チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 484

2022年04月16日 08時14分22秒 | 日記
湯文字を強調した「比佐子流の着付け」の動画を昨日撮影
久しぶりのスタジオで現役のころの心根になり、何となく態度がきびきびするのが自分でわかる
体に染みついた経験というのはこういう感じなのだ
自転車に何十年ぶりかに乗ってすぐ運転できるのも、体の細胞が覚えているからであろう
昔から「経験が学び」という言葉を聞いたが、幼少のころの経験が今この年になって役立つということもある

東京は二日続きの雨で屋内の中で仕事をするにはもってこいの空気だ
カメラマンとは「初めまして」との言葉から始まる
まだ若い、着物は着たことはないし、着付けの順序を見たこともないと
チャ子ちゃん先生の「着付けの塗り絵」の本が教科書だ

でも初めてだからこそ、細かい角度の撮影ができると思う
全くその通りで、手順もわかりやすく、美しい映像になっている
此れから編集をして、ナレーションが入り完成までにまだ時間がかかるが、出来上がりが楽しみである

モデルはチャ子チルドレン(大阪にそういうグループが出来た)の田中美咲
美咲さんと出会ったのは大阪の「丸十呉服店」だったが、「湯文字」に興味をもち、大阪から東京に出げいこをしてくれていた
その為比佐子流の伝道師だ、ほとんど毎日着物で過ごし、生徒さんたちにも自ら教えているので、着付けの時の骨の使い方や、ここでぎゅっと紐を縛るということがよく会得されている

どこを見せるかも体が分かっているので、撮影もしやすかったし、見ていても
「なんだ着物の着付けってこんなに簡単なの?」
という感じに仕上がっている
モデルの田中美咲さんに感謝だ

紙面で見せる着付けの写真は随分と数をこなしている
しかしそれだけではわかりにくいと思い、塗り絵を作った。でも今の時代は動画だ。チャ子ちゃん先生は今でもマンツーマンで教えているが、この動画は昔の女性が鏡も見ないで着ていく工程にちょっと手を加えた程度だ

身に付けば五分で着られる
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三角関係

2022年04月14日 10時00分02秒 | 日記
昨夜の
「チャコちゅうぶ」は大失敗
ご覧いただいている方たちに届かなっかった
いろんな原因を考えた
「月経血コントロール」
が湯文字で出来るという話だったのだが、微妙なことをアレコレ話すつもりだったので、神様が
「今はそんな話はしない方がいいよ」
と禁止命令を出されたのかなと思った

確かに女の体のことを細かく言わなければならない、これはリアルな対面で言うべきことだったかも。そこで初めて皆さんが納得することなのかもしれない

しかしほかに原因があるのではないかと調べたら
「あった!」
wi-fiの三角関係であった
部屋の備えられているwi-fiとiPhone用の携帯wi-fiがチャ子ちゃん先生が使うノートパソコンに入り、双方で協力していた
所がノートパソコンは終日部屋に置いてあるので、部屋のwi-fiに世話になっている、ところが好意たっぷりの携帯wi-fiの手助けもあり、さてどっちにしたらいいんだろうと、人の好いノートパソコンが迷っているうちに本番

そしてどっちつかずの結果になり大失敗

男女間、仕事間、人間関係こういう三角関係で誰も幸せにならず、周囲も巻き込んで、みんなが不幸になるという実例沢山ある
知人で三角関係の末双方に引っ張られていた男が病になって亡くなった

仕事関係もどっちつかずで、だれも稼げず失敗
という症例も随分見てきた

一人一人が自立して自分の軸を持っていないとかかわったみんなを不幸にするよ、という証を見せてもらった感じの「チャコちゅーぶ」の失敗

生きているって毎日毎回学びなのね

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ちょっとおかしいと思う

2022年04月13日 08時41分15秒 | 日記
ある著名な作家?が超有名な夫人一家と久しぶりに食事をしたのだそうだ
それは結構なこと
そして一族の記念写真を公表していた
その時の様子を解説していたが
「息子さんが私の方に傾いている、これにはドラマがあり、私が重い荷物を持っていて、ちょっとよろめいたので、腰を支えてくれていた時のショット、優しい息子さんだと思った。いい家族」

そうかなあ
老人が重い荷物を持っているのなら、最初から持って差し上げればいい、腰を支えてくれたから優しいなんて、あんた違うよ。とすぐメールをしようと思ったが(この方が若い時から知っているので)やめておいた
そういう表向きの優しさを良しとするお人なのだな、そうだったんだ!とやり過ごすチャ子ちゃん先生
「何か違う」
という感覚を持ちつつ付き合うことが多いのが今の日本人

