チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 247

2019年10月16日 11時52分36秒 | 日記
本日は半襟について一考
急に肌寒くなり昨日から袷の着物に手を通している
昨夜はバレーの試合をチラチラ見ながら、単衣の長襦袢や袷の長襦袢に半襟付けを行った

衿芯に半襟を縫い付けて長襦袢につけるのと、広衿長襦袢の中に衿芯を縫い込んでいて(これはチャコちゃん先生特注)そのまま半衿を付けるという二種類が、私の半襟つけ

柔らかい着物には衿芯が表にあり、結城紬や古代縮緬など襟元に膨らみがある着物を着るときには、衿芯内蔵の長襦袢を着る
そのためには、それぞれに半襟の種類を選ぶ

基本的に色襟刺繍衿ははしない
色襟を合わせるセンスが私にはなくてどうも顔映りが良くない
お元気だった池田重子さんは色襟や刺繍衿を実に上手にこなしていた。アレ以上の方には未だお目にかかっていない

時代劇での色襟もいいと思う。日本髪には半襟をいっぱい出して着るので色襟がよく映える。基本的に白い襟は昔は礼装用であったし、上流階級の婦人のものであった

しかし明治も終わり大正時代になって女性の社会進出が多くなったらやはり白い半襟を使う人の数も増えた
そこで出てきたのが白半襟の種類
明雲縮緬、東雲縮緬、ふくれ織、紋縮緬、楊柳、一越ちりめん、鬼しぼ縮緬、絽縮緬、塩瀬羽二重、平絽、駒絽、壁絽、立絽、上布、上代紬、紗、羅、白い半襟でもこんなに種類があった

これらの半襟を季節に合わせ、着物の素材に合わせて使い込んでいたのだ。ふーー

また母の話になるが、父が弁護士業であったため家はいただきものが多く、そのお返しに母は必ず半襟を半紙に包んで差し上げていた。当時はまだ着物を着ている人が多く、半襟特に白い半襟は喜ばれていたようだ

そのため商店街にある小間物屋さんに母は頻繁に通って半襟を吟味し購入していた。その半衿やさんは今も営業をしているが、長年私はその店で購入をしていた。その店には上に上げた種類の半襟は全て揃っていた(今は数種類)

白い半襟は月日が立つと黄変する。そうすると歳とともにくすんでくる首には黄変した半襟がちょうどよくなる
刺繍も白地に白い糸の刺繍という半襟は時々つけている

白い半襟は「レフ板」の役目をするので私は愛している
色襟を似合うような着こなしが身につくのはいつだろう?

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着物が繋ぐもの 246

2019年10月15日 10時28分04秒 | 日記
今日は「日本人ならきもの」という講座を14時から開く日
着物に教わった日本の文化は底知れず、日々新しいことを示してくれる。着物を着ようよ、そうすると病のない人生を送れるよと言いたい

着物の形が1000年以上も同じということに日本人としての意味がある
これを壊そうとする人は日本人ではない
着物の染は明治時代の中期まですべて植物染料を使っていた
身近なものから色を取り、染液を取ったあとの植物を今度は天日干しして漢方薬にしている
つまり全ての命を全部使い切るというのが日本人の考え方であり、生活態度であった

敗戦後日本人は「使い捨て」という新しい生活習慣を持たされた。大量生産大量消費がそれ、じゃんじゃん買ってどんどん捨てる。チャコちゃん先生もそういう考えになっていた時期があり、母親と大衝突した。捨てるのは大得意になり「そのうち使う」という考えの母とは全く合わなくなって、ものを大切にしようとする母の姿を「なんとみみっちい」と思ったものだ

セーター一枚購入するときでも「これだとずっと着られる」とシンプルな形で素材の良いものを選ぶ母に「流行はすぐ変わるのよ、そんな高いもの買うよりこちらを2枚買ってよ」と買い物のさなかに喧嘩し「かってになさい、しかし予算はこれ」と安いものを一枚しか買えないお金を持たされ、ますます膨れていた。その後はもう天敵で、その流れの中で一生着物なんて着てやるもんか!と息巻いていたのだがーー

天のお導きか着物の仕事をするようになると、生活への見方が一変!循環衣装としての着物の凄さ、それは人の暮らし方にも共通し、更に人間の健康面でも自然治癒力という素を考える縁(よすが)となった

その気づきを一番報告したい母はもうこの世にはいない
せめて縁ある人に話し続けたい母の気持ちになってーーー

今日は万葉に時代から続いた植物染料の色についての話になる
明治23年にドイツから化学染料が輸入され、日本は一気に科學の色が氾濫した。目着物を学んでいくと日本は明治維新から大量生産大量消費の国になっている事がわかる

