ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

奏でる者

2007-02-26 | 読むこと。
久しぶりに一気読みをしました。
木曜日の夕方から読み始め、全二巻読み終えたのは金曜日の夜11時(一応、仕事や家事をやりながら)。
肩はがちがち、眼は眼鏡をかけてもはずしても文字がぼやけ、こめかみはずきずき。それでも止められない。
読み終えたときは、脱力感でぼーっ・・・

そんなに夢中になって読んだ本とはこれ↓



      『獣の奏者Ⅰ 闘蛇編』
         上橋 菜穂子
 


      『獣の奏者Ⅱ 王獣編』
         上橋 菜穂子


『天と地の守り人』がまだ途中なのですが、新しくこの本が出ていると知り、早速図書館にリクエストしたらすぐに手に入りました。

守り人シリーズが小学生でも読めるように、文字も大きく、表現もわかりやすいのに比べると、これは大人でも読み応えたっぷり。もう1ページ目からこの不思議な世界に引き込まれ、読み出したら止まりません。
上橋さんの作品は、ファンタジーなのに、まるで世界のどこかにこの国が実在するような、そんな存在感があります。そこに描かれるのは、自分ではどうしようもない重荷を背負わされた主人公たち。その重荷を引きずりながらも精一杯生きる主人公が、否応なく王国の陰謀に巻き込まれていくのです。


      

獣ノ医術師の母と闘蛇衆の村で暮らす少女エリン。しかし、ある日闘蛇が何頭も死んだ責任を問われ母は処刑されます。闘蛇に喰われようとする母を助けようとしたエリンですが、母は逆にエリンを助けるためある「掟」を破ります。
蜂飼いに救われなんとか生き延びたエリンは、生き物に対する興味を抱き続け、山の中で野生の美しい王獣を見たのをきっかけに、王獣の医術師になろうと決心します。


これが闘蛇編のあらすじです。
この物語の中では、闘蛇、王獣など架空の生き物が登場し、物語の重要な位置を占めています。闘蛇というのは主に水中にいる生き物で、この国では大公<アルハン>の戦闘用に使われています。王獣は真王<ヨジェ>に捧げられる生き物。どちらもたぶんドラゴンのような生き物なんだろうなあ、と想像できます。
どちらも飼いならされており、闘蛇は闘蛇衆の村で、王獣は王獣保護場で世話されています。

エリンの母は、霧の民<アーリョ>という忌み嫌われている一族だったのですが、闘蛇衆であったエリンの父と結ばれ、父の死後優れた獣ノ医術師として闘蛇の世話をしていたのです。小さいころから闘蛇を見て育ったエリンが、王獣に惹かれ、王獣保護場の学舎で学ぶことになるわけです。けっして人には馴れない、といわれた王獣だったのですが、傷ついた幼獣リランを世話するうちリランと心を交わすようになったエリン。そして、知ってはいけない王獣の生態を知るのです。
そして、王獣編へと続きます・・・。


      

エリンの一途な思いが、王獣リランを操る術を見つけだします。しかし、王獣は唯一闘蛇を食らう王権の象徴。真王<ヨジェ>と大公<アルハン>の間に微妙な亀裂が生じている今、王獣を操るエリンは政治的に利用されることになると心配した学舎では、みんなで秘密を守るよう誓います。
しかし、飼いならされた王獣は空を飛ぶことも、子を産むこともないのに、リランは野生の王獣の子を孕み、王宮に報告せざるを得なくなります。生まれたリランの子を見るため、王獣保護場を訪問したヨジェ。そのヨジェの御座舟を襲う闘蛇。それを目の当たりに見ていたエリンは、思わずリランの背に乗り、ヨジェを助けに向かいます。「これは、やってはいけないことだ。これをしてしまったら、このさき、大変なことになる」と、わかっていながら・・・。
ヨジェが亡くなり、陰謀が渦巻く中、この王国の命運に関わる決断をエリンは迫られます。


