ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

『帰還 ゲド戦記 最後の書』 

2006-09-29 | 読むこと。
夏にジブリの『ゲド戦記』を見てがっかりしたあと、もう一度原作を読み直そうと思いました。
第1巻『影との戦い』、第2巻『こわれた腕環』、第3巻『さいはての島へ』を読むのは3回め。
読んでいる間は現実を忘れ(現実逃避ですね)、まさに至福の時間を過ごすことができました

『ゲド戦記』は読むたびに新しい発見がある奥の深い作品です。
最初はどういう展開になるのか、ストーリーを追うのに精一杯。
2回目はストーリーを思い出し、確認しながら読みました。
そして今回、ようやく余裕を持って(?)楽しめたように思えます。

久しぶりに読むゲドは、ちっとも色褪せることなく、私をアースシーの世界へ連れて行ってくれました。
魔法の島ローク、闇の支配するアチュアンの墓所、竜のすむセリダー、青い海原とそこに浮かぶ島々、それらが目に浮かぶようです。

自分の傲慢さゆえ影を呼び出してしまい、自らも傷つき、しかし最後にはその影を自分のものとしたゲド。
アチュアンからエレス・アクベの腕環を取り戻し、巫女であったテナーを自由の身にしたゲド。
大賢人となり、王子アレンとともに世界の均衡をやぶったクモを追い、不死の国への扉を閉じるため、魔法使いとしての力を使い果たしたゲド。
この1巻から3巻までは、いわばゲドの少年時代から大賢人となった壮年期までの冒険が描かれているわけです。

そして先日、図書館で第4巻『帰還 ゲド戦記 最後の書』を見つけました。
この作品を6年前にはじめて読んだとき、正直言って3巻までのストーリーと違う暗く重いテーマにもう読みたくない、と思いました。
おまけに大賢人だったゲドが、魔法使いですらなく、ただのおじさんになってしまったことに、かなりショックを受けたのです。
だから3巻までは買ったけど、この4巻は手もとにありません。
今回も、偶然図書館で見つけなければ、たぶん読むことはなかったでしょう。
私のとっての『ゲド戦記』は、3巻までだったのです。

しかし今読んでみると、テナーの視点から描かれたこの作品は、驚くほどしっくりと私の中に入ってきました。
子どもも成人し、夫を亡くし未亡人となったテナー。
そこに突然現われた、かつての力を失ったゲド。
もう若くはない二人ですが、ただのひとりの男に戻ってしまったゲドと、ようやく彼と暮らすことができたテナーの穏やかな関係に、しみじみとしたものを感じます(そう思える年に、私もなったということかな)。

詳しくは書かれていないものの、アチュアンの墓所からゲドと共にハブナーに戻り、平和をもたらすエレス・アクベの腕環をもたらした女性として注目を浴びながらも、見知らぬ世界で苦労したであろうテナーの半生がうかがえます。
ゲドの師であった魔法使いオジオンのもとで暮らしても、結局はひとりの普通の女性としての生き方をテナーは選択したのです。

そしてそこに現われたもうひとりの重要な登場人物テルー。
彼女は子どもながら残虐な仕打ちをされ、傷つき、テナーのもとへやってきます。
以前読んだときは、このテルーにショックを受けました。
読んだ当時は、まだ今ほど子どもの虐待が毎日のニュースになっていなくて、だからその部分が強烈な印象になって、この作品が暗くて重い作品だと思い込んでしまっていたのでしょう。

今読むと、テルーの存在はけっして“絶望”なのではなく、次の世代への大きな“希望”として描かれていたことに気づいてちょっとびっくり。
魔法というものが男性の占有物であったことへの疑問。
そして新しい継承者の予感。
第3巻から16年の歳月を経て書かれたこの作品の、テーマのようなものがここに感じられます。

最後でテルーが竜のカレシンを呼び、ゲドとテナーを救ったシーンはとても、とても、感動的でした。
いつも怯えていたテルーが、さなぎから孵った蝶のように自分自身に目覚めたのです。

そして第5巻の『アースシーの風』に続いていくわけですね。
この作品は出版されたときに読みましたが、1度読んだくらいではとても理解できませんでした。
ゲドやテナーは年老い、テハヌー(テルー)の物語になっていたと思いますが・・・。
これを機会に、もう1度読んでみようと思います。


『ゲド戦記』を4巻まで読んだあと、なんだかもったいなくて他の本を読む気になれません(どっぷり浸ってる)。
本棚には、次女が図書館から借りてきたあさのあつこさんの本がたくさん並んでいるというのに

今、私の中で、『ゲド戦記』は『指輪物語』をわずかに凌ぎファンタジー部門第1位ですね
でもゲドとアラゴルンが目の前にいたら悩むだろうなあ・・・って、ありえない・・・。
これに和製の「守り人シリーズ」(上橋菜穂子作)と「勾玉3部作」(荻原規子作)が続き、ハリポタが第5位かな。
この秋には守り人の新刊が出るみたいだし、秋の夜長はファンタジーで過ぎていきそうです。
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年をとる、ということ

2006-09-27 | 読むこと。
いつのまにか敬老の日が過ぎていました。
毎年とりたてて何かをするわけではないのですが、今回は義父が肺炎で入院して淋しがっていたので、子どもたちが湯飲みを買ってプレゼントしました。

ハッピーマンデーとやらで敬老の日が9月の第三月曜になってしまい、なんとなく落ち着かないのは私だけでしょうか。
連休になったのはうれしいけれど、そっちに気をとられ、祭日本来の意味が希薄になってしまったような気もします。
今日は休みだけど、ええーっと、何の日だっけ?って、みんな思わないのかなあ。



私が所属する絵本のサークルでは、年2回ほど絵本を紹介する小冊子を出しています。
今月その小冊子を発行しました。
テーマは敬老の日にちなんで「見つけたよ!こんなおじいちゃん あんなおばあちゃん」。
その中で私が紹介したのはジョン・バーニンガムの『おじいちゃん』と佐野洋子さんの『だってだってのおばあさん』。
私が紹介するまでもなく、どちらも名作で私の大好きな絵本です。

『だってだってのおばあさん』に出てくるおばあさんはかわいくて、私も98才になったら「だってわたしは二十歳だもの」とか言ってお洒落して遊びまわりたいものです(チョイワルばあさん?)



『だってだってのおばあさん』


一方バーニンガムの『おじいちゃん』。
私にはおじいちゃんというものがいなかったので(戦争で亡くなったそうです)、よけいに印象に残っているのかもしれません。
おじいちゃんと孫娘が過ごした時間が、まるで上質の短編映画のように描かれているのです。

バーニンガムの絵本は、子どもならではの想像力に満ちた世界を描き、ときには大人を皮肉ったりして、私の大好きな絵本作家のひとりですが、この絵本はそれらとも少し違う、しみじみとした情感のこもった作品となっています。



  『おじいちゃん』


絵本の中には、おもしろくて、パワフルで、素敵なおじいちゃんやおばあちゃんがいっぱい、ですが。
これから日本も高齢化社会になっていくのに、現実は必ずしも絵本のように楽しい余生とは限りません。
私の祖母も痴呆症だったので、その悲しい現実を目の当たりにしてきました。
あの気の強かった祖母が・・・と、はじめのうちはそのギャップにとまどうばかり。
当時は今のように介護保険もなく、情報もなく、母とふたり頭を抱え込んでいました。
家族を巻き込んで、戦いのような毎日。
本人もつらかったでしょうが、私たちも疲れきっていました。
それでも少しずついろんなサービスがあるのを知り、それを利用しながら母は自宅で祖母を介護しました。
私が結婚して3ヵ月後、祖母は家のベッドの上で息を引き取りました。

そして今、私たちの親がそういう年齢になってきています。
我が家ではどちらの両親も健在で、おかげで私たちもあまり悩まずにきたわけですが、そろそろ考えなければならない時期にさしかかってきたようです。
日々衰えていく親たち。
一年後、二年後どうなっているかなあ、と思うと・・・。
頼むから、みんないっぺんに倒れないでよね、と願うばかりです。
もし、親を介護する日が来たら・・・。
そのときはもう居直って、ブログでくっちゃ寝の介護日記でも始めようかなあ。
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つま恋コンサート

2006-09-25 | 日々のこと。
23日に吉田拓郎とかぐや姫のコンサートが、31年ぶりにつま恋で開かれました。
NHKで生中継するときいておとーさんと楽しみにしていたのですが、当日になってハイヴィジョンのみと気づきがっかり。あ~、残念・・・

今日のワイドショーでそのコンサートの様子がとりあげられていましたね。
おとーさんと私はお昼に見たのですが、お茶碗片手に目はテレビの画面に釘付けでした。

以前も書きましたが、私、31年前のその伝説のコンサートに行ったのです。
当時はまだ高校生。
社会人だった姉に誘われ、新幹線に乗って静岡までついて行きました。
今思うと、夜通しのコンサートによく親が許したものです。
姉が一緒ということで心配していなかったのかもしれませんが、ひょっとして何も知らなかったのかも?
まあ、のんびりした時代だったのですね。


今でも覚えているのは、あのときの暑さ、熱さ。
真夏の、夕方とはいえ日陰もなくて、暑かった~。
おまけにすごい人・人・人・・・。

当時は拓郎のことあんまり好きじゃなくて、拓郎の歌になると寝てました。今思うともったいないこと!
こうせつ、風、ウィークエンド、イルカもいたかなあ?
一晩中なので、さすがに全部を聴いてはいませんが、とにかくすごかったですね。
あのエネルギー、あの一体感。

最後の拓郎の「人間なんて」の大合唱は感動的でした。
歌っているときに、ちょうど夜が明けてきた、という印象が残っています。

そして終わったあと、草むらのあちこちで、みんな所かまわず寝てたような・・・。
まあ、みんな若かったんですねえ(遠い目)。


我が家では以前からしょっちゅう古いCDをかけているので、たまにテレビで懐かしいフォークやニューミュージックがかかると、子どもに「私、なんでこんな古い曲知ってるんやろ」といやがられています
それでも長女は、古くてもサザンとユーミンとビートルズは好きみたい。
そりゃそうですよ。あなたがお腹にいるとき、おとーさんはずっとサザンを聴いてたんですから


古き良き時代、とひとことで言ってしまえばそれまでですが、私たちの青春時代はまだのんびりした時代で、それでも熱い思いを持った人たちがいて、音楽があって、自由があって、夢が持てて、幸せな時代だったのですね。

オジさんやオバさんが少しくたびれて、途方にくれている今、大先輩の拓郎やこうせつが、がんばっている姿を見せてくれるのは嬉しいものです。
最近いろいろ頭を悩ますことが多いのですが、今日は私も元気をもらいました。



10/29(日)にNHK BSで「吉田拓郎&かぐや姫 in つま恋2006 総集編」をするそうです。楽しみ~



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『重力ピエロ』

2006-09-22 | 読むこと。

夏休みに長女が学校から借りてきて、「すごくおもしろかった!」と薦められた作品です。
長女が、感想文書くから、と購入してようやく読み終えました。
(買った本って、どうしても後回しになってしまって)
作者井坂幸太郎氏は、直木賞候補にもあがった有名な方なんですね。知りませんでした

どういう話なのか知らずに読み始め、主人公の弟「春」が、母親がレイプされ身ごもった子どもという設定にまずたじろいでしまいました。
しかし、その重たいテーマとはうらはらに、軽快な語り口でストーリーは展開していきます。

謎の連続放火事件、その現場近くに残されているグラフィティアート。
兄弟と末期ガンで入院している父親をも巻き込んで、謎解きが始まります。
あっ、ミステリなんだ。
そう思うと少し気も楽になって読み続けたのですが、犯人の見当はすぐついてしまい、やはり単なる謎解きのお気楽な小説ではなかったんだ、と気づかされてしまうのです。

そう、この作品は語り手である「泉水」と弟の「春」との兄弟の物語、あるいはすでに亡くなっている美しい母と、病床にいる父をふくむ家族の物語。
なのですが・・・。

正直言って、ストーリーはすごくおもしろかったけど、私には重いテーマを扱った家族の物語にしては現実感に乏しく、どこかおとぎ話のようで釈然としなかったのです。
重い宿命を背負いながらも、めちゃくちゃカッコイイふたりの兄弟と、それ以上に素敵な父親と母親。
本人や家族の苦悩や感情は描かれず、語られる出来事だけでその重さが感じられるのですが、家族が結束するエピソードはあまりに美しすぎて、私には信じられない。
この結末も爽やかで、とても感動的なのかもしれないけれど・・・。

しかし、それも作者の意図したところなのかもしれません。
春が言うように、本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなのかもしれないから。


タイトルにもなった「重力ピエロ」というのは、家族がサーカスを見に行ったときのエピソードからきているようです。

空中ブランコをするピエロが落ちてしまわないか心配する泉水と春に、母は言います。
あんなに楽しそうなんだから。落ちるわけがないよ。かりに落ちたって、無事に決まってる」
そして父も・・・。
「楽しそうに生きていれば、地球の重力なんてなくなる」
「ふわりふわりと飛ぶピエロに、重力なんて関係ないんだから」


作品に登場する人物は、とても個性的で魅力的でした。
4人の家族だけでなく、かつてのストーカーだった「夏子さん」や探偵の黒澤さん。
特に黒澤さん、不思議な存在感がありましたね。

こういうテーマにも関わらず、とても軽快で洒落た小説でした。












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掘りたて、おいも

2006-09-20 | 日々の落書き。


きのう義母が畑から掘ってきたきたさつまいもです。
まだ土がついたままで、思わず描いてしまいました

さつまいもご飯にするか、甘煮か、てんぷらか、何にしましょう。
コロッケにしてもおいしいし、スイートポテトだと子どもが大喜び。
変わったところではスープかな。
たくさんもらうので、年末まで保管しておせちの栗きんとんにも使います。

ときどきおいものつるも煮たり炒めたりしますが、これは葉っぱや筋をとるのが大変。
時間がかかるし、指先や爪の中がまっ黒になってしまいます。

新米もおいしいし、収穫の秋ですね 

コメント (9)
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