

恫喝者はお辞儀をして私を送り出した

恫喝する方も哀しいね


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蚕は農薬を感じた

2012年10月12日 09時46分04秒 | 日記
飯島の志村明さんの桑畑のとなりはリンゴ畑
そのリンゴ畑は時々農薬をまく
二週間もすると農薬はもう桑の葉には残留しないと思い
蚕にあげた

志村さんの所は10万頭くらいの蚕を飼っているので
農薬の噴霧がこない所の桑だけでは間に合わなくなる
農薬をまくリンゴ畑の隣なりの桑の葉も時に必要だ
特に西村さんは
上から三枚目からした15枚目の桑の葉を蚕に与えている
そのため広大な桑畑を持っていても需要には追いつかない

農薬噴霧から2週間経っていた

ところが

在来種の蚕は一斉に桑の葉の上に昇ってきてその葉をひとかじりもしない
ところが交配をした蚕はほとんどが葉を食べて命を失った
なんと2万頭

蚕に桑の葉を与えるときは上から上から置いていく
蚕は食べながら上に昇ってくる習性だ
桑の葉をかじらない蚕は上に行く
また食べて満腹になった蚕も上に昇る

農薬の葉を察知して一かじりもせず上にのぼり危機を避けた蚕
これは在来種
ずっと日本の土地で日本の蚕として育ってきた遺伝子組み換えもなく

片や青熟と言う日本の在来種と中国の蚕を交配した蚕は
一割が危機を察して上に昇ったが
後は全滅

農薬を危険と察するセンサーを持つ蚕
人間の与えたものは頭から信頼して食べてしまう蚕

体が小さいから農薬で死ぬ此の恐ろしさを人間に命を賭けて教えてくれている蚕

農薬が如何に危険かというセンサーを失っている人間
人間は体が大きいので農薬の付いたものを食べてもすぐには弱らない
しかし長年の蓄積でもっと怖いことが体の中で起きている
更に恐ろしいのはそのことに気が付かない人が多いということだ

「今すぐに怖いことにはなりません」
と言うフレーズを政府高官が言い続けていたが
此の犠牲になった蚕のように今すぐ結果がでた方が立て直しが効く

無農薬、化学肥料使わない
こういうものづくりが当たり前の世の中にならないといけない

帰り美味しそうに並んだ葡萄とリンゴの売り場を素通りした
やはり顔の見える作り手から購入しよう
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50周年記念

2012年10月10日 16時02分52秒 | 日記
「ラルゴ会」というのがチャコちゃん先生の声楽のグループ名
年一回の発表会が50年を迎えるという
ご夫妻共々東京芸術大学の声楽科の卒業で二期会のメンバー
来年ご結婚なさって50年目とおっしゃるので
此の会はお二人の結婚年数より長い

チャコちゃん先生は15回の出場だって
恥ずかしくもなく良く舞台に出て歌ったものだ

初めて此の門を叩いたとき
「ウチは素人さんは教えないのですよ」
と丁寧に断られた
しかし
と食い下がり門下生に入れてもらえた

紹介者はチャコちゃん先生が大忙しだったときの秘書をやってくれていた人で
彼女は声楽の専門学校を卒業し
此方の女先生が指導するコーラス部の会員だった

その頃1日に3回くらい講演をすることが有り
声が出なくなるのを心配して紹介してくれたのだ
「ボイスとーレーニングを受けるといいですよ」
と言うことだった

「では声を出してみましょう」
「あああああーー」
「お腹切っていますね」
「どうしておわかりになるのですか」
「お腹と繋がっていない声を出すので声が疲れるのですよ」
「ほー」

と始めた
声を出して20年は通っているのだが
当然舞台に立てるわけはなく
続けているウチ
「今年は舞台に立ってみたら」
と言うことで15回となった

音楽学校出身者の中にあって惨めな声ではあった
先生は
「素人でも筋肉の使い方、骨に響かせる方法を身につけると声が出るね」
と今度は素人を鍛えると云うことに興味を持って下さった

そうすると
絶対にでないと思い込んでいた音が出るようになり
なにより血液循環が良くなって健康になった

友人たちに声を掛けて弟子にしていただき
素人でも大きな顔をしている昨今ではある

しかし最近は
「こんな美しい声を持っていたのね」
という吉村たくみさん(オーラソーマのテイチャー仲間)と
山岸敦子さん(つれづれなかま)は
声の美しさ、音域の広さでチャコちゃん先生を追い抜いている

昨日の会でも此の二人本当に美しい声を披露していた
素人でもほんまもののプロの手にかかると潜在されていた才能が輝く

写真は山岸さんと吉村さん
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三代の家族

2012年10月08日 10時43分32秒 | 日記
子育てにはじじばばの知恵が必要だとつくづく思う
バスの中で
生まれてまだ一か月ぐらいしかたっていない赤子を抱いたママ
自分の腕に赤子の頭を乗せて抱く
ということを思いつかないらしく
普通に抱っこしている

バスが揺れるたびに赤子の頭がガクンがくんと動く
見かねたチャコちゃん先生
「こうして抱いてちょうだい頭は固定してね」
と注意をする

前に抱き袋に入っている赤子もまだ首が据わっていなくて
首ががくがく動いていて
これは一緒にいた友人が注意した

でもこういうお母さん
「ありがとう」なんて言わない

ベビーカーでも気になる
急に冷えてきたのに赤子の足は裸足のまま
つい触ってしまって
「冷たいから靴下履かせた方がいいわ」
「いえ赤ちゃんは体温が高いから靴下は履かせなくてもいいと本に書いてありました」
と拒否された

