新聞の書評で知り、父の延命治療について悩んだ経験のある私としては気になっていた本です。
ページを繰ると、最初に著者の言葉が。
サイレント・ブレス
静けさに満ちた日常の中で、穏やかに終末期を迎えることをイメージする言葉です。
多くの方の死を見届けてきた私は、患者や家族に寄り添う医療とは何か、
自分が受けたい医療とはどんなものかを考え続けてきました。
人生の最終章を大切にするための医療は、ひとりひとりのサイレント・ブレスを
守る医療だと思うのです。
大学病院の総合診療科に勤める水戸倫子は訪問クリニックへの移動を命じられます。
そこは在宅で最期を迎える患者専門のクリニック。
自分の要領のわるさ故、こんな小さなクリニックに左遷させられたのだと落ち込む倫子でしたが、
さまざまな患者と向き合ううちに少しずつ考え方が変わっていきます。
患者は大学病院では知りえなかったような人々。
新しい抗がん剤の治験を断り家に戻った乳癌末期の女性、胃ろうを拒む女性、
消化器癌権威でありながら自らの膵臓癌の治療を拒否した倫子の大学の元教授などなど。
死にゆく患者にとって、医師の存在価値などあるのだろうか。
そもそも病気を治せない医師に、何の意味があるのだろう。
最初はそんなふうに無力感を感じていた倫子が、治療ではなく、家で穏やかな最期を迎えようとする人々を
手助けする医療の大切さに気づき、自ら脳梗塞の後遺症でもう意思の疎通もできなくなった父の最期を
自分で看取る決断を下します...
私はNHKの「ドクターG」が好きで、毎回登場する医師の技量と患者に向き合う姿勢に感心しながら見ています。
可能な限り患者を病から救うのが医者の務めだと思っていたし、誰もがそういう情熱を持った医師の
診察を受けたいと思うのではないでしょうか。
でも。
もし、自分や家族が助かる見込みのない病に罹ったとしたら。
あるいはもう十分生きて、あとは静かに自宅で最期を迎えたいと思うとしたら...
そんなとき必要とされるのは、最後まで望みを捨てず治療を続ける医師よりも、患者の気持ちを大切にし、
看取る家族に寄り添い、自分らしく最期を迎えさせてくれる医師ではないでしょうか。
この作品は終末期医療という重いテーマを扱っていますが、倫子の目線が温かく、患者に寄り添う医療を目指し
自らも悩みながら医師として成長する姿が描かれているのでさくさく読めます。
また、探偵のように謎解きする大河内教授や、ピアスをしている看護師のコースケ、
行きつけのお店のニューハーフのケイちゃんなど、登場人物もユニークで意外性があっておもしろい。
その一方で病状などとても詳しくリアルに描写してあり、専門的な内容になっています。
というのも、著者は出版社勤務を経て医学部に編入し、現在終末期医療を専門とされている医師とのこと。
その経歴に少し驚きましたが、さすがに現役のお医者さまだけあって、描かれる医師や患者それぞれの苦悩や
死に向かう姿勢に対して納得でき、また深く考えさせられるものでした。
私自身、6年前に父の延命医療の決断を迫られ、とても悩んだことがあります。
食べられなくなった父はずっと点滴でなんとか最低限の栄養をとっていましたが、
それも限界になり、鼻からの経管栄養にするか、それとももう点滴をはずして
自然にまかせるのか...
自分の死んだときはこのファイルを見るように、と、いろんな資料を残してくれていた父。
なのに、自分の延命治療については何ひとつ残してはくれていませんでいた。
親の命を子どもが決断しなければならないというのは残酷なことです。
時間があればネットであれこれ調べ、姉たちとも相談しました。
けれど、なかなか決心はつきません。
病院嫌いの父のこと、管に繋がれるのは嫌だろうなあとは思うものの、点滴をはずすということは
餓死させることになるのではないのだろうか。
そう思うと恐ろしく、悩んだ挙句経管栄養を選びました。
しかし。
その管をはずさないようにと手の自由を奪われ、それを抗うこともやめた父の姿を見ると
申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
そして、父はそんな治療を拒否するかのように、管を入れて一週間もたたないうちに
亡くなったのでした。
今でもあのときのことを思い出すとつらくてたまりません。
どうして最期に苦しむようなことをしてしまったのか、穏やかに最期を迎えさせてあげなかったのか...
あのときこの本に出会っていたら、きっと違う選択をできたのに。
「よく考えてごらん。人は必ず死ぬ。いまの僕らには、負けを負けと思わない医師が必要なんだ」
「死ぬ患者も、愛してあげてよ」
いつか必ず訪れる自分や家族の死。
超高齢化社会で他人ごとではなくなった終末期医療。
大河内教授が言うような、そんな医師がふえてほしいものです。