闘蛇編では母の処刑というつらい場面もありましたが、蜂飼いジョウンとの暮らしや、王獣保護場で教導師や友人、傷を負ったリランとの交流の様子など、自然の中でエリンがのびのびと生きている様子が描かれていました。
しかし、王獣編になると、エリンの運命は否応なく王国の争いに巻き込まれていきます。飼いならされることで、繁殖することができなくなったイキモノたち。その縛られている鎖を解き放ちたかっただけなのに。この国の成り立ちにも深く関わる王獣。彼らを操ることは、昔の惨劇を繰り返しかねないこととなるのです。

そしてこの作品の中には、イキモノたちだけでなく、何かに縛られて生きざるをえない人物が描かれます。ヨジェを守るため生きる楯となったイアル。新しいヨジェとなり、自由を選びとることすらできない若いセィミヤ。自分の意思で生きることのできない人生。一方で、自分の意思で、自分の選択で生きようとするエリン。しかし、大きなうねりの中で彼女の思いは押しつぶされそうになります。

人という生き物が殺し合いをしながら均衡を保つ獣であるのなら、わたしが命を捨てて<操者ノ技>を封印しても、きっと、いつかまた同じことが起きる。そうやって滅びるなら、滅びてしまえばいい。

彼女の悲痛な叫びは、今の私たちの心にも突き刺さります。彼女の、野にあるものを、野にあるように育てたかったという純粋な思いが、政治に、争いに利用されていく理不尽さ。
人も獣も、力や、法や、戒律で、縛りあわなくてはいけないのでしょうか。愛ではなく、恐怖で支配するしかないのでしょうか。

絶望の淵に立たされたとき、しかし、エリンは希望の光を見出します。それはささやかな光かもしれないけれど、確かに未来へ通じる光。
また、新しい王となったセィミヤも新たな決断をし、イアルも王の楯ではなく、自分の意思で動こうと決心します。
戦いがどうなったのか、彼らがその後どうなったのか、物語には記されていません。けれど、かつての過ちを繰り返すことなく、新しく生まれ変わっていくことでしょう。新しい国で、エリンとリランは、自由を奏でる者でいてほしいものです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もうひとつの世界

2007-02-22 | 日々のこと。
『天と地の守り人 第一部』を読み終えたあと、もう一度はじめから読みたくて、このシリーズの始まりである『精霊の守り人』を読み直しました。今あらためて読むと、このファンタジーの世界観が、始まりからいかにきちんと創り上げられていたか、ということに驚かされます。

このシリーズで興味深いのは、今自分たちのいる世界<サグ>と異世界<ナユグ>が同時に存在している、という考え方です。この<ナユグ>を見ることができるのは、呪術師か、ごく一部の人だけ。それでも確かに<ナユグ>は存在し、<サグ>に影響を与えているのです。


ふたつの(あるいはそれ以上の)世界が存在する、という考え方は、おそらく小学生の頃から惹かれていました。
三次元の世界と四次元の世界、タイムトラベル、などなど。古くはTV「タイムトンネル」や「タイムトラベラー」、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などにわくわくしました。児童書でも『時の旅人』や『トムは真夜中の庭で』など、ふと違う時代に迷い込むような物語が大好きです。


ここではない、どこか。
この世界ではない、もうひとつの世界。

私の場合、そこへ連れて行ってくれるのがファンタジーなのです。

現実の世界で、私は妻であり、母であり、嫁であり、その役目に課せられた仕事はそれこそ山のよう(実際していることといえば、微々たるものですけどね)。それでも、夕飯をつくり、後片付けをし、お風呂を沸かしておけさえすれば、あとは待ちに待った私の時間。本を開けば、もうひとつの世界への扉が開かれるのです。

そういう世界へ連れて行ってくれるファンタジーにめぐり逢えたときは、まさに至福のとき。現実の雑音は消え失せ、その世界に浸りきってしまいます。
でも、ファンタジーは「ゆきてかえりし物語」。行けば、たとえそこがどんなに素晴らしい冒険にとんだ世界でも、居続けるわけにはいきません。本を閉じたらこちらに戻ってこなくては・・・。