毎月第2,3,4火曜日の14時から講座をひらいているますよ

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着物がつなぐもの 245

2019年10月14日 16時33分35秒 | 日記
襟合わせを褒めてくださる方が多い
嬉しい
これは長年の研究成果だもの、取材結果の賜物だね

着物を着始めて何年か立った時、いろんな職業の女性たちの襟元の違いが気になりだした。その違いは何んだ?これは一つ一つ取材をするしかない。幸い当時のチャコちゃん先生は取材の結果を発表する場所に恵まれていた
早速企画を立てる

ちょっと寄り道。私は神田にある共立女子大に通っていた
両親の手前なにか身につけておこうと思い、教職課程を科目で選び、共立女子高校の教壇に立った事がある。

教職などとうに忘れて雑誌社の仕事をしている時神田のお茶屋に連れて行ってくれた問屋の社長がいた
花柳界で遊ぶなど初めてのことなのでやや緊張してお座敷に上がり、それでもお客様なので若輩にも関わらず上座に座らされた

座について少し落ち着いたら綺麗どころが衣擦れの音も爽やかに座敷に入ってにこやかにお辞儀をする。その時まず上座の人に目線を注ぐ。と「アッカトウ先生!」
「ケッ!」旧姓で呼ばれてびっくりーー。なんと女子校の教生のときの生徒だった!

共立は上野、神田、浅草や向島から通って来る子が多く後に向島でも同じようにお茶屋の女将になっている教え子に遇った

さて半衿
というわけでまずは芸者の半襟の付け方を、学ぶ、東京でも赤坂、柳橋、神田、浅草、向島と微妙につけ方が違う。
それでは西の芸者はまた違うだろうと京都に行くとまさしく大違い。

まず長襦袢の襟、東はバチ衿、西は広衿、衿芯の硬さも長さもそれぞれ違う理由があった。棒衿の長襦袢は庶民の女のものということも理解した

なるほどと思われるものを色々と試してみて、今は比佐子流の半襟付けを皆さんに伝授している。24時間着物を着ていても襟元は崩れない。取材と実践時間がかかってるもんな。

最近お針持てない人が多く、この至極の半襟付けに30分も掛かる人もいる。しかし永久に美しい襟元が自分のものになるぞ。辛坊だね。

この半襟付けを姑に話したら驚嘆していた。そして私のをつけてくれたのだが手が綺麗すぎてなにか首にそぐわない。下手でも自分で半衿はつけるものだと知った

最近殿方も半襟付けにうるさい人が現れその人の襟元を味わい深くする半襟付けを編み出した。ご自分でつけるように指導している

半襟はレフ板のお役をする




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台風一過

2019年10月13日 14時15分10秒 | 日記
本日はスカッとした青空を窓から眺めながら「防災セミナー」に早朝から参加
3時間ありとあらゆる防災についての注意や心がけを聞いた
確かに最大風速60メートルの台風が来るぞ来るぞと4日前から煽られていた
そして今回は川の氾濫が多く、そのため命を落とした方や、怪我をされた方、家を流された方など犠牲者が出ている

更に都心ではデパートの休業を始め、交通機関が完全に止まった
この二日間でどれだけの経済が滞っていたか小さな店は今後が不安であろう
追い打ちをかけるように野菜や魚なども都心には届かず、届いてもきっと値が上がっている

いまや地震台風はすべて人工であるという説が多いし、実際にそれに携わっている人の話も聞いて「嘘だろう?」と疑ってもそれを打ち消すことができないほど信憑性がある

熱帯低気圧が台風になるためには色んな要素があるようだが、地球温暖化の
弊害が台風を促進していることは事実、しかしそれを逆手にとって人工地震や人工台風ができているらしい。科學はそこまで発達し、自然の循環を蔑ろにしている

冷房暖房で外側に温度を高め、道はすべてコンクリートで覆い、また山の樹木を切って、杉ばかり植えたために、土はもろくなり空気も汚れたままで土の温度も下がらない。更に田んぼが少なくなり、今回のように雨の量が多いと田んぼが水をためてくれるのでいきなり余った水が川に流れ氾濫することも少ないがそれも心もとない。

田んぼや小川の周りにマコモを植えて水の加減をしたり、水を美しくしていたが、今はテラコッタで土を覆っているので水は寄り道できず直流する

いま自然災害と言っている殆どは人間が起こしている災害だとチャコちゃん先生は思う。
だから防災の知識の前にもっと地球を自然を生き返らせ、人と自然の共存共栄に手を染めることが重要だと、今日は防災セミナーを受けてつくづく感じた

なにか手当ばかりが先行し、元の原因が疎かになっている昨今、防災の知識は必要だがその前に私達はもっと自然をいたわることを考える事が重要だ。
そうしないとますます付込まれる。
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テレビっ子

2019年10月12日 18時02分39秒 | 日記
台風銀座で育ったチャコちゃん先生
台風は家族団らんの日で末っ子としてはみんなが揃っていて嬉しかった
育った頃はテレビはなくラジオだけだったので情報は少なく、親たちが空を見たり風向きを観察したりして、台風の強さや台風がやってくる時間を推定していた

現代のように情報で煽られることはなくお結びやオカズをたくさん作って家族だけでなく誰彼のぶんまであり、雨の中をやってくる郵便屋さんやその他の人たちに竹の皮に包んで母が渡していた

危険な山崩れの起きそうなところ、河川のそばなどには家はなく川の氾濫で流されるとか、土砂崩れなどは周りにはなかった。また道路も舗装していないところが多く豪雨は土に吸収されて道が川のようになってしまうこともなかった

今回のように「危険だ注意しろ」と煽られていると昔の台風を思わず思い出してしまう。停電になっても家族が一箇所に集ってローソクの明かりの中で話し合う時間が子供には楽しかった。家中の雨戸を閉めてしまいそれに釘を打って雨戸が飛ばないようしているので、家は揺れず、雨音や風の音も聞こえないので、暴風雨の感覚がまったくない。家族が固まっていて嬉しいだけ。

早寝をさせられ朝起きると台風一過の青空が待っていて大人たちが一気に忙しく働きまわるので取り残された感じもした
よくよく見ると庭の木が折れていたり、葉っぱが全部落ちていたりするのだが、そういう怖さを両親たちは子供に一切見せなかった。知らせなかった。その時の柿の葉の匂いなどが今日は思い出された

一度台風の目の中にすっぽり入ったことがあり、兄が「今のうちみておけ空が真っ青、これ台風の目だぞ」と私を表に引っ張り出して二人で空を見上げたこともある

今朝は本来なら行われるはずだった「古事記講座」。講師の三村先生は神様とともに行動なさるので徳島から早朝東京につき、都内の足がすべて運休のため講座を中止。そのためチャコちゃん先生は三村先生ひとりじめで、お昼すぎまでしっかり古事記を勉強できた。楽しかったーー

本来はその後事務的な仕事をしようと思ったけど普段見ないテレビに夢中。台風ニュースではなくサスペンス。
たまにはいいよね
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着物が繋ぐもの 244

2019年10月10日 14時22分21秒 | 日記
雨の日の着物に濡れても安心ということで、ポリの着物とかガード加工をした着物を着る方が多い。もちろんそれを否定するわけではない。

でも知ってほしい、天然の防水加工された着物があることを
それは泥染めの大島紬、もう一つはセリシンをつけたままの着物、また糸を海藻で下染したものも防水効果がある

泥染めの大島紬は糸をテーチ木で染めたあと泥につけ、水で洗うという作業を何十回も続け、糸に皮膜がかかる。それが防水の役目をするだから雨にぬれても平気。雨ゴートにも最適

セリシンのついたままの布は最近めっきり見なくなったけど、このセリシンはタンパク質なので糸についたままだとやはり被膜になって防水の役目をする。ガード加工と同じだけど、ガード加工は化學処置をしているので糸の呼吸を止めている。しかしセリシンはもともと糸についている天然のものだから、糸とともに呼吸をする。

ある時セリシン100%ついている着物を着て両親のお墓の掃除をしていたら突然の夕立。墓場は避けようがなくずぶ濡れになって寺の本堂に駆け込んだ。絞ったら水が出るくらいのずぶ濡れ。寺の大黒(奥様)さんは大急ぎでバスタオルを持ってきてくださった。水気はそのタオルに染み込ませたけどみなさんが心配している顔をよそに、着物はなんともない。一ミリも縮んでいない。

セリシンがついていれば雨にあっても大丈夫と思ってはいたが、ここまでとはーー私自身が一番ビックリ。

また糸を海藻で下染めした着物も雨に安心。これも最近少なくなったけど能登の海藻で下染した能州紬がそれ。今は能州紬という名であっても海藻で下染したかどうかはわからないものが多い。平成20年から前のものは海藻下染めのものがほとんどだと思う。実際に取材していたのでわかる

このように先人たちは雨にも大丈夫という布を制作している。それを生かしてあげることが着物を愛していることになるとチャコちゃん先生は思う

それぞれのきものの素質を理解して、その目的にあった着物を求めると無駄がなく楽しい。着物はフアッションとか民族衣装とか言っているけど、着物は人とともに過ごす日常着。常にその人のそばにいて身を守ってくれる。

ポリは海洋生物の命を縮めている
私達は自然に恵まれた島に生活しているのだから、もっと自然を見つめてその恩恵に感謝したい。それを無言で教えてくれるのが着物

(このような話は毎月第2,3,4火曜日14時から)
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着物が繋ぐもの 243

2019年10月09日 09時49分01秒 | 日記
着物が窮屈って誰が言い始めたのだろう
50年ほど着物と携わっているけどただの一度も着物を着ていて苦しいとか窮屈、動きが制限されると感じたことはない

誰かに着方を教わったという覚えがまったくなく母や姉たちが着ていた姿を見て覚えたのか、気がついたら自分できていた

着物を着ない理由として
・苦しいから
・手入れが大変だから
・汚れたら怖い

・高いから
・着ていく場所がないから
・着方がわからないから
と理由を上げる人が多い

紐を荷造りのように締めるから痛い苦しい、コーリンベルトというのがある「高林さん」という男性が考案した
「襟元の崩れをこれで止めることができるよ」とおっしゃった
「襟は崩れるように着ているからこそ姿勢を正したり、笑顔で人と接したりするんですよ、襟元が決まってしまうと表情が固くなりますね」

「腰回りが緩まないようにゴムの紐と伊達締めを考えた、これで裾合わせがきりりとしまる」
「絹は摩擦に一番弱いんですけどね、布が痛みませんか?絹の腰紐が一番いいと思いますが」

「汚れても大丈夫なように、ガード加工するといいです」
「汚れ内容に注意しながら着るので着姿に優しさや主やりが出ると思うのですよ」

こんなやり取りをしたが、今やチャコちゃん先生のような意見は超少数
そうしたらなんと上のような着ない理由がいっぱいできた

誰でもが着られるように便利な道具を考えようと思ったことが逆に不便になっていて、着物から遠ざかる。自分流に気持ちよく着ることが着物本来の良さを感じるところだけど、色々考えすぎ、しかも着物を着ない男が考えるから余計着物が遠くにいく。
ぼつぼつ本来の着方に戻りませんかね
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着物が繋ぐもの 242

2019年10月08日 13時54分14秒 | 日記
着物は芸術かどうかという議論を昼食時に展開していて実に消化が良かった((爆笑)
国宝になったある染織家の取材に行ったところいきなり白手袋を渡された
そして何年か前国宝の染織家が展示して説明をすませたあと,
舞台裏でたたむのを手伝おうとしたら白手袋を渡されたので手伝うのをやめた

「それはきものという認識を持っているので違和感を感じるのですよ、彼らにとっては芸術でありアートなんです」
「だったら着物を作らなければいいでしょう?」
「着物の形がキャンバスなのです」
「マスクしなければいけないのね」
「そうです。息をかけてはいけません」
「紛らわしいですね誤解しますね」
「誤解しているのはチャコちゃん先生です。今や彼らにとって着物は着るものではありません。飾って見るものです」
「しかし着物が芸術であるというのは後の人が決めるのではないの?着物って着てなんぼでしょうに」
「だから着物の形をしたキャンバスにしていると言ってるではないですか!」
「おこらないおこらない」

かなり前の話大きな企画をしてのちに超有名になった染色家の売出しを務めた
企画が最終だんかいに入り、いよいよ明日大舞台となった時
次の企画を予定していたのにしかもそれもポスターも完成しているのに、いきなり某新聞社の企画にその染色家は乗ってしまった!

チャコちゃん先生のおこるまいことか
「あなたの売出しに多くの方が携わったのですよ、そういう義理は感じないのですか?」
「私の芸術性を認めてくれたんです私はそちらに行きたい」
「何をおっしゃってるの、着物は人が着てなんぼの世界、着てしまえばただの着物、それを芸術に見せるのは着る人の感性があるからです!」
「何をいうこの「あま」私の着物は芸術だ!」
といきなりテーブル上にあったガラスの灰皿が飛んできた
見事に避けたチャコちゃん先生後ろに控えていた広告会社の男性のお腹に当たり、窓ガラスを割らずにすんだ。

そういう若い日を思い出し「きものは芸術かーー」と独り言

そこから神奈川まで用があって湘南新宿ラインの座席で外をぼーと眺めながら
「そうなのかなあ」とつぶやく
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着物が繫ぐもの 241