昭和50年代までは、人ごみの中で肩が触れたりすると「ごめんなさい、失礼」という言葉が発しられ、それが出ないと「ごめんなさいという言葉を知らないのか」と大人にどやされた

また満員電車に乗っていて、出口に急ごうとする人が「失礼します降りますのでごめんなさい、ありがとうございます」と言って道を快く空けてもらっていたが、今は黙って無理無理通ろうとする人が多く、多いというよりほとんどで、日本人がみんな無口になってしまった

重い荷物を持っていれば、「手伝いましょう」の言葉がすぐ出ていた
女同士でも若い方が年上の婦人の荷物を当たり前のように持って手伝っていた。そこで二言三言の日常の言葉が交わされ、なごんだものである

唖になった日本人がスマホの画面だけがわが人生のように無機質な人間になっていくのが見るに忍びない
日本人を取り戻したい、痛切に思った老作家の文章だった

本日の「チャコちゅーぶ」20時から
チャコちゅーぶで入れます



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着物が繋ぐもの 483

2022年04月09日 10時14分17秒 | 日記
気温が一気に上がった
清明に入ると春本番
そうすると明るい着物が着たくなる

ある時から御年を意識してしまい、すこしでも「派手かな?」と思う着物は、若い方たちに差し上げてきた
さてこのころ
姪の娘を呼び出し、暫くあの着物、この着物私が着るから貸してちょうだい、と言って取り返している

血のつながった者にはこれが出来るが、他人様にはそうはいかない
姪の娘はお茶のお稽古もしているので、着物は必須。それにバイリンガルだから、外国にも茶道指導に出かけていて、チャ子ちゃん先生が面白がってデザインした着物が活躍している

昨夜二枚ほど取り返した
考えてみると、着物はすごい
40歳の差があっても同じ着物を着ることが出来る

またこの二枚も私が40代にデザインしたもので、ただ派手ではなく面白い(自画自賛)

「しばらくおばちゃんが着るからね」
「いいですが必ず返してくださいよ、貴重な着物だから」
「もとは私のなのよ、わかってる?」
「わかっているから大事にしようと思っているんですよ」
押しつけがましい大叔母ではある

夕食を一緒にしながら、彼女のお茶の師匠でもある、私の姉の思い出話で盛り上がる。
「おばあちゃんは比佐子おばちゃんを跡継ぎにしたかったみたい、古いお弟子さんに、そういう話をしているのを聞いたことが在る」
「ははは無理だね濃茶が飲めないもの。茶道のお稽古は一生続けなさいね、日本文化の基礎だから、あなたの立ち居振る舞いは美しいよ、茶道で鍛えられたたのよね」

「今日99歳の茶道の先生のお点前を拝見したけど、流麗だった、おばあちゃんがもっと生きていてほしかったと痛烈に思ったの」
「生きていればその方と同じ年ね」
「おばあちゃんも93歳でちゃんと正座して、すくっと立ってお点前していたのよ」
「私は椅子からすくっと立てるわ」
「いやーだおばちゃん!」
「ハハハ」

今日はその派手な着物を着て静岡で講演
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植物の方が覚醒してるね

2022年04月08日 08時19分09秒 | 日記
新宿はいいお天気、快晴だわ
久しぶりなので気持ちがウキウキする
今年の木々の成長は例年よりちょっと遅いのだけど、何か自信に満ちている感じがする

見過ごしそうな小さな花も堂々としている
ひっそりと可憐に咲く花もなぜかにこにこ笑っている感じがする
こういう感じ方は見る人の心模様だという人もいるが、そうとも限らない

その道の人に聞けば
「地球はもうとっくに次元上昇をしていますよ、そこに住む人間が三次元にへばりついているだけ」
次元上昇が具体的にどういうことになるのかわからないが
人々が地球と同じ次元になると、うれしうれしの毎日になるのだという

お金がすべての世界が三次元だった
お金を稼げば、お金を持てば幸せになるとみんな思った
というより今も思っている人が大勢いる

勉強して、いい学校に行き、大きな会社に勤めれば、将来は安泰
そうだったかしら?
会社で上司に気に入られることばかりの行動をしている男たちが、定年になって社会に出たら、誰の機嫌を取っていいかわからず、自分の生きる道を見失っている人も多い

お金を追っかけて億万長者になっては見たが、人間としての作法が出来ていないため、やはり社会では孤独

地球は私達に多くの贈り物をしてくれている
それを独り占めしようと思っている人達が世界を動かしていた
世界中を争いに巻き込んでお金儲けをしているけど、そのからくりに気づいた人たちが、立ち上がり勇気をもって金の亡者と戦いを始めた

地球はとっくに戦う心を消してしまったいるので、武器分限者たちはおそらく地球から外れていく、争いの心、自分だけ良ければ、人を陥れる、そういう波動はもう地球には合わない