実は今、また一冊素晴らしいファンタジーに出会えました(上橋菜穂子さんの、守り人とはまた別の作品です)。

今宵も本を片手に、ストーブの前に陣取り、

 私 :「じゃあ、行ってきま~す」
 家族:「行ってらっしゃ~い」
 主人:「・・・帰っておいでよ~」

しばし、もうひとつの世界へ・・・


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ものをつくる人たち

2007-02-21 | 読むこと。
最近、ずっと気になっていたM.B.ゴフスタインの絵本。
ようやく図書館で借りることが出来ました。
残念ながら図書館にあったのは、『ふたりの雪だるま』、『わたしの船長さん』、『おばあさんのはこぶね』、『ピアノ調律師』、『ゴールディーのお人形』の5冊だけ。
それでも、ゴフスタインの世界を堪能することができました。

驚いたことに、以前読んだことのある絵本がありました。
それは、『ふたりの雪だるま』。
パステルで描かれたこの絵本と、シンプルな線で描かれたほかの絵本の印象が違ってて、気がつかなかったのです。



   『ふたりの雪だるま』


一度見たら忘れられそうにない、印象的な表紙でしょ?
パステルで描かれた子どもが描いたような単純な絵ですが、
色合いのせいか落ち着いた雰囲気すらします。
お話もとてもシンプルで、暖かくて心にふわ~と残る絵本です。


そして、今回私がとても気に入ったのがこれ。


     『ゴールディーのお人形』


ゴフスタインの絵本はどれも小さくて、おまけに表紙の絵を見たら、
このがさつな私でさえ、手に取るのもそっと優しくなってしまいます。
それくらい、優しさが滲み出てる絵本なのです。


人形づくりをしながら、ひとりで暮らす女の子ゴールディー。
彼女は、
木のかたまりの中にうまっている、人形の新しい顔を彫りだそうと、
いつも静かに、心をこめて仕事をしました。
それだけで、彼女の人形づくりに対する真摯な態度が伝わってきます。

森でひろった枝を使うゴールディーに、大工で彼女の友達のオームスから、
どうして大工仕事の残りに出る木っ端を使わないのか、
尋ねられたときもこう答えます。
うまく言えないけど、それだと本物のような気がしないの。
それに彫っていても面白くないし、それだとうまくできないの、
生きているような気がしないのよ。


そんなゴールディーが、ある日、お気に入りのお店で、
とても美しい中国製のランプを見つけます。
お店のミスター・ソロモンの好意もあって、
その高価なランプを手に入れることができたのですが
友達の(そして多分彼に好意も抱いていたのでしょう)オームスに、
こんな高価なものを買って、とても正気とは思えないと言われ、
沈んだ気持ちで家に帰り、後悔しはじめます。

美しいものに出会った喜びを、理解してもらえなかった淋しさ。
オームスも大工というものづくりに携わっているのに、
彼とはものづくりに対する気持ちが、根本的に違っていたのです。

しかし、その夜、ゴールディーに不思議なことがおこります。
そのランプをつくった中国人も、
彼女と同じ思いでものづくりをしていたのです。
彼は言います。

私はあのランプを、会ったこともないあなたのために作ったのです。
どこかの誰かが、きっと気に入ってくれると信じて、一生懸命作ったのです。

美しいものをつくろうとする人たち。
作品に命を吹き込もうとしている人たち。

彼らは、美しいものは心や生活を豊かにする、
人の心を幸せにできる、ということを知っているのですね。

クーニーの『おおきななみ』では、ひとりの女の子が、
自分の好きなことを仕事にしようとする決心(覚悟?)を感じ、
その凛とした姿勢に心打たれました。

この『ゴールディーのお人形』では、
自分の好きなことを仕事にしている人たちの、
真摯な態度と美しいものへの一途さに心打たれました。

ゴールディーの生活は孤独かもしれないけれど、
それはひりひりとした淋しさを感じるような孤独ではなく、
大空を飛ぶカモメのような、ある種心地よい孤独なのでしょうね。

若いころ、ものをつくる人たちに憧れた私にとって、
心の残る一冊になりました。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天職

2007-02-18 | 読むこと。

 『オフェリアと影の一座』
  ミヒャエル・エンデ 作
フリードリヒ・ヘッヘルマン 絵


図書館には、本当にたくさんの絵本が並んでいて、以前気に入った絵本をまた見つけ出す、というのはけっこう難しいものです。
どうしても読みたい場合は、PCでリクエストしておいたり、司書さんに尋ねたりするのですが。

でも、ある日、ぽんと本棚に立てかけある絵本を見て、「あっ、この絵本!」と思わず再会できることもあります。
この『オフェリアと影の一座』もそうでした。
以前読んで気になっていたのに、すっかり忘れてて、久しぶりに図書館に行ったときに見つけ、思わず手にとってしまいました。

文を書いているのは、エンデ。
そう、『モモ』や『はてしない物語』の作者です。
物語も幻想的なのですが、絵がまたすごく幻想的で、このお話にぴったり。
まるでお芝居を観ているように引き込まれます。

そう、これはお芝居を演じる一座のおはなし・・・。


親から立派な大女優になってもらいたいと、名前までお芝居にちなんでつけられたオフェリアさん。
残念ながら、声が小さすぎて大女優にはなれませんでした。
でも、お芝居は大好きで、声が小さいことをいかして、舞台の役者が途中でつかえないように、小声でせりふをささやく仕事に就きました。
そして、その仕事に打ち込み、世界中の悲劇・喜劇を覚えてしまうほど。

ところが時代が移り、小さな町の劇場は閉じられることに。
オフェリアさんもお払い箱です。

最後の公演がすみ、オフェリアさんが立ち去りかねてひとりでいると、誰のものでもない影カゲスキイを見つけます。
旦那さまもいないオフェリアさんは、その寂しそうな影を連れて帰ります。
その後も持ち主のない影が、噂をききつけやってきます。
クライノイヤー、ヒトリウス、ムナシーゼ・・・。

そのうち影同士でけんかをするようになり、困ったオフェリアさんは影たちに芝居のせりふを教えるのでした。
影たちは自由自在に形を変えることができます。
夜になると影たちは、すばらしいお芝居を演じてみせるようになりました。

ところが、世間の人たちは、なんとなくオフェリアさんのことをあやしいおばあさんだと思い始めます。
そして、とうとうアパートから追い出されてしまったのです。

トランクと、影たちのはいっているハンドバッグだけを持って、あてどない旅に出たオフェリアさん。
疲れて眠りこけている間に、影たちはご恩返しをしようと相談します。
そして小さな村で、白いシーツで垂れ幕をつくり、お芝居を始めたのです。
これがうけて、見物代も稼げるようになりました。

オフェリアさんは車を買って、影たちを引き連れ、世界中を駆けめぐるようになりました。
その車には、きれいな文字でこう書いてあるのです。

オフェリアと影の一座

さて、お話はここでおしまいにしてもいいのですが、じつはまだつづきがあります
そう、作者が言うように、ここで「めでたし、めでたし」では終わらないのです。

ある日オフェリアさんは吹雪にあって、車が立ち往生してしまいます。
そこへ現われた大きな影。
その大きな、暗い影をも、オフェリアさんは引き受けてしまうのでした・・・。

この先は、胸にじーんときて、読むと泣いてしまいそうになります。
好きなことに一途なオフェリアさん、そして最後まで潔いオフェリアさん。
大女優にはなれなかったけれど、この、舞台の役者にせりふを教えるプロンプターという仕事が、彼女の天職のように思えるのです。

好きだからこそやってきた仕事。それが持ち主のない影を引き受けたことで、とんでもないことになりましたが、それでも影たちにお芝居を教えることで、またひとつ人生が開けていきます。そして、最後には・・・。

とにかく、変幻自在な影たちの様子や、行くあてのないオフェリアさんの淋しそうな後姿、おそろしい森の吹雪に、最後の方のページの厳かな美しさなど、絵がとても素晴らしいので、ぜひ手にとって読んでみてください。

そうそう、最後には

オフェリアと光の一座

って、呼ばれるようになるんですよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

守るべきもの

2007-02-15 | 読むこと。


 『天と地の守り人 第一部』
    上橋 菜穂子 作


待ちに待った『天と地の守り人 第一部』、もったいないと思いつつ一気に読んでしまいました。とにかく日々の雑事から逃れたくて
その前に出た『神の守り人』や、外伝『蒼路の旅人』からでもしばらく時が経っているのに、ページを繰ると不思議なもので、まわりの雑音は消え、すーっとこの世界に入っていけるのです。