2019年10月07日 11時27分53秒 | 日記

ここのところ気温が高いので「何を着たらいいか」と悩んでいる人が多いようだ

10月は袷を着るとか6月から単衣とか

これって明治5年にできた軍服や制服の衣服例の「衣替え」。それを着物に当てはめたのであって、無謀というもの

特に戦後はどうしてだろうと思うくらい「衣替え」に厳しくなっていた

それなのに「季節の先取り」という習慣は見事に薄れていっている

何を大事にするかは「自分自身の体感」ではないかしら

熱くてムシムシしているのに袷を着るなんて拷問。20度を切らないと袷の着物は肌に合わないと思う

 

日本はそういう問題をクリアするために様々な生地の種類があるというよりあった

真夏の熱気に耐えるには麻の素材が望ましい

しかし年齢とともに麻を直接肌につけるより絹の下着のほうが体が喜ぶ

若いときは麻の下着のほうが快感、年とともに今度は冷えすぎる、絹の方が心地よい

 

きものが日常であった日本の女性たちはいかに心地よく着物を着るかに心を使った

模様や素材で着物のの四季を楽しんだが、それは一般ではなく着物姿を見てもらう人たち

つまり上流階級や中流の人たちのよそ行き着、花柳界の人たちがそれぞれの四季の柄や素材の着物を身に着けていた

 

庶民の女性たちも「ここ一番」というときは季節を重要視している

 

着物は戦後になって秩序が乱れた

食べ物が乏しい戦後、正装用の着物はお米に変えられた、その正装用の着物の着付けが着付け教室で教えられ、その着物の捉え方が今日まで続いている。

つまり

日常に着る着物の着方が普及したのではなく、正装としてのきちんとした着物の着方が本流となったのだ

それを最初に教えた人たちは上流階級の戦争未亡人であったり、貴族制度を廃止され平民になった元姫君だったりした

 

そこをしっかり把握しないと季節にあった着物の着方なんてできない

心地よさは自分だけではなく周囲の目にもも心地よくなくてはならない

 

ちなみの本日のチャコちゃん先生

気温25度しかし秋の風

下着、長襦袢は夏物 表の着物は結城縮 帯は秋草撫子の手描き、素材は塩瀬、形は名古屋帯、帯揚、帯締めは冬物

汗もかかず、寒くもなく快適

 

自分自身の心地よさをまず考えたいこの頃の季節

#撫子の名古屋帯 #衣替え #チャコちゃん先生 #日常着の着物 #結城縮 

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シャンシャンに夢中

2019年10月06日 20時11分19秒 | 日記

しなければいけないことが山積みなのに、1日30分はYouTubeでシャンシャンを見ている。可愛いというのは言わずもがな、どうしてこんなに引きつけられるのか、自分だけの思いの中に生きているからだと思う

 

赤ちゃんと一緒、泣きたい時に泣きおなが空いたら後先考えず食べることに集中

パンダは生まれた時からもう自分の足で歩く、日々大きくなり1日の半分は寝て過ごして、くっちゃあ遊ぶ、遊びも自分で工夫している、しかも体が柔らかくボールのように動き回っている、かと思うと天を見て思索にふける。

 

天敵カラスとの攻防も面白いが、いつのまにかカラスを仲間にして一緒に遊ぶ関係に持っていく、カラスが面食らっているのだが、全部受け入れられたらもう突いたりするのが面白くなく近寄らなくなっている。

これって人間にも言える、いやなやつと思うと争いたくなるが,一緒に遊ぼうとなるとお仲間だ。受け入れるということをやっている。凄いよ凄い

姿が可愛いだけでなく頭も性格もいい。実は人間が入っている縫いぐるみなのかしらと思ってしまう

 

シャンシャンは母親といるときの様子も見ることができるが母親シンシンのたっぷりと注ぐ愛に見惚れる。母性の美しさを見る。ここまで愛されたら独り立ちもスッキリ行くだろうと思うとその通りだ

母と子の愛の深さが全てを決定する

胎児の時は母を独り占め、生まれるとお母さんは諸々仕事があり子供から心が離れる。そのさみしさが心に隙間を作り、その隙間が埋まらないまま大人になると外側のもので埋めようとしてしまう

 

色んな問題はその母の愛が解決するとしんしんに教わった。

深くて熱い愛そこに父親は必要ない(笑)父はひたすら稼げば良い。

昔のお母さんはうざったいと思われようが子供に愛を注いでいた

パンダの親子を見ていてつくづく母の愛の大切さを知った。溢れる愛に満たされたシャンシャンは、カラスとも争わず自分の楽しみに生きていて、ただ存在しているだけで人を癒している

今日もまたこれから楽しむのだ

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