自然との共存共栄で平和に暮らすお手本が日本民族だと思う
木々の緑は多分そこに気がついてね!
と言ってるんだろうな
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失敗続き

2022年04月07日 11時19分26秒 | 日記
ここのところ気候不順のせいか(他のせいにするな)失敗続き
アマゾンに注文した品が、二つずつ同じものが届いたり、つまり希望の品を押し間違えただけだけど、気が付かない愚かさ

いつもは絶対しない、休む前にジュースを飲んで、喉に痰が詰まり咳ばかりして寝付けなかったり(普段はジュースは飲まない、何十年ぶりかのジュース)

振り込み先を間違えたり
挙句に真夜中箪笥に頭をぶっつけ、たんこぶを作る

何かが掛け違っているのだと思うので、確り心を整えようと瞑想するが、雑念ばかりが次々に沸いてきて落ち着かない
それで公園を散歩する、新緑の美しさにうっとり、朝日に照らされてますます光り輝いている、その光の先をぼんやり眺めていると、騒がしい心が静かになった

瞑想よりこちらの方が向いてっるんだ、チャ子ちゃん先生には
一日いたいなあ、ここに
幸い本日は何も予定がない。こういう日に心を整えて思いきりぼんやり過ごしておこう

さすがにお腹がすいて戻ってきた

こうやって整える日を神様は作ってくれる
本当は自分で感じればいいのに、自我を強くするので、こつんとくるのであろう。まさに頭を「こつん」とやられた

こういう失敗を気が付いて解決しておかないと、次にはもっと大きな失敗が来る。それでも気づかずに我を出していると、病気になったり、とんでもない悲しいことが起きる

長い一生こういうことを何度か経験し今がある。失敗は小さいうちに気づくことが大切。それが神様と仲良しになる早道だとやっとわかるおバカではある

さて本格的なコーヒーが飲める道具がそろった
豆で7日、粉で3日、たてて30分で、酸化していない、前頭葉を活性化するコーヒーをゆっくりいただき、失敗から卒業をしよう


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子供心

2022年04月06日 11時30分38秒 | 日記
この世に生まれきて、見るものすべて新しい、好奇心いっぱいの子供
この心を一生を持ち続ける人が「変わり者」とか「天才」と言われる
世の中の規律にあてはまらず
自分の興味のないものには一切心を動かさない
しかし
興味のないものでも{なにかな?」という心で見るのが子供心

子供は純粋と言われるが、もちろんそういうところもあるが、これほど善悪がはっきりした心を持っている時期はない
言葉で表現できない分行動で示す
直感でしか動かないので、自分に害を加える人がすぐわかる

最近といってもここ数年、チャ子ちゃん先生は電車に乗ってくる、乳母車に乗った幼児に語り掛ける。喜ぶ親もいるが、怪しいと思って場所を変える親もいる。しかし子供は興味があるので首を動かして澄んだ目で話をしたがる

先入観のない透明な目が語り掛けてくる
特に動くものに興味をそそられるらしく、手を振ると同じような形の手にして答えてくれる。首をかしげると小さな首を動かす

彼らは私達が失った「あれはなに?」「それどういうこと?」という探求心をを持っていて、それが解決されると手足をバタバタして喜んでくれる

歓びも怒りも不満も全身で表現し訴える


言語を話し出すとそれが抑えられてきている。頭で理解するそのようになるからであろうか?心で感じるということが薄くなるようだ、だから行動に移せない
「見て、心で感じ、行動に移す」
という三つのパターンが無くなってくるのは、いろんな知識を頭に詰め込んだ大人たち、知識をたくさん頭に入れると、その知識で物事を判断し、行動に移す前に完結してしまう。だから「知恵」が育たない

日本人が敗戦後そのように教育されてきた
でも子供心はみんなの魂の中に生きている
今日のチャコちゅーぶはそういうおはなしをしようかな


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雨が続きますね

2022年04月04日 08時18分22秒 | 日記
桜の季節は三寒四温の真っただ中
この時期の雨は木々の緑を伸ばすとき、その葉っぱの成長のたくましさを見ていと、昔不思議なおじさんを取材したことを思い出す

「木の葉には殺菌力と毒素を消す力があるので、木の葉を日本料理にはよく使う、その理由は料理人は分かっていることだけど、葉っぱにはもっと強い力がある」

「何処か痛いところがあるか?」
と聞かれ
「しいて言えば首の根っこですかね」
「肩が凝ってるということだな」
「ああはい」
「そこにこの葉っぱを載せてごらん」
とお榊の葉を四枚渡された。それを首の根っこに置いたところ瞬時に首の根っこが温かくなり、話の間中載せたままにしていたら、なんと30分後には首が軽くなった