この守り人シリーズは、30代の女用心棒バルサが主人公の物語です。児童向けファンタジーにしてはちょっと変わった主人公の設定ですが、そのせいで大人のファンも多いのかもしれません。子どものころから強い女性に憧れていた私(←自分も強くなりたかったという意味ですよ)は、短槍使いの名手でかっこいいバルサに第一巻から惹かれました。

その第一巻『精霊の守り人』では、精霊にとり憑かれ、実の父である新ヨゴ皇国の王から命を狙われる皇太子チャグムを、バルサが命懸けで守るストーリーでした。その後『闇の守り人』、『夢の守り人』、『神の守り人』と続くのですが、それ以外に外伝として、チャグムを主人公にした『虚空の旅人』、『蒼路の旅人』が出ました。
守り人と旅人のシリーズはそれぞれの物語として展開し、別々の道を歩んでいたふたりでしたが、この『天と地の守り人』でふたりの運命はまたひとつに重なっていきます。そして、今までひとつひとつの物語は完結したと思っていたのに、それらが微妙に絡まりあい、国と国との争いや駆け引き、異界<ナユグ>の変化など、壮大な物語に発展していきます。

この物語がこれまでの西洋のファンタジーと違うのは、善と悪とがはっきり分かれていないことでしょうか。そういう意味で、とても東洋的なファンタジ-といえます(舞台もアジアっぽいし)。
その国によって、あるいはその人の立場によって、当然ながら見方も考え方も変わります。ある国にとっては敵国であっても、その国内では様々な内情を抱えていたり(そしてその国でも人々は生活しているわけです)、チャグムの命を狙う者が必ずしも悪者として描かれていない、など、見方が多面的で現代に通じるものが多くあります。そのあたり、作者が文化人類学を研究されている方だからかもしれません。

そしてこの物語の魅力のひとつは、なんといっても登場人物たちでしょうね。
主人公のバルサ、この巻ではもう35才です。彼女がどうして女用心棒になったのか、ならざるを得なかったのか。そこには過去の様々な事情があり、彼女は自分の人生を背負って生きているのです。それがこの物語を単におもしろいだけでなく、人生の重みを感じさせ、深みのある作品にしています。

バルサに命を助けられた皇太子チャグムも、子どもから青年に(しかもかなりイケメン?)成長しています。皇太子として、民を守るため行動を起こそうとするチャグム。
敵国の密偵でありながら、チャグムを救おうとするヒュウゴ。
バルサの幼なじみで、呪術師の見習いのタンダ。
新ヨゴ皇国の星読博士でチャグム行方を心配するシュガ。

バルサのまわりにいる男性が、みんな素敵なのですよ
特に今回、『蒼路の旅人』で登場したヒュウゴがバルサの前に現われ、敵対関係なのに救ったり、救われたり。このふたりの場面、けっこう気に入ってます(バルサは全くそんな気、ないでしょうけどね)。

ストーリーは、タルシュ帝国から新ヨゴ皇国を救おうと奔走するチャグムですが、自国ではすでに死んだ者とされ、やっとたどり着いたロタ王国との同盟も結ぶことはできません。あちこちから命を狙われるチャグムを追いかけるバルサ。ようやく再会を果たし、ヒュウゴの伝言により、ロタ王国とバルサの故郷であるカンバル王国との同盟を結ぶことを決意して第一巻は終わります。

第二巻の舞台カンバルでは、バルサも自分の過去と向き合わないといけないのかもしれません。
新ヨゴ皇国内では、孤立しているシュガはどんな道を歩むつもりなのか。
そして、草兵として戦場にかり出されたタンダは、異界の変化に気づき、災いの予兆を感じながらどんな行動にでるのか。
それぞれの思いが、それぞれの行動が、大きなうねりとなって一つの結末に向かって流れていくようです。
ああ、どうなっていくのでしょう。早く続きを読みたい!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする