久しぶりに植えたサフランが、一斉に咲きました。
花が咲くと、ひとつひとつ雌しべを積んでいきます。
香辛料のサフランはこれを乾燥させたもので、パエリヤやブイヤベースに用います。
買うとけっこうなお値段なんですよね~
花もかわいいし、料理にも使えて、一石二鳥。
以前植えたときはナメクジにやられてしまいましたが、今回はうまくいきそう!
あいかわらず義母に振り回される日々ですが、気がつけば同居して2度目の秋も
過ぎようとしています。
義母と過ごす一日は長いけど、一年はあっという間。
しわも白髪もふえるよなあ・・・
いくらがんばっても空回り。
物がなくなれば人のせいにし、説明しても聞く耳を持たない。
突然怒り出してひどいことを言っても、本人は忘れてけろっとしてる。
無精になって、衛生観念がなくなって・・・、そのことで毎日同じことを注意している
自分にもうんざり。
そう、何より怒ったりイライラしている自分にうんざりし、落ち込みます。
認知症の親を抱える家族は、どこも大変・・・
実家の母は義母より症状が進み、もう私たち娘のことさえわかりません。
こちらも認知症になってからは手に負えず、姉夫婦が同居してくれる前は私が行くたびに
口論になっていたので、そういう関係のまま私のことを忘れられてしまったのかと思うと
やはり心残りというか、淋しいというか・・・
それに、どこかで自分の親を見放した、という後ろめたさもあり、
でも、どうしようもなかったという思いもあり・・・
母のことを思うとちょっと複雑な気持ちになります。
今でも思い出すのは、父が肺がんと診断され大変だったときのこと。
そのころ母の様子がおかしいことに気付いてはいたけれど、父を病院へ連れて行ったり、
義母の面倒もみたりと、私はいっぱいいっぱいの日々を送っていました。
ある日、ちょうど義母の精神科の予約日でばたばたしているところへ、母から具合が悪いと
電話があったのです。
迷いましたがそれほど切羽詰った様子でもなく、義母の診察は私も話を聞かなければならないので、
「今からお義母さんを病院へ連れて行かなければならないから、ちょっと待ってて」と伝えると
母から「こっちの親はどうでもいいんか!」と言われたのです。
結婚してからこれまで、母は何かにつけ「こっちはいいから、そちらの親にしてあげて」と
言い続けてくれていました。
だから、私もそのつもりで主人の親の面倒をみてこれました。
それにここ10年ほどは家事や仕事だけでなく、入院や介護が必要になった義父、その義父が
亡くなってから認知症の症状が顕著になった義母、それに当時まだ受験生だった娘たちのことで
手がいっぱい。
実家の親はありがたいことに二人そろって健康だったし、姉夫婦がよく旅行に連れて行って
くれたりしていたので、実家にはたまにしか顔を出していませんでした。
なので両親にしたら、末娘はもうあてにならないと、あきらめていたかもしれません。
それでも父が肺がんとわかったときは、一緒に病院へ付き添い介護の手配もしました。
これまで何もできなかったぶん、私にできることはなんでもしようと思って。
だから母からそう言われたことに、かなりショックを受けました。
たぶん、そのときの母はもう尋常ではなかったのです。
これまで理性で抑えていたことができなくなって(認知症ではよくあることですが)、
だからこそ自分の本当の思いを言ったのだと思います。
それを聞いて私もどうしていいかわからず、でも義母の予約の時間も迫るし・・・
結局、義母の病院行きを優先させました。
とりあえず姉に電話して仕事の合間に様子を見に行ってもらい、午後には実家へ行きました。
母はもともと狭心症で、貼る薬でラクになったということでしたが、実際の原因は疲労か
精神的なものだったと思います。
でも、私にはそのときの言葉がいまだに引っかかっていて、ふとしたときに思い出してしまうのです。
今思うと、父がガンとわかったとき、ずっと父に頼りきっていた母はひとりで不安だったのでしょう。
その不安から逃れるように父の世話より野良猫に夢中になり、それを非難する娘たちを疎んじ、
そして一気に認知症の症状が悪化していったのでした。
父が亡くなってからは、毎日毎日、財布がない、通帳がない、と電話がかかってきて、
いつも最後はけんか別れ。
ヘルパーさんが行っても留守だったり、デイサービスへも嫌がって行かなかったり。
何を言っても通じない、そんな母から私自身逃げ出したかったような・・・
なので姉夫婦が同居してくれることになって、本当に救われた思いがしました。
今では要介護4になった母を、姉は大変な思いをしながら看てくれています。
私にはそこまでの覚悟はなかったなあ、とわかってはいるけれど、それでも自分の親を看ずに
主人の親を看てる、ということに、どこかジレンマを感じてしまうのですね。
認知症になった実の親を看るほうが、精神的にはずっときついとわかっているのだけれど。
今になってこんなこと書くなんて、“いい嫁”より“いい娘”でいたかったのかな。
・・・あるいは、今の自分に対する言い訳なのかも。
テレビで見る介護の美談とはほど遠く、今日一日をやり過ごすのに精いっぱいの日々ですが、
なんとか逃げ出さず三年目を迎えそうです・・・たぶん