「どんな葉がいいのですか?」
「なんでもいいよ」
どうしてそうなのかという話はここでは長くなるので書かないが、納得する話をいただいた
そして日本人の衣食住を改めて眺めるとと、葉っぱを使う場面が非常に多い
料理の場合は椿の葉や柿の葉っぱ紅葉などは常連さん、葉蘭などはお皿代わりに使っている。柿の葉寿司などはまさに葉っぱの力を存分に利用している。道明寺や桜餅の櫻の葉っぱもー-
なにげなく食べたり、使ってたりしていたが、昔の人はそういう知恵を持っていたのかと、改めて見直してみると

障子やふすまが破れたりするとそこに紅葉の葉を張ったり、美と実用を実に巧みに使いこなしている。着物の柄に植物が多いのもそのパワーを身に着けるということが大きい

そういえばパンダは竹の葉っぱであれだけ成長、猫も体の調子が悪いと、草を食べたっり葉っぱを嗅いでいて自然に治癒させている

雨よフレフレ
葉っぱよ大きくなれ


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櫻は美しい

2022年04月02日 07時31分54秒 | 日記
特に夜桜は怖い美しさがある
夜桜は一人で鑑賞するもの
「願わくば花の下で我しなんその如月の望月のころ」
西行の詠んだこのうた心奪われたのは思春期の頃だ

まだ陰暦と太陽暦の区別がつかず、如月は二月なのに櫻なんて咲かないじゃあないの?また望月という同級生がいて
「あなたの顔が丸いのは名字のせいね」
なんていじめたり

感傷的なのか、お笑い的なのかわからない青春

でもこの歌が気になり桜の下にはなぜか入れない時期があった
軍歌にも櫻はよく使われていて、潔いのか悲しいのかわからない花だなあと思う様になっていたのだ

余りの美しさ、散り際の潔さ、地や水を花びらが埋め尽くしても風情がある
生まれる前から人に期待され
生まれて命が消えるまでその時々を人に愛される
それは花が枯れて色が変わらないということもあるのかもしれない
木から離れても花でいられる

夜桜を眺めていると、悲しいのか嬉しいのかわからないような複雑な心境になってくる。昼と夜の姿の変化も又味わい深い

こりゃこりゃとグループではやしながらの花見も楽しいが、一人でゆっくり眺める夜桜も捨てがたい

この西行の歌を着物の柄にしていただいたことが在る
東京手描き友禅作家の20人に、東京多摩シルクの白生地を渡し、この歌のイメージで手描きしてほしいと依頼、出来上がった着物を仮縫いにしてスタンに着せ、新宿の高野の画廊で発表
タイトルは
「旅立ちの祝い衣」
つまり亡くなった方に西行のように桜の精に導かれてほしいという願望だった

仲の良い友達のお母さまが
「その日のためにこの着物にしよう」
と購入していただいたのをきっかけに、あれよという間に完売
お母さまはその着物に包まれて旅だった


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日本人の美意識

2022年04月01日 09時15分49秒 | 日記
人それぞれ美しいと思う心が違うようで実は日本人て「美」に対する感覚は
同じに思う

世界から見ると日本人の美意識は特別かもしれない
だから日本に興味を持つ
印象派の画家たちが日本の浮世絵から着物から陶器から漆器から強い影響を受けてるのも、日本人特有の美意識に衝撃をうけたからだ

では日本人の美意識ってなーーんだ
と言えば
「足し算ではなく引き算」
引いて引いてこれ以上引けないというところに、真髄の美を見る
茶道も華道も能も香道も短歌も俳句も絵画も建築も料理もしつらえ、美しいと思えるものはほとんどが引き算の美学を誇っている

派手さ華やかさの中にも、必ず計算があり基本が在る、その為派手さが明るさとなって落ち着く
けばけばしさを下品とみるのは、そこに「知」が存在していないからで、どんなことにも「素養」ということを大切に考える
素養は稽古事で身に付く、レッスンではない

美のわかる人は行動も、言語も日々の暮らし方にも「素養」「教養」がにじみ出る。教養は学問ではなく「何が美か」を理解していれば自然に美しい

本来の日本人は
始めて外国から来た人たちの目に
「ドンナに粗末な衣装を身に着けていても、人品に品がある」
と言わしめている

裕福な人だけが美意識が高いのではなく、市井の人達が自分自身の生き方に誇りを持ち、貧しさも美に替える知恵を持っていたということであろうか

武士の衣裳を見ていてつくづく思う
武士道は精神性を高めるものだが、その精神が着るものや行動にもきちんと現れているんだなあー-と

日本人の美意識はやはり武士から生まれているのかと感じている
死がすぐそばにある生活は、「美」を求めることで命が昇華できるのかもしれない。
毎朝目が覚めることに感謝


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