最近、(根気がなくて)なかなか本のレビューが書けません。
気づいたら↓が書きかけで、ほったらかしたまま・・・
久しぶりに『源氏物語』関連でもあるので、覚書のつもりでアップしました。
・・・ ・・・ ・・・
『六条御息所 源氏がたり
光の章』
林 真理子
毎日新聞の書評欄でこの本のことを知りました。
あの六条御息所が光源氏のことを語る。
それだけでも興味津々なのに、作者が林真理子さんということで、
新たな切り口で源氏物語が読めるのでは、とかなり期待して手に取りました。
まず、とても読みやすい。
『源氏物語』は口語訳でも、その時代背景や人間関係がわかっていないと
正直言って読みづらいです。
でも、この作品では「六条御息所自ら語る」という形で、
口語訳では省略されているようなことも説明されています。
光源氏の母桐壺が、他の後宮の女たちからいびり殺されたように
言われているけれども、それにはこういう背景があって、
帝ともあろう方が他の女性をないがしろにしてはいけない。
あるいは、東宮妃であった私がどうしてこんな身になってしまったのか。
また、夕顔が突然亡くなってしまったのはなぜか・・・などなど。
文化も生活習慣も考え方も違うこの時代。
確かに現代の私たちが読んでいて、腑に落ちなかったり、
突拍子がないように感じたりすることがありました。
でもこの作品を読んで、あっ、なるほど、そういうことだったのかと
今の私たちにもわかる形で「なるほど~」と納得させてくれます。
そこまで細やかに女性たちの心理描写を描いてくれているわけです。
へ~、と意外に思ったのは、紫の上が光源氏に対して、
”破瓜の屈辱と恨みを、生涯お忘れにならなかったのではありますまいか”
と、解釈されたところ。
確かに、紫の上はまだ幼いうちに、保護者として信頼していた光源氏から
裏切られたわけですが、この時代ではしかたがないよね、
相手が光源氏だからまだいいよね、みたいなことを思ってました。
でも、実際そんなことが起これば、やはりどんな相手であれ、
傷は傷として一生残るはず。
光源氏しか頼る後ろ盾がなかった紫の上にしてみれば、
愛情だけではなく、生涯複雑な思いを抱いていたのかもしれません。
それを表に出すこともせず、けっこうしんどい一生を送ってたわけですね。
また、意地悪の象徴のような弘徽殿女御(こきでんのにょうご)に
対しても、女性の目から同情的な解釈をしています。
弘徽殿女御は、右大臣の娘であり桐壺帝の正妻という女性のトップの
立場にいながら、実は淋しい思いをしているわけです。
帝は光源氏の母である桐壺や、桐壺亡き後は彼女によく似た藤壺に夢中。
皇太子の母という身分ではあるけれども、帝の愛情は得られていません。
そのあたり、皇太子の正妻という立場であった六条御息所は
そういう身分ゆえの不自由さや淋しさはよくわかっていて、
弘徽殿女御が桐壺や光源氏に対して恨みを抱いても仕方がないなあ、
と思えてきます。
・・・と、まあ現代の女性にも共感しやすいよう解釈されていますが、
そこには作者の想像もあるわけです。
これは「源氏物語」をモチーフにしたひとつの作品にすぎません。
林真理子が描く「源氏物語」なのです。
だから、自分の持っていたイメージと違うなあと感じるかもしれません。
私自身、自分が抱いていた六条御息所のイメージとはちょっと
違うような・・・
生霊となるほど情念を秘めた女性ではあるけれど、
その思いを赤裸々に語ってほしくはなかったんですねー
まっ、それではお話になりませんが(笑)
この作品では、藤壺の出家までが描かれています。
この後どんなふうに語られるのか、やっぱり気になるので
続編が待ち遠しいです。
それにしても光源氏という人は、本当に女性の気持ちに対して無頓着で、
能天気というか・・・なんでこんな男性がモテたのでしょうね。
そのわがままが許せてしまうくらい美形だったということかなあ。
それとも、当時の男性は、皆こういうもんだったのでしょうか。
『源氏物語』は好きですが、登場する男性はどうも好きになれません。
