ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

ホビット 決戦のゆくえ

2015-01-31 | 観ること。




腰痛が完治せず、延び延びになっていた「ホビット 決戦のゆくえ」を
先日ようやく観に行くことができました。

「ロード・オブ・ザ・リング」から連なる一連の物語、最後の作品ということで
もちろん期待して行ったのですが・・・
は~、すごかったです~




*↓ネタバレあります*





前作「竜に奪われた王国」のラストがあれだったので、スマウグが湖の町を襲うシーンから
始まるんだろうなあ、とは思ってはいましたが、まあしょっぱなからすごい迫力。
スマウグの吐く炎であっと言う間に町は炎に包まれ、必死で人々が逃げ惑います。
でも、これはまだ序の口。
あれよあれよという間に、意外にあっけなくカンバーバッチ氏のスマウグは仕留められ・・・
そう、今回の物語はスマウグを退治した後の、竜の財宝をめぐるドワーフ、エルフ、人間の駆け引きや、
復活した闇の勢力によって攻めてくるオークの軍勢との戦いが中心となって描かれているのです。

戦いのシーンが多くて少々疲れてしまいましたが、その中でも、いえそんな状況だからこそ、
ビルボの素朴さが際立ったというか、とにかくマーティンのビルボがかわいくて(笑)
正直言って、『指輪物語』のときからなんでこんな大役をホビットに?みたいな
ところは感じていたのですよ。
どうもその必然性が感じられなくて。
でも、旅の仲間に助けられ、何よりあの純朴で献身的なサムが不安定なフロドと一緒にいたからこそ、
指輪を葬り去ることができたわけです。
サムのように、争いごとを好まず平凡な日常を愛してはいるものの、芯が強くて、窮地に立たされると
勇猛果敢に戦うことができる、というのは、ホビットの特色のひとつなんですよね。

今回のビルボは、派手な立ち回りのレゴラスやイケメン揃いのドワーフに多少食われた感があったけど、
実はそれがとてもホビットらしさを演出していたのではないかと思いました。
目立たないし、本人も自分の重要性に気づいてないけど、ホントは要所要所できっちりいい仕事している、
みたいな。
それって、もうジョン・ワトソンと同じじゃないですか~(←こじつけ?・笑)
トーリンの死を悲しむビルボが、シャーロックの死を悲しむジョンとだぶって見えたのは私だけ?

・・・話を戻しましょう(汗)

印象的だったのは、ビルボが手に何かを持って物思いにふけっているときに、背後からトーリンに
「何を持っている」と尋ねられた場面。
私もてっきり、これはトーリンが必死で探しているアーケン石に違いない、と思ったのです。
やばい、見つかった、と。
ところがビルボが持っていたのは、ビヨルンのところから持ってきたどんぐり。
家に帰ったらこれを庭に植えるのだ、と答えるビルボ。
それを聞いて、財宝に目がくらんで人格がすっかり変わってしまったトーリンが、一瞬以前の
優しい顔にもどるのです。
そして観ている私たちも、ふっと肩の力が抜けて微笑ましい気持ちになれる。
忍びのうまさやいざというときの豪胆さだけでなく、ビルボには他の誰にもない
こういう力があるんだなあ。
そんなビルボをマーティンはとてもうまく演じていたと思います。
(いや、ひょっとしたら素早くアーケン石を隠してごまかしたのかも?
 そんなこともジョン・・・ではなくビルボならできそう、とも思わせてくれる・笑)
そんなビルボの潜在能力を一目で見抜いた(?)ガンダルフもすごいですよね~
 

財宝をめぐる交渉は決裂し、いよいよドワーフvsエルフ・人間の戦いが始まります。
そこを突如襲ってきたのがアゾグ率いるオークの軍団。
三軍は共にオークと戦うことになりますが、圧倒的な大軍にだんだん追い詰められていきます・・・

