『ヴォイス』
ル=グウィン
その日、1日中あわただしく過ごし、用事をかたづけ、
夜になってようやく借りたばかりの本を手にとりました。
アーシュラ・ル・グウィンの『ヴォイス』。
『ギフト』に続く『西のはて年代記Ⅱ』です。
『ギフト』を読んでちょうど1年がたっていました。
現実の雑事を忘れてル・グウィンの世界へ身を委ねるとき、
まさに至福の時。
私の1日のご褒美です。
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『ギフト』から20年近くの年月が経ち、
舞台も辺鄙で貧しかった<高地>から、
かつて交易の中心地で、学問や芸術が栄えたアンサルへと移ります。
しかし、そのアンサルも砂漠からやって来たオルド人の侵略を受け、
美しかった街は破壊されいてます。
文字を邪悪なものと恐れるオルド人は、
書物を持つことを禁じ、海に沈めてしまいました。
主人公メマーは、<お告げの家>の血を引く母が、
オルド人の兵士に襲われて生まれた少女です。
彼女の館には秘密の部屋があり、
こっそり持ち込まれた本が隠されていました。
彼女はそこで当主「道の長」から密かに文字を習い、
教育を受けているのです。
そこへ<高地>生まれの詩人オレックと、
ハーフライオンを連れた妻のグライがアンサルを訪れ、
物語が動き始めます・・・。
文字というものを持たなかった『ギフト』の舞台<高地>。
そして、かつて「美しく賢いアンサル」と呼ばれながら、
貴重な書物を破壊された今回の舞台アンサル。
どちらの作品も、文字がない、つまり書物というものがない、
という状況に育った主人公たちが、文字というものを教えられ、
そこから広がる素晴らしい世界を知る喜びが描かれています。
そして、書物がなくても、言葉によって語られる詩や物語は、
人々に感動を与え大きな力を生んでいきます。
それは、日々、当たり前のように文字の恩恵を受けている私に、
改めて文字というものの持つ力を考えさせられました。
長年作家として活躍しているル・グウィン女史は、
文字、あるいは書物というものを、真っ向から描こうと
しているようにさえ思えます。
私はこの作品を読みながら、
もうひとつ興味深いことを感じました。
それは異文化との衝突、あるいは理解について。
このことについては『ゲド戦記』の
『アースシーの風』を読んだときから感じていたものです。
カルガドからやって来た王女セセラクを迎えたとき、
全く違う風習の彼女を受け入れられなかったアランが、
最後には先入観を捨て彼女の素晴らしさに気づきました。
この作品でも、ふたつの違った文化や神を持つ国の衝突が、
無理解による残酷さが描かれています。
ひとつの神しか信じないオルド人と
あらゆるところに神や先祖の魂を見出すアンサルの人々。
アンサルを侵略したオルド人は、
アンサルの神や、文化や、暮らしを否定します。
侵略した国が侵略された国の神殿を破壊し、
その国の文化を否定するということは、
実際、古今東西行われてきたことです。
しかし、そこから生まれるのは憎しみだけ。
そして、憎しみはまた次の新たな憎しみを生み、
争いは止むことなく延々と続いていく・・・。
それが今の世界情勢なのでしょうか。
この作品には、違った文化を持つ国同士が共存する
ヒントのようなものが示してあるように思います。
オルド人を憎み続けた少女メマー。
しかし、彼女もオルド人を実際に知ることで、
少しずつ気持ちに変化が現れます。
まずお互いを知ること。
ごく当たり前のことですが、知ること、理解することによって、
相手の文化や風習を尊重することができるのです。
それには、人々を導く賢い指導者が必要なのでしょう。
それが一番難しいことなのかもしれませんが・・・。
興味深いのは、『ギフト』の主人公オレックにしろ、
『ヴォイス』の主人公メマーにしろ、
ふたつの違った文化を持つ親の血が流れているということです。
それは本人にとっては一見マイナスに見えながら、
実は二つの文化の担い手にもなり得るということなのでしょう。
『ギフト』を読み終えたとき、70代半ばのル・グウィン女史は、
新しいファンタジーで何を描こうとしているのだろう、
と気になりました。
9.11やイラク戦争を経験したアメリカ。
彼女は今、何を感じ、どう思われているのでしょう。
第3巻『Power』が待ち遠しいですね。