ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

シャガの群生

2016-05-23 | 日々のこと。
お天気のよい週末に、主人に誘われシャガの群生を見に行きました。
途中義父の生まれた集落を初めて教えてもらい、そのまた奥へと車を走らせ、
農家の人に道を教えてもらってやっとたどり着いた林道を歩いて行くと・・・







杉林の下に見事なシャガの群生。







林道に沿って、あたり一面ずーっと続いています。







たまたま同じ時に数台の車が到着したのですが、少し離れるともう話し声も聞こえません。
ときおり鳥の鳴き声が聴こえるだけで、とても静か・・・


盛りは少しすぎたようですが、それでもまだたくさんのかわいらしい花が咲いていました。











帰る途中、朽ちかけた社を見つけました。













社の前の大木が、雷にでも打たれたのかどちらもぽっきり折れています。
どこか異界に通じるような・・・ちょっと想像力をかきたてられる風景でした(笑)


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五月 〈イチゴと、キヌサヤあるいはスナップエンドウの日々・・・〉

2016-05-22 | 日々のこと。
風薫る五月。
空は晴れ渡り、心地よい風が吹いて、とても気持ちの良い季節なのですが・・・
なぜか毎年忙しい。


昨年から倍の広さになった主人の畑では、次々とイチゴが真っ赤に色づき、
キヌサヤやスナップエンドウがわさわさと実をつけています。
おかげで毎朝イチゴを食べ、せっせとジャムやアイスをこさえ、











夕方になると豆の筋をとり、夕飯には必ずキヌサヤかスナップエンドウの献立がのぼるのに、
イチゴも豆も冷蔵庫の中でだんだん増え続けていく・・・
野菜庫には、まだ冬にたくさんつくった切り干し大根が残っているのに~


今主人は、タネから育てた夏野菜の世話に勤しんでおります。
トマトの苗が14本も育ち、もう植える場所がないって・・・ああ、眩暈が・・・

まあ、そんなことを言ってても病気になれば全滅するし(実際玉ねぎは病気で生育がわるい)、
枝豆はタネを蒔いたのに芽が出ないと、主人の野菜作りはいつも運任せ。
無農薬で病気や虫に打ち勝って運よく育ってくれたものを、ありがた~くいただきます。はい。



キヌサヤとスナップエンドウが終われば、次はエンドウマメ。
我が家では、まだまだイチゴと豆の日々は続きます・・・





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あたりまえの日常

2016-05-06 | 日々のこと。
GWの三連休が終わり、またいつもの日常が戻ってきました。
義母を迎えに来たデイサービスの車を見送って、ほっとひと息。
というのも、義母が通っているデイサービスの施設でもこの三連休はお休みで、
私としては気の重い不安な3日間だったのです。

でも、久しぶりに義姉夫婦が泊りがけで遊びに来て、義母も気が紛れたようだし、
私もひとりで一日中義母を見ている必要がないのでひと安心。
まっ、飲んベえが3人揃うので、それはそれで大変なんですけどね

案の定、お天気がよくなかったので昼間っから宴会です。
いつものことながら、あっという間に空き缶が増えていく・・・
義母はというと、始めのうちは義姉のことを自分の妹だと思っていたようですが、
だんだん娘だとわかり機嫌よく過ごしてくれました。

翌日は風は強かったもののお天気がよかったので、アウトドアの好きな義姉夫婦と主人は
海へ行き、おかげでこんな収穫が。






山ほどのワカメを主人がせっせと茹で、メカブを刻んでくれました。
私は茎煮をつくり、残りは塩をして保存します。

いただき物のタケノコやフキ、主人が採ってきたワラビと、この時期は海の幸、山の幸がいっぱい!
ただ下ごしらえに手間がかかるのがねえ・・・


主人の畑も今はちょうどイチゴや豆の最盛期なので、私もこの時期だけは助っ人に。
主人が水やりしたり夏野菜の準備をしている間に、イチゴやキヌサヤをもいでいきます。
熟してから収穫するイチゴはもちろん、キヌサヤも柔らかく甘くて美味しい!







庭では同居したとき挿し木したローズマリーが大きくなり、今年もローズマリー酒をつくりました。





そんなこんなで、この三連休も大忙しでした。
でも、2年前は主人の入院、去年は次女が体調を崩したので急遽東京へ行ったことを思えば・・・
忙しくてもこんなあたりまえの日常に感謝です。


けれどね・・・
認知症の親と暮らしていると、また違った意味であたりまえの日常とはほど遠い。
先日ちょっと目を離したすきに、またもやお茶と間違って台所洗剤を飲んでしまった義母。
夕方突然「もうこんな時間や。家に帰る」と言い出したり、
昨日の朝はまだ早朝だというのに「ご飯がないからパンを買いに行く」と出かけようとする。
足腰は丈夫なので、唐突に自分で何かをしようとするため目が離せません。
一体いつになったらごく普通の生活が送れるようになるのだろうと思うと、ついため息が出てしまいます。

それでも、こんな日々を送っているからこそ、自分の自由な時間がいかに貴重かを気づかされ、
やりたいことは後回しせず今できることからやっていこう、と思えるようになったともいえますが。
“あたりまえ”に慣れてしまうと、その“あたりまえ”であることがどれほど幸せなことか、ということに
気づかなくなってしまいますものね・・・
今回の熊本の震災で、改めてそのことを強く感じました。
被災された方々にも、一日も早くその“あたりまえ”の日常が戻ってきますように。


そうそう、この連休に娘から花束が届きました。
ときどきは、こんな“特別な”こともうれしい






コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする