チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

本当の終戦は9月8日

2022年08月15日 07時50分41秒 | 日記
昭和天皇が
「堪え難きをたえー--」というラジオ放送して
連合軍からもう降伏しなさいと勧められた「ポッダム宣言」を受諾したことを国民に告げた。この時点ではまだ戦争は終わっていない
だから遠い戦地ではこの時も戦争中だった
「どうも戦争は終わったらしいよという認識しかなかったと、復員してきた人たちが話していた

それまで天皇陛下は「現人神」であられたので、下々の民衆はお顔も見てはいけない、まして肉声を聞くなんて考えられなかった、だから天皇陛下の放送を「玉音」と言って大人たちは正座し頭を垂れて「神様のお言葉」の放送を聞いていた

1945年9月2日ミズリー号の船上で「降伏文書」に調印
1945年9月8日に連合軍側とのサンフランシスコ講和条約が締結し日本は無条件降伏を受け入れ、正式に戦争が終結

この時日米安保条約の締結 占領軍が日本列島に駐留
中国、朝鮮との賠償問題も一括処理で決着(その後の諸問題の言いがかりはおかしい)

そして日本は敗戦国として今日まで自立が出来ていない
戦争の名称も「第二次世界大戦」と一般に言われているが、戦争が終わるまでは「大東亜戦争」と呼んでいた
この文字にあるように日本は亜細亜の独立のためにも戦った
ヨーロッパや中国の植民地だった国々は、日本の軍人たちによって独立の手助けが行われ戦争が終わってもその地にとどまって、独立戦争の応援をした日本兵は大勢いる

今でもアジア諸島に親日国が多いのは「日本を尊敬してくれている」からであろうか

戦争によって、また安保条約によって日本の日常に必要なものをいろいろなくしたが
「言葉」が無くならないのは幸せだった
言葉がある限り日本人として生活できる
そしてアジアの国ぐにの独立を助けたという誇りも失いたくない、それは命がけで戦った方々への感謝でもあるから

8月はいろいろと考えさせられる

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お金の勉強

2022年08月14日 10時31分11秒 | 日記
日本の家庭は子供たちにお金の勉強をさせていない。だから日本人は資産を増やせないし、老後が貧しい。「今ですよ投資の勉強をして資産を増やしましょう」
と友人に誘われて「お金の勉強」に行った

日本人は貯金が好き、利息は0.001ですよ、100万円を一年預けていても10円です。でも同じ銀行の株を買うと3万円になります
また上場する前の株を買うとその株が一株8万円だったとすると、上場したとたん倍になるか10倍になったりする
年金もこれから若者1.7人が支えることになり、もらえるかどうかわからない
多分24年の渋沢栄一の新円が出たとき、預金封鎖もあり得るかもしれない、またお金の価値が一気に下がっていくこともある
日本の企業はもうどこの国も相手にしていない、外国企業の株を買うか、外国の銀行にお金を預けたほうが利息3%で安心

この様な話を3時間ばかり聞いているうち、すっかり洗脳されたチャ子ちゃん先生、余分のお金もないくせにホイホイ会員になってしまった
その友人と
「お金持ちになって世のため人のために尽くそうね」

別の友人に
「お金の勉強を始めたのよ偉いでしょう?」
と自慢したら
「どんな内容?」
比佐子さんこの日空いてる?別のお金の話も聞いてみたら
ということで出かけた
投資はお金が余っている人がやるべきことで、お金のない人がしてはいけない
まず稼ぐということはどういうことか
それは労働 時間で働く、職人もそう、専門家たちの対価
では儲けるは
経営、戦略、競争相手が出てくるのでそこでどう儲けるかを学ぶ
投資はギャンブルと一緒 人の手から離れて金の投機、沢山儲けた人がやるべきで、善意で仕掛け、仕掛けられた方も喜びと幸せがないといけない
そこで初めて資産が生まれる

昭和以前の資産家は日本の美術工芸や建築、鉱山開発などに多額のお金を投資している、それが本当の投資
稼ぐー儲けるー投資
この順序を逆さにしては失敗する
稼ぐには収入を最大限に、支出を最小化にするそして儲けを出す
労働がまず第一ですよ

激しく納得、しかもこれから先も教えていただくことを約束したが「無料」
無料は怖いといったら
「私達は十分に豊かなんです」
一方の会費を払ったところは、会員は一年間はやめられないという、契約書をよく見なかった私の失敗(一年間会費を払う)
失敗したから、まともなお金の勉強が出来た

導きの神様がいらっしゃる
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今更ながら

2022年08月13日 10時24分38秒 | 日記
8月はいろいろと日本のことを考える時間だなあとつくづく思う
そして年を経て見えるものがあるということに驚く
まだ20代の時尊敬する美容家の大関早苗さんに
「チャコさんがもっと年齢を重ねていたらなあ」
とため息ともつかない言葉を聞かされ、「大人ぶっていても理解できないことが多いのだな」と思ったことがる

それは彼女が持っていた塩尻の別荘から車で帰途に就くときっだった
三鷹の高台に瀟洒な自宅を構え、軽井沢と塩尻に別荘を持ち、麹町に事務所と店を構え、日本初の「チャームスクール」も大成功をおさめ、順風満帆どこに悩みがあるんだろう、と若い私には理解が出来ない

自宅に帰る道順に私の家があり、予告もなく突然立ち寄って、夕食の余りをさも美味しそうに食べて、暫く雑談して帰っていく。運転手さんを車で待たしているので、お結びとお茶をもっていくと
「チャコさんのそういうところ、お母さんの躾がいいのよねえ」
「母がやっていたことをまねているだけですよ」
「それが大事なのよ、私は子供たちに母の姿を見せていないのよ」

聴いてはいけない言葉を聞いてしまったとあわてる私に
「二人とも聞いてね」と夫と私に語り始めた
二人の子どもを設けてすぐご主人は戦地へ、そしてそのまま帰らぬ人に、二人の子供を抱えて途方に暮れたけど、その日の糧を稼がねばならず幸い家は焼け残ったので持っていた衣類や家具調度品とお米や野菜に替え、何とか子供たちを育てた。世の中が少し落ち着いた時、女たちはどんな生活になっても身だしなみに心配る、これからは洋服の世界がくる、今まで敵だと思っていた国に美容の勉強に行って、日本の女たちを美しくしたい。そして子供を親戚に預け留学した

勉強をして働いて働いて、美容界からは異端児扱いされ、其れにも屈せず自分の信じる道をひた走り
「でもね、子供にはその母の姿は理解できないのね、当たり前よね、前だけしか向いていなかったんだもの」
答えの出ない私、ただ聞くだけ

塩尻からの帰りも、子どもへの悔悟、美容界との軋轢、そのどの話も経験不足の私は聞く事しかできない
しかし今だったら

いろんな年代の人、いろんな環境の人との付き合いが自分を育ててくれるのだと思うと、先輩たちとの時間がただただ尊とかったなあ、それをつむいで若い世代に伝えて行こう

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山がそこにあるから

2022年08月11日 09時00分34秒 | 日記
そう山は動かない
どんなに美しい雲が山を覆ってもその雲についていかない
自分自身がいろんな色に染まってもそれに固執しない
どんな色にも染まっても嫌がらずむしろ面白がっている
山の中に住む動物を追い出したりしない
雨でびしょぬれになっても雨をよけたりしない
雪が積もっても黙って受け入れている
いろんな植物の成長を黙って見守っている
嵐が来ようがびくともしない
そう山はすべてを受け入れそれに影響をされない

しかし
時に火を噴く
その火はすべてを浄化するためだ
自らを浄化する強さも持つ
それでも山は動かない

今日は山の日だそうな
あらためて山を観る






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皇后陛下と時代の推移

2022年08月10日 08時45分11秒 | 日記
富岡蚕糸工場に取材に行ったとき、明治天皇陛下の皇后陛下(昭憲皇后)がこの工場に視察にいらして、工女さんと親しく会話をし、糸を取る現場を見て繭の大きさに驚かれ
いままで自分が認識している繭と大きさがあまりにも違うので、どういうわけかと質問をなされたという話を聞いた
国の政策として「生糸」は外資稼ぎの筆頭なので、たくさん糸が取れるよう中国蚕と国産の在来種を掛け合わせ、長くて丈夫な糸が取れるように改繭したのだとの説明
「其れでは在来種の蚕は日本から絶滅していくではないか」
「いえそれはきちんと蚕糸研究所を設けて在来種の種は途切れないように研究員たちが飼育しています」
「それではその在来種を皇室でも飼育しよう」

その後の大正天皇陛下の皇后陛下(貞明皇后)がその遺志を継ぎ大日本蚕糸会の総裁(現在は正仁親王が在位)につき全国の養蚕農家の力になっていた
明治大正と世の中が大きく変わったとき、皇后陛下たちは女子教育に力を注ぎ、学校の設立女性の意識を高める手をさまざまなところで打って、女性の地位向上に貢献してらっしゃる

昭和天皇陛下の皇后陛下(香淳皇后)は大東亜戦争の敗戦、天皇陛下は現人神であったのに「人間」となるなど、時代の大変化の中でお子7人を育て表には、皇后さまの社会に対する思いが伝わってこなかった。夫唱婦随の人生だったのだろうか

美智子皇太后は初めての平民皇后として、開かれた皇室、象徴天皇という立場の内助役に徹しておられた、また昭憲皇后から続く在来種の蚕の飼育や在来種の草木を育てられ、国民の心に寄り添うという姿勢が美しかった
新皇后陛下の雅子さまはもち前の語学力を駆使し、外交の皇后陛下としてご活躍。日本の文化を海外に伝達してくださるだろう

その時代の皇后陛下の生き方からも時代が見えてくる

さて本日は「チャコちゅうぶ」20時からです


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持ちすぎたなあ

2022年08月09日 07時42分20秒 | 日記
断捨離などない時代があったこと私達は忘れている
江戸時代はまさにそう
使い切るということが当たり前だった
その底には
「命を頂いているのだから、使い切ることでその命を全うさせよう」
という解釈っだったのだと思う

断捨離という言葉がなんとも悲しい
つまり持ちすぎたから必要がなくなった物は捨てる

大量生産が当たり前の時代が来た時、目につくものをアレコレ買った。競争するように買いまくった
そういう時代の真っ最中に友人の家に遊びに行った。買ったばかりの家の中に、きらめくドレッサーがありその中を見せてくれた。洋服が50枚くらい入ると自慢していた、引き出しにはメガネが10個以上、時計も10個以上、ハンドバックや靴の数もそれぞれ50個くらいあり、宝飾も美しくキラキラ輝いていた

物に囲まれた一人暮らし
一緒に伺った友人たちと求めた新築祝いを出しそびれて、どうしようかと思案
「今更ねえ」
「あみだくじしよう、当たった人が持って帰る、そして当たった人がみんなのお茶代支払う。というのはどう?」
「いいねえ」

時代の流れで、多かれ少なかれみんな物は持ちすぎていた。だからうらやましいという気持ちはなく、逆に自分たちの物を買う姿におぞましさを感じ
「よく吟味して買って大切に使いましょう。って母が言っていたなあ」
「本当にいる物だけ買いなさい。ともね」
「使い切ったら新しいのを買うのよ」
「鉛筆なんかもそうだった、こんなちっちゃくなるまで使っていたね」
「消費しないと経済回らないし」

買うことを控える
ということはぼんぼん物を買っていた人たちにとって、むつかしいことだった
物の価値に気づいた人たちが断捨離ブームに乗らないでいる

何が大事かということを考えさせられる毎日
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痴れ者よ

2022年08月08日 09時11分06秒 | 日記
痴れ者、しれもの
知恵者はお愚かな者を「痴れ者よ」と言って切りすてていた
「この馬鹿が」とか、「この阿保が」と言われるよりグサッとくる言葉だけど今は全く死語となっている気がする