原作を知っているから、この戦いで誰が亡くなってしまうか前もってわかるのもつらい。
いつ?どんなふうに?とハラハラしながら観ていました。
キーリのところでは原作にないタウリエルとの恋愛があったので、わかっていても
やっぱり目が潤んでくるし、トーリンのところも、氷の下を流れて行くアゾグが目を
見開くんじゃないかとハラハラドキドキ。
そして・・・ああ、言わんこっちゃない(涙)

最終的に勝利しますが、失うものも多かったこの戦い。
めでたし、めでたし、で終わらないのは、闇の勢力が再び力を持ち始め、不穏な空気が
感じられるからでしょうか。
原作と違っているのは、ここから「ロード・オブ・ザ・リング」に繋がっていくんだ
ということが、かなりはっきりと明示してあることです。
でもそれは、すでに映画を観ている私たちにとっては嬉しいことですよね。
この後、レゴラスはアラゴルンを探しに行き、ビルボはホビット荘に戻って
『ゆきてかえりし物語』を書いて・・・、そして『指輪物語』が始まる。

すべてを見終わって、こちらも長い長い旅を終えたような達成感と一抹の寂しさを感じましたが、
もう一度始めから「ロード・オブ・ザ・リング」を観てみたい、『指輪物語』を読み返してみたい、
と思うようになりました。

物語が終わり、長~いエンドロールのバックに描かれていた数々のデッサン。
飽きずに見惚れてしまいました。
こういうファンタジー映画をつくる場合、大きな建物から身近な調度品まで、こうやって
ひとつひとつ丹念にデザインし、それを形にしていかなければならないんですよね。
本はそれらを言葉でリアルに感じさせなければならないけど、映画は実際に一から作らなけれなならない。
それって、途方もない作業だと思います。
美術、脚本、演じる人たちの熱~い思いがあって、こんなに素晴らしい映画ができるわけですよねえ。


ファンタジーファンとしては、『ゲド戦記』もいつか「ロード・オブ・ザ・リング」のような
クオリティの高い映画で観てみたいなあ・・・




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初めての味噌作り

2015-01-29 | 食べること。




かねてから味噌作りに興味を持っていた主人。
生協で大豆と麹の注文が始まったので、まずは一番少ない量を注文しました。
それが昨日届いたので、昨夜は大豆を水につけておいて、今朝は早速味噌作りに挑戦です。

とはいえ、いつものことながらバタバタしていたので準備不足のまま見切り発車。
とりあえず、家にあるもので一番大きな鍋や容器を探し、大豆を茹でながら
ネットで作り方を調べるというずさんさですが・・・

それでも、大豆を3時間ほど柔らかく茹でたら潰して容器に詰める、という一連の作業は
主人が手伝ってくれたおかげで午前中で終わりました。
今回は大豆600g麹600gというわずかな量だったので、まあなんとかなったようです(汗)
鍋や容器も、家にある一番大きいのでちょうど。
(義母宅はIHなので、以前我が家で使ってた大鍋が使えないのです)
これが本格的につくるとなると、まず道具から揃えなくてはならないし、時間も半日は
みておかないと・・・と考えると、今後続けるかどうかはお味噌の出来具合によるかな。

ただ、義母と同居してから朝はご飯にお味噌汁なので、お米とお味噌の消費量がかなり増え、
市販のではすぐになくなってしまうのです。
それに義姉から時々いただく手作り味噌は、ほのかに甘くて美味しい。
やはり手間ひまかけてつくるものに、心は動かされますよね。
あとは言いだしっぺの主人がどこまで協力してくれるか、かな~(笑)



それにしても、ずっと朝は「焼きたてトーストに紅茶」を譲れなかった私が、味噌作りを
するようになるなんてねえ・・・
義母と同居して、慌ただしい朝に私ひとりパンというのも面倒なのでご飯と味噌汁に
かえたわけですが。
気になる更年期障害には大豆、免疫力強化には発酵食品、ということで、毎日手軽に摂れる
味噌汁を飲んでる、ということもあります。
(おまけに、だしをとった煮干しはカルシウムだと思って食べてます)
ご飯はもち麦を加えて炊いてるし、なんと健康的!
まあ、そういうことを気にする年になった、ということでしょうね。

今も週1回、休日の朝はパン食にしているのですが、紅茶はティーバッグ。
以前、紅茶好きの私のために、長女がプレゼントしてくれたTea Blender。
使うことのないまま棚の飾りになってしまっているのは、ちょっと淋しい気もするけれど。
いつか気持ちに余裕ができたら、リーフで美味しい紅茶を淹れて飲みたい。
以前のようにFM聴きながらのんびりと新聞を読んで、焼きたてのトーストに手作りジャムを塗り、
熱い紅茶の香りを楽しんで・・・
でも、そんなささやかな楽しみも、しばらく封印しておくことにしましょう。

今は、お味噌がうまくできるよう祈るのみ・・・



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父の庭で

2015-01-20 | 日々のこと。




実家の庭を駐車場にすることになったので、先日様子を見てきました。
亡くなった父は庭仕事の大好きな人で、退職してからは日がな一日庭にいて
松や盆栽の手入れだけでなく、野菜をつくったり、花を植えたりしているような人でした。

父の死後、姉夫婦が母と同居してくれるようになってからは、姉がその庭の世話を
してくれていたのですが、借りていた駐車場に家が建つことになり、これを機会に
庭をつぶして駐車場にすることになったのです。
父の思い出の庭がなくなるのは寂しいことですが、庭の世話も大変だし、義兄の車を置く
駐車場も必要なので、こればかりはしかたありません。

外から見るとわかりませんが、すでに植木屋さんが入って父自慢の松は移植され、
庭の花壇などは掘り起こされています。
神戸に住む中の姉が梅の盆栽などをもらってくれるようですが、みかんの木や、椿、バラなど、
まだ残っているものは処分されるとのこと。
石灯籠も処分するとのことだったので、義母宅にある石灯籠の、割れた傘と交換してもらうことにしました。


この家は私が中二のとき父が建てたものです。
私の実家はもともと曽祖父が始めた食堂で、戦争で祖父を亡くした祖母が
長年切盛りをしていました。
母は二人姉妹の長女なので、結婚の際父は養子に来ることに。
当時家には、曽祖父、曾祖母、祖母、それに叔母もいて、しかも父は国鉄で働きながら
休みの日にはお店を手伝ったりしていたので、それはそれは大変だったろうなあと思います。
実際、私が大人になってから、母の従妹にあたる人から父の苦労話を聞いたことがあり、
そんなことがあったのかと驚いたことがありました。

なので父にとって、自分の家を建てる、というのはひとつの大きな夢だったのでしょう。
父が凝り性だったこともあり、あれこれ間取りを考えたりして、しょっちゅう大工さんが来て
一緒に図面を広げていました。
その中でも一番力を注いだのが庭だったような気がします。

今でも覚えているのは、夜遅く帰ってきた父がいつも夜中に水やりをしていたこと。
こんなに遅くに、と不思議に思った私は父に尋ねたのでしょうか。
父は、水やりしながら庭の木々と話をしている、というようなことを言いました。
そんな時間が、父にとっては一番心安らぐ時間だったのかもしれません。



父の愛した庭がなくなるのは寂しいけれど、これもひとつの時代の流れ、あるいは
ひとつの時代の終わり。
その庭はなくなっても、私の生きてる限りその庭は私の思い出の中にある。
でも、庭の記憶を持つ私たちが亡くなれば、その記憶も一緒になくなって
いつかはそこに庭のあったことさえ誰も知らなくなる。
もちろん、その庭に愛情を注いだ父がいたことことも。
そんなふうに人々は、時の流れの中に埋もれていってしまう・・・

梨木果歩さんの『海うそ』を読んだせいか、「喪失する」ということについて
ふと考えてしまいます。

自分が死んでも家族や友人には私の思い出が残るけれど、月日が流れ、誰の記憶にも
残らなくなったとき、それこそが本当の意味での「死」なのかな、と。
名もなき私たちは、そんなふうにこの地上からひっそり消えていくのだろうな、と。





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『鹿の王』

2015-01-11 | 読むこと。







久々に本のレビューです。

昨年、上橋菜穂子さんの新刊が出たと知り、思わず買って読み終えたのが10月。
もう一度読み直してからレビューを書こう、と思っていたら腰痛でパソコンに向かえず、
そうこうしているうちに年末・お正月を迎え・・・とうとうこんな時期になってしまいました

それというのも(弁解ですが)、この作品はそう簡単にレビューが書けそうにない、
いろんな読み方のできる深く壮大な物語なのです。
感染症が一つの大きなテーマで、それに国・部族間の関係やそれぞれの文化が大きく
関わり、登場人物の利害関係もけっこう複雑で・・・
一度読んだくらいでは、到底このタンジュンな私の頭では整理がつきそうもなかったのです。


内容は簡単に言うと、ある謎の病に医者として、あるいは患者として、あるいは
それを利用しようとして、関わった人たちの物語、ということになります。
といっても、もちろんこの作品もこれまでの作品と同じように全く異世界のファンタジー。
ですが、そこで国や人々が抱える問題や思いは、現在の私たちとほとんど同じ。
戦いの後の国の統治のあり方、民族あるいは部族間の対立、未知の病の恐ろしさ、
そしてそれらに否応なく巻き込まれ、理不尽な生き方を強いられる人々・・・

それらを、不思議な犬に襲われその謎の病に侵された元戦士団の頭ヴァンと、
その病の治療法を懸命に探そうとする天才医術師ホッサルの二人を中心に展開していきます。
彼らと、彼らを支える二人の女性が、なかなか魅力的なのですよ


ヴァンは、強大な帝国にのみこまれていく故郷を守るため、戦いを繰り広げる戦士団の
頭でしたが、囚われ岩塩鉱の奴隷となり絶望的な日々を送っています。
ある日その岩塩鉱が不思議な黒い犬に襲われますが、ヴァンと一人の幼子だけが助かり、
その幼子をユナと名づけ共に生き延びます。
しかし、謎の病に罹りその身に異変が生じるのです。

なぜ、病に罹る者と罹らぬ者がいるのか。
病で愛する妻と子を失ったヴァンは問います。

病に罹らぬ人もいるのに、なぜ、妻と子は罹ってしまったのか。・・・
長く生きることができる者と、長く生きられぬ者が、なぜ、いるのか。
長く生きられぬなら、なぜ生まれてくるのか。



一方、その謎の病で滅びた王国の子孫である医術師ホッサルは、なんとかその病の治療法を
見つけようと、唯一生き残った男ヴァンを探そうとします。
その任を命じられたのが、女性でありながら素晴らしい腕を持つ跡追い狩人のサエ。
ホッサルの従者マコウカンと共に、わずかな手がかりをもとにヴァンを追います。

しかし、再びあの黒い犬たちが襲来し、多くの人がその病に感染し命を落とします。
なんとかその病の原因を探り、治療法を見つけようと必死になるホッサルと助手のミラル。
が、移住民だけが罹ると噂されるその謎の病の背景には、征服され土地を奪われた民や
それを利用しようとした為政者など、様々な文化を持つ国や部族の異なる人々の思惑が
複雑に絡み合っていたのです・・・

しかし、この作品に「悪者」は出てきません。
戦いは描かれても、敵の王や為政者も、謎の病を流行らせようと意図した者も、
ひとりの人間として描かれているからです。
それは、異文化の共生を願う作者の思いからなのでしょう。
ヴァンもホッサルも「悪」に立ち向かうわけではなく、己の生き方に
真正面から立ち向かっていったのだと思います。


たしかに病は神に似た顔をしている。
いつ罹るのかも、なぜ罹るのかもわからず、助からぬ者と助かる者の境目も定かではない、
己の手を遠く離れたなにか―神々の掌に描かれた運命のように見える。
(・・・だが)
だからといって、あきらめ、悄然と受け入れてよいものではなかろう。
なぜなら、その中で、もがくことこそが、多分、生きる、ということだからだ。
・・・
この世に生まれ落ちたときにもらった身体で、生き物はみな、命を繋ぐための、無数の、
小さな戦いと葛藤を繰り広げている。
他者の命を奪おうとするもの、他者の命を支えて生きるもの、雑多な生き方がせめぎ合い、
交じり合い、流れて行く、このすべてが、生きる、ということなのだろう。



この作品は感染症を扱った医療の物語であり、国のあり方を描いた物語であり、
人と生き物を描いた物語であり、父と子、あるいは家族の物語であり、男と女の物語であり・・・
とにかくいろんな視点で読むことができる壮大な物語なのです。




それにしても、どうやったらファンタジーでこのようなリアルな世界を作り出し、
読者が共感できる生き生きとした人物が描けるのか。
作者の上橋菜穂子という人はどんな人物なのだろう、とファンとして
いつも興味を抱いていました。

で、一昨日のこと。
たまたまBSの番組で上橋菜穂子さんの特集があるのを知り、ご本人が出演されて
生い立ちから物語を紡ぎだすまでのいろいろな興味深い話を聞くことができ、
なるほどなあ~と、すとんと納得したしだいです。


この作品は感染症が大きなテーマだと書きましたが、以前何かである研究者のような人が
言ったことがとても印象的で、最近それをよく思い出します。
その人は「人類にとって何が一番恐ろしいか」というような質問に対して、
「近い将来、人類にとって感染症が脅威になるだろう」と答えたのです。
それを聞いたとき、ちょっと意外な気がしました。
人類の脅威と言ったら、やはり「核」だし、病気でいうと癌、心臓病などがありますよね。
ひと昔まえじゃあるまいし、なんで感染症が?って。

でも、確かに最近になって恐ろしいと感じるのは、遠く離れた国で発症しじわじわ
と各国に広がっていったエボラ出血熱であったり、新型インフルエンザのバンデミックの脅威であったり。
昨年はデング熱でも大騒ぎになりました。
そう、目に見えないウィルスがもたらす感染症は、どこに存在するのか、どこで感染するのか、
わからないだけに恐ろしい。
たまたま毎日そんなニュースが流れているときにこの本を読んだので、よけいに
感染症の恐ろしさというものを痛感したのでした。


上橋さんが興味深いことをおっしゃっています。
人間はウィルスや細菌の共生体で、それは森や国家も同じではないか、と。
たとえば自分の腸の中に悪玉菌と善玉菌がいて、消化吸収を助けたり、免疫力を
つけてくれたりするのもいれば、お腹をこわしたり悪さをするヤツもいる。
自然や人間の社会もそれと同じように、共生と葛藤を繰り返しているわけですよね・・・


ふぅ~。
なんともスケールの大きな話で、おおまかなことしか書けませんでしたが、
この先何度でも読み返してみようと思います。
守人シリーズもテレビドラマになるようだし、また上橋作品を最初から読み直してみたいな~

本を開けたらそこには全く違う世界が待っている、って、今の私には救いのようです。
だから、ファンタジー大好き






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雪の初詣

2015-01-05 | 日々のこと。
ここ数年、お天気のよい元旦が続いていましたが、今年は雪が降り出して
駅伝を見終わって初詣に行こうとしたときにはなんと吹雪になっておりました。
主人と私だけならここでめげてしまうところ、東京から戻ってきた次女が
久しぶりの雪だと大はしゃぎ。
しかたなく、雪にまみれながら三人で近くの神社へ初詣に行きました。







・・・さすがにほとんど人影はありません
並ぶことなくお参りができました。

雪の中お参りしたおかげか、引いたお御籤は久々の「大吉」!







今年はいい年になってくれるかなあ・・・



思い起こせば去年の目標は「がんばらない」でした。
でも、自分ではそう思ってはいても、予想外の出来事があって
「がんばらなきゃいけない」状態になってしまったわけです。
その結果があの腰痛だったのかも・・・

今年の目標はとりあえず「無理をしない」にしておこう(笑)



ということで、今年もこのペースでぼちぼちやっていきますので、
よろしくお願いいたします。




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