見ていてハラハラすることが多い
ベビーカーの子供はずっと下の方にいて埃をいっぱい吸っているのではないかと
生まれ赤子をどうしてこんな繁華街に連れてこなくてはいけないの

他人事ながら気をもんでいる

学生時代電車の中で前にすっわったきものを着たお母さんが
いきなり懐を開けて母乳を飲ませている姿を見たとき
その母の強さに驚いたが

今は母はおしゃれして爪を伸ばし高い靴を履いて
子供をベビーカーに押し込んでいる人が多い

若夫婦だけで育てるのではなく
じじばばのいる家族で育てる方が赤子は幸せ
そしてじじばばもボケないで健康でいられるように思う

一緒に住めば世代が違うのでどちらも我慢したり摩擦もあるだろう
しかし新しい命は健康に育つ気がする

こういう事に目が行ってしまうチャコちゃん先生である
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真っ直ぐな心

2012年10月07日 19時21分22秒 | 日記
何も考えない
何もしない
そんな一日を過ごしてみた

心に浮かんでくるとりとめも無い言葉を書き留めた

生きるということ
生きていると云うこと

此の手は誰が作った
此の小さな爪は何のために必要

物をつかむときに爪があった方が良い
物をつかみやすい
なるごど

何で手足の指が五本?
五行と関係あるのかな

自分の意志って本当にあるのだろうか
意志と「我」の違いはどこにある

ボンヤリしていても
体の中の血は巡り内蔵は活動をしている
呼吸は一瞬たりとも休まない

こんなスバラシイ肉体をだれがつくった?
両親から生まれたが
両親は粘土細工のように私を作ったわけでは無い
誰かが作った

その誰かに此の肉体は貸してもらってる
呼吸が止まるとき此の肉体はお返ししなければならない
だとしたら傷つけちゃあいけなかった
今更オソイ
付いた傷は治らない

だとするといただいた「魂」は磨いてお返ししよう
いただいたときより更に美しく磨いてーー
これからは魂を磨くという一点に集中しよう

ああそうか
生きると云うことは「魂」を磨くことだったのだ

そして真っ直ぐな心に戻ったら
急に空腹を覚えた
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5色のペン

2012年10月06日 11時09分35秒 | 日記
「手帳セラピスト」の佐藤愛さんのお話しは
目から鱗のことが多かった
手帳を軽んじていたチャコちゃん先生に見事なパンチ

文具おたくだから
能率手帳
システム手帳
電子手帳
等々いろんな手帳を10月に入ると購入するものの
ほとんど使わずじまいと云うことが多い

今は手のひらに入る小さな予定表を使い
其れがいつもどこかに隠れていてダブルブッキングの原因となっている

メモ帳も手のひらに載り
これは何を隠そうエルメスの一日ページの物
チャコちゃん先生字が大きいので
思いついたことを2つ書くともうページいっぱいになる

それで漱石も使っていたというメモ帳を購入したこともあるが
場所が大きいと更に文字が大きくなって
結局手のひらサイズにまたもどった

しかし
此の小さい手帳でも使い方だと昨日教わった
つまり5色のボールペンを持ち
青ー仕事
緑ープライベート
赤ー重要
黒ー雑用・家事
オレンジー夢への行動

と使い分けると自分の行動習慣や精神癖が分かり修正しやすい
もっと識りたい方は佐藤愛さんの「手帳セラピスト」のセミナーにどうぞ
彼女のHPにお問い合わせを


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ダブルブッキング

2012年10月05日 09時59分01秒 | 日記
ここのところ特に此の10月ダブルブッキング3コ
どうなっれるんだ!
幸い相手様に今のところ迷惑は掛けていない
と勝手に思っているチャコちゃん先生

「つまり年なんだよ」
と片付けられている
しかしその原因を静かに考えたとき
「メモ」と思った
雑誌記者を長いことやっているときも数字以外は一切メモを取らない
と言うことを自慢にしていたおバカだった

きちんとメモを取っていれば
ちゃんとしっかり手帳に書いていれば
そしてその手帳をきちんと見ていれば
ダブルブッキングは回避できるであろう

というわけで
「手帳セラピスト」の佐藤 愛さんがきょうのナイト・コスモスの講師

こう言う職業があるなんて彼女に会うまで識らなかった
そして
チャコちゃん先生がバレエレッスンに通う池袋のカルチャーセンターで
講師紹介の顔写真を拝見したとき
これもまた驚いた「時流」なのだなと思った

今日「ナイト・コスモス」では
越後六日町から新米が届いたので「おむすび」を握る
龍言の女将さんから「皆さんで味わって下さい」と
「水は少なめパッキリとたいてください」
と注意事項のメモ入り

さらに黒部からいかの昆布締めが届く
開沢恵子さんが「出席できないのでいかで参加します」と
有り難いね
 
18時30分から 3150円
新米おむすび、いかの昆布巻き、野菜の煮物、セキドの母上手作り奈良漬け

どうぞ入らして下さいませ

チョット自慢するが
文具に凝るチャコちゃん先生手帳の良さは皮だとばかり
超ブランドの手帳を持っていて中身を毎年代えてるんだよね
でも見事に白場が多い



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