今は時代小説とか時代劇で耳にする程度かもしれない
昭和40年代までは大人が大勢いて、無作法なことを言ったりしたりすると「痴れ者がー-」という言葉が飛んできていた

そうすると最も軽蔑される人間が「痴れ者」とわかる。痴れ者の内容はとにかく無作法である、人の心が分からない、自分勝手なふるまい、周囲の空気は全く読めない、自分だけ良ければいい、「自分だけ、今だけ、金だけ」という人間に対して、身の程知らないものに「痴れ者」という怒声が飛んでいたように思う

ウクライナの大統領夫妻が戦地をバックに高価な洋服を着て楽しそうにポーズを取っている写真が「ヴオーグ」というフアッション雑誌に載っていた、しかも表紙から口絵に至るまで夫妻のフアッショナブルノ写真だ
それを見たとき思わず「この痴れ者が」という言葉が頭に浮かんだのだ
イタリアに別荘を購入したりという記事も見たばかりなので、こういう国に住んでいる人たちのやるせない気持ちが理解できる

しかし日本もこの77年で「言葉」を失った「痴れ者」かもしれない
言葉は親や祖父母、または人生の先輩たちから教わることが多い。道に迷えば叱咤や励ましの言葉を聞く
「この痴れ者が」と片付けられたらもう明日がないほど打ちひしがれる。打ちひしがれた者を言葉で元気づける人が現れる、そうすると自分の立ち位置や、自分がやってしまった事の重大さに気が付き、それを直そうとする知恵がついて、人格形成が成り立っていく

言葉はテレビ、漢字はスマホの転換、「人」から教わることがほとんどなくなってきた現代は「諭す」人も姿を消している
それでは国の文化は日々凋落していく、ある人が「円安になった日本」はどの国からも相手にされていないですよ。と言っていたが、お金のあるなしで国や人を図るのではなく、どれだけ知恵を持っているかが重要な時代になっていくのではないかと思う

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着物が繋ぐもの 496

2022年08月07日 08時41分52秒 | 日記
浴衣姿がちらほら街に出始めた
お祭りや花火が復活したためらしい
疫病を平定するために祭りや花火があったのに、今回は疫病で一気に粛清になってしまい、本来の祭りの意味がなくなった

それでも復活したことはめでたい
いろんなところでしゃべったり書たりしているが、チャ子ちゃん先生は浴衣が苦手、羽織と浴衣がどうも似合わない。と自分で思っている

浴衣を着たのは手術をした時、その時は入院する前に竺仙で鯉の滝登りの柄の浴衣をつい丈に仕立て、「燕帯」という前が角帯風後ろが蝶々結びになる帯も用意し、術後の衣裳とした
これがなかなか着心地がよく、病人病人していないので気分も明るくなり、主治医も驚くほどの速さで恢復、退院

いまでもその浴衣のおかげだと信じている
人って着るものによって気分が大いに変わる。特に着物はそれが顕著だ
喪服を着れば体全体が悲しみの風情になる、留め袖を着れば女の風格が自然に醸し出される、紬に手を通せば気持ちがしゃきっとするし、動作もきびきびになる、とろんとした染の着物を着れば、優雅な仕草が自然にでてくる

誰に教わるのでもなく、着物を体にまとうことで着ている人の心根が着物に沿っていくのだと思う、だから一人の女がいろんな女を演じることが出来る、こういう衣裳って他にあるのだろうか

洋風にもそれらしき風情を味合うことが出来る。ジーンズをはけば活動的な動作になるし、イブニングを着れば優雅な身のこなしが自然にできる。しかし着物のような多様性は望めない
素材で仕草が変わり、色で気分が変わり、柄付けで作法まで変わってしまう

浴衣はそういう中で、どうしても家着としての感覚に落ち着くのだ、つまり家族でくつろぐときの衣裳という感じ。それに素肌に近い格好で着るものなので、体の線が浮き彫りになる。特にヒップライン

