チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

神頼み

2014年11月12日 10時26分15秒 | 日記
神様には感謝することが大事で
お願いしてはいけないとよく言われる
「苦しいときのかみだのみ」
とはよく言ったもので
何か困っていることがあると「お願いおねがいこうして」
と頼み込む

そうすると願いは叶うが必ず「対価」が有ると云うことを知らねばならない
100円や1000円で願いを叶えていただくのは
あまりにも失礼と言う人もいる
神様は其のお金のの大小ではなく
願いをした人の気持ちだとチャコちゃん先生は思う

「対価」というのはギブアンヅテイクではなく
「有難う御座いました」
と言う気持ちを形で表すことを云う

最近は神社で祈祷すると「領収書」を出すけど
何だかガッカリする
きっと「領収書」の必要な企業が多いのだろう
神様とのお約束を経費で落とすのだ

初詣では遊びもかねて遠くの有名神社に行く人も多い
チャコちゃん先生は近くの産土様にいく
産土様はご近所を守って下さっているし
そこに住む人たちの様々な様子を熟知していらっしゃる

会社にも家にも当然産土様を祀っている
その前で手を合わせる朝は気持ちが平和になる
平和の祈りを毎日続けたい
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総持寺の作法

2014年11月11日 11時20分29秒 | 日記
長いお付き合いだった能州紬の創始者
上嶋洋山さんが亡くなり
地元門前町の総持寺で「お別れの会」が催された

能州紬織り元糸芸苑の社長鶴見初代さんは
会社を守りながら4年に亘る上嶋先生の看護をなさった
総持寺での祈りは其の最後にふさわしい
美しい祈りであった

「終わりよければ全てよし」
という言葉が思わず胸にわき上がった
自分の意志を最愛の人を見送ると言う目的にした鶴見さんに
心から「完璧にやり遂げたわね」と言葉を送った

仕事でも私的にもここまでできたら人としてすばらしい
己の意志を貫くと云うことの強さを見習った

それにしても総持寺の祈りは其の美しい所作に心が洗われる
まるで品の良いミュージカルだ

思えば初めてこの門前町を訪れたとき
夕日の荘厳さと月が冴え渡った空を見て
「月見の宴を開催しませんか」
と持ちかけてそこに総持寺のお坊さん達の読経をお願いした

チャコちゃん先生はそれ以来総持寺のフアン
其の読経が続く中で能州紬のフアッションショーを開催したかったが
ソレができなかったことは残念至極

透明感のある読経の中で上嶋先生は旅立たれた
鶴見社長ご苦労様でした
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桑茶

2014年11月10日 12時05分53秒 | 日記
桑の葉しか食べない蚕の栄養の高さ
純正タンパク質、ビタミン、免疫を高める要素も
こう言う葉っぱですものね
何かにしなければーー

何年か前京都の綾部に住むよう養蚕農家を取材したとき
其の何年か前に伺った折に
「糖尿病になったので今年限りになるかもしれません」
と聞いていた

しかし
久しぶりに訪れたらご主人は「ピンピン」していらっしゃる
「お元気になられて糖尿病を克服なさったんですね」
「そうですよ中谷っさん聞いてください」

長老に「桑の葉を煎じて飲みなさい」
と教えられ5月にできる新芽を天日干しにして
それをそのまま煎じて毎日飲んでいたら3か月で健康体になった
というわけ

その後注意していると自然食品の売り場に「桑茶」なるものが出始め
チャコちゃん先生の知人も
「養蚕まで手が回らないので桑茶を作ることにした」
とたくさん送ってくださった

しかし「苦い」紅茶や緑茶に舌が行ってしまう
ところがある日10年ぶりにいらした男友達
「どうしたのきれいになって!」
「ははは桑茶を毎日飲んでアトピーが消えましたよ」
「桑茶は苦いでしょう?」
「いえそんなことありません、帰ったら早速送りますので飲んでみてください」

彼を知ったのは彼が30代前半
全身アトピーで可哀想
「着るものは絹にしなさいね」
のアドバイスしかできなかったけど

「比佐子さんやはり絹はすごいんですよ、桑茶と絹これさえあれば万能ですね」

それで送ってきた桑茶を飲むと美味しい
作り方に秘密があった
しかも通じがよく宿便が取れる
こんないいものこれからもっと増やしていきたいと思う
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大内順子さん

2014年11月07日 16時01分59秒 | 日記
文化の日大内順子さんが亡くなった
最後に声を交わしたのは10月初旬だった
いつも「比佐子つれづれ」のフリーペーパーが
順子さんの元に届くと
「比佐子さん元気ね」
と電話を下さる
そして長電話でお互いに近状を語り元気を確認する

しかし
突然去られて今呆然としているチャコちゃん先生

ジャーナリストの仕事を始めたとき
一番始めに取材をさせてもらったのが大内順子さん
中原淳一編集のひまわりのモデルでホントウに美しい人だった

その後服飾評論家となり
色んなページをふたりで作った
御主人の宮内先生は文学座の衣裳を担当して入らして
やはり中原淳一一族としてご活躍だった

お宅に行くと宮内先生も出てらして
「比佐子さん着こなしじょうずね」
「比佐子さん其の色よく映るね難しいのにさすがだ」
とか
必ず褒めて下さって
チャコちゃん先生その言葉をしっかり引き出しにしまい込み
落ち込んだりしたときにいつも引っ張り出して自分を元気づけていた

後半三人で食事をしているとき其の話を披露したら
大いに場が盛り上がり
「だから比佐子さんはいつも元気なのね」
とまた褒めていただく

今はもうお二人に会えない
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