平安時代に生まれてなくてよかったわ~
気づいたら↓が書きかけで、ほったらかしたまま・・・
久しぶりに『源氏物語』関連でもあるので、覚書のつもりでアップしました。
・・・ ・・・ ・・・
『六条御息所 源氏がたり
光の章』
林 真理子
毎日新聞の書評欄でこの本のことを知りました。
あの六条御息所が光源氏のことを語る。
それだけでも興味津々なのに、作者が林真理子さんということで、
新たな切り口で源氏物語が読めるのでは、とかなり期待して手に取りました。
まず、とても読みやすい。
『源氏物語』は口語訳でも、その時代背景や人間関係がわかっていないと
正直言って読みづらいです。
でも、この作品では「六条御息所自ら語る」という形で、
口語訳では省略されているようなことも説明されています。
光源氏の母桐壺が、他の後宮の女たちからいびり殺されたように
言われているけれども、それにはこういう背景があって、
帝ともあろう方が他の女性をないがしろにしてはいけない。
あるいは、東宮妃であった私がどうしてこんな身になってしまったのか。
また、夕顔が突然亡くなってしまったのはなぜか・・・などなど。
文化も生活習慣も考え方も違うこの時代。
確かに現代の私たちが読んでいて、腑に落ちなかったり、
突拍子がないように感じたりすることがありました。
でもこの作品を読んで、あっ、なるほど、そういうことだったのかと
今の私たちにもわかる形で「なるほど~」と納得させてくれます。
そこまで細やかに女性たちの心理描写を描いてくれているわけです。
へ~、と意外に思ったのは、紫の上が光源氏に対して、
”破瓜の屈辱と恨みを、生涯お忘れにならなかったのではありますまいか”
と、解釈されたところ。
確かに、紫の上はまだ幼いうちに、保護者として信頼していた光源氏から
裏切られたわけですが、この時代ではしかたがないよね、
相手が光源氏だからまだいいよね、みたいなことを思ってました。
でも、実際そんなことが起これば、やはりどんな相手であれ、
傷は傷として一生残るはず。
光源氏しか頼る後ろ盾がなかった紫の上にしてみれば、
愛情だけではなく、生涯複雑な思いを抱いていたのかもしれません。
それを表に出すこともせず、けっこうしんどい一生を送ってたわけですね。
また、意地悪の象徴のような弘徽殿女御(こきでんのにょうご)に
対しても、女性の目から同情的な解釈をしています。
弘徽殿女御は、右大臣の娘であり桐壺帝の正妻という女性のトップの
立場にいながら、実は淋しい思いをしているわけです。
帝は光源氏の母である桐壺や、桐壺亡き後は彼女によく似た藤壺に夢中。
皇太子の母という身分ではあるけれども、帝の愛情は得られていません。
そのあたり、皇太子の正妻という立場であった六条御息所は
そういう身分ゆえの不自由さや淋しさはよくわかっていて、
弘徽殿女御が桐壺や光源氏に対して恨みを抱いても仕方がないなあ、
と思えてきます。
・・・と、まあ現代の女性にも共感しやすいよう解釈されていますが、
そこには作者の想像もあるわけです。
これは「源氏物語」をモチーフにしたひとつの作品にすぎません。
林真理子が描く「源氏物語」なのです。
だから、自分の持っていたイメージと違うなあと感じるかもしれません。
私自身、自分が抱いていた六条御息所のイメージとはちょっと
違うような・・・
生霊となるほど情念を秘めた女性ではあるけれど、
その思いを赤裸々に語ってほしくはなかったんですねー
まっ、それではお話になりませんが(笑)
この作品では、藤壺の出家までが描かれています。
この後どんなふうに語られるのか、やっぱり気になるので
続編が待ち遠しいです。
それにしても光源氏という人は、本当に女性の気持ちに対して無頓着で、
能天気というか・・・なんでこんな男性がモテたのでしょうね。
そのわがままが許せてしまうくらい美形だったということかなあ。
それとも、当時の男性は、皆こういうもんだったのでしょうか。
『源氏物語』は好きですが、登場する男性はどうも好きになれません。
平安時代に生まれてなくてよかったわ~