そんなことを考えていると、浴衣を外出着として着る勇気が持てないでいるちゃこちゃんせんせい
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原爆が落とされた日

2022年08月06日 10時31分18秒 | 日記
むごいことをされたものだ
日本の土地は永遠に死んだ土地となり草も生えずもちろん人も住めないといわれた。ところが10日も経たず草が生え始めたのだ!
まさしく土こそすべての原動力
土の力によって生命が再生され、人々の生活が始まった

結婚した相手が広島の人で、まずはお墓参りをした
その時あまりのことに言葉が出なかった
お墓に眠る方の新しい死亡日が昭和20年8月6日と刻印されていたのだ、どのお墓にも
「原爆が落とされた町」ということは、もちろん重々わかっていたが、この日付を見たときの衝撃は計り知れない
それから何度かお墓参りをするがそのたびに胸が痛む、そしていつからか、一人でお参りに行ったときはすべてのお墓にご挨拶するようになっていた。そうしないとしないと落ち着かないのだ

夫の従兄が60歳にして初めて語ってくれた話がさらに悲しい
原爆が落とされたときは10歳だった
その日はたまたま市の中心地にある学校の登校日だった。集まった子供たちは用が済んだ後グランドで野球を始めていた、
従兄は夏風邪をひいていて仲間に加わらず、校舎の中からその様子を見ていた
「何か光った!」
猛烈な熱風が吹いてきた。土間に身を伏せて砂塵も落ち着いたので身を起こすと、グランドにいた同級生のほとんどの子の姿が見えず、黑い布のようなものが飛び散っていた
駆け寄ろうとしても体が動かないー---

その重荷を背負ったまま生き続けている自分が幸せなのか、彼らの人生が10年でもぎ取られー---
と言葉が続かない、聞いている私もその先を促す言葉もない

その日従兄もお墓にお参りに行っら、私が一つ一つのお墓に黙とうをささげている姿を見て、自分がずっと誰にも言わず黙っていたことを話したくなったのだと、寺の縁側でセミの声を聴きながらとつとつと話して聞かせてくれた

その従兄はそのあとすぐがんで亡くなった
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感染者世界一の日本

2022年08月05日 09時38分51秒 | 日記
コントのような話 感染者世界一
ちょっと前までは世界の文明国で感染者が一番低かったのに、ここへきてどんどん人数を増やしている
もうみんな気が付いていると思う
マスクせずワクチン打っていない人に感染者が少ない
何故?
そういう人達は免疫力が高いから
それにすでに「こ」は普通の風邪と思しきことになっている
毎年インフルエンザで亡くなる方もいらっしゃるけど、ここ数年はその数が極めて少ない、どうして?

布施純郎先生たちの医師グループの研究発表はとても参考になり、真実が分かる。布施先生とはある会で一昨年お会いし、その後いろんな情報を教えていただいている。「4回目のワクチンを勧めない理由」という先生たちの座談会は秀逸

一方で人間的な知識だけでなく、其れこそサムシンググレート的な方々によって、ワクチンに入れられている「ナノチップ」は消されている場合が多いというメッセージもある

何よりなんでこの「こ」が蔓延したかの根本的なことを、きちんと調べることが先決だと思う。それがわかるとまったくこわいことはない

私達が行動しなくてはならないことは「普通の生活」を整えるということだ。何よりも怖がらず、日本人の生活習慣に自信をもって、旬のものを旬にいただき、野菜中心の生活にして、いただいている命に感謝する。早寝早起き、自分自身の仕事を黙々と楽しく進める

きちんと物を作っている人たちの生産物を応援し、大量生産したものにはもう手を出さない、薬もほどほど、とにかく治癒能力を高めればそれだけで健康になる

チャ子ちゃん先生はきものを深堀しているので、きものがいろんなことを教えてくれる、日本が外国からの輸入という政策をかの国に押し付けられ、自給がままならないことになっていたが、目覚めた方々の勇気ある決断で、日本は元の農業国になりつつある。何もかも与えられていることに感謝して、明るい未来を作りたい

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