久しぶりに一気読みをしました。
木曜日の夕方から読み始め、全二巻読み終えたのは金曜日の夜11時(一応、仕事や家事をやりながら)。
肩はがちがち、眼は眼鏡をかけてもはずしても文字がぼやけ、こめかみはずきずき。それでも止められない。
読み終えたときは、脱力感でぼーっ・・・
そんなに夢中になって読んだ本とはこれ↓
『獣の奏者Ⅰ 闘蛇編』
上橋 菜穂子
『獣の奏者Ⅱ 王獣編』
上橋 菜穂子
『天と地の守り人』がまだ途中なのですが、新しくこの本が出ていると知り、早速図書館にリクエストしたらすぐに手に入りました。
守り人シリーズが小学生でも読めるように、文字も大きく、表現もわかりやすいのに比べると、これは大人でも読み応えたっぷり。もう1ページ目からこの不思議な世界に引き込まれ、読み出したら止まりません。
上橋さんの作品は、ファンタジーなのに、まるで世界のどこかにこの国が実在するような、そんな存在感があります。そこに描かれるのは、自分ではどうしようもない重荷を背負わされた主人公たち。その重荷を引きずりながらも精一杯生きる主人公が、否応なく王国の陰謀に巻き込まれていくのです。
獣ノ医術師の母と闘蛇衆の村で暮らす少女エリン。しかし、ある日闘蛇が何頭も死んだ責任を問われ母は処刑されます。闘蛇に喰われようとする母を助けようとしたエリンですが、母は逆にエリンを助けるためある「掟」を破ります。
蜂飼いに救われなんとか生き延びたエリンは、生き物に対する興味を抱き続け、山の中で野生の美しい王獣を見たのをきっかけに、王獣の医術師になろうと決心します。
これが闘蛇編のあらすじです。
この物語の中では、闘蛇、王獣など架空の生き物が登場し、物語の重要な位置を占めています。闘蛇というのは主に水中にいる生き物で、この国では大公<アルハン>の戦闘用に使われています。王獣は真王<ヨジェ>に捧げられる生き物。どちらもたぶんドラゴンのような生き物なんだろうなあ、と想像できます。
どちらも飼いならされており、闘蛇は闘蛇衆の村で、王獣は王獣保護場で世話されています。
エリンの母は、霧の民<アーリョ>という忌み嫌われている一族だったのですが、闘蛇衆であったエリンの父と結ばれ、父の死後優れた獣ノ医術師として闘蛇の世話をしていたのです。小さいころから闘蛇を見て育ったエリンが、王獣に惹かれ、王獣保護場の学舎で学ぶことになるわけです。けっして人には馴れない、といわれた王獣だったのですが、傷ついた幼獣リランを世話するうちリランと心を交わすようになったエリン。そして、知ってはいけない王獣の生態を知るのです。
そして、王獣編へと続きます・・・。
エリンの一途な思いが、王獣リランを操る術を見つけだします。しかし、王獣は唯一闘蛇を食らう王権の象徴。真王<ヨジェ>と大公<アルハン>の間に微妙な亀裂が生じている今、王獣を操るエリンは政治的に利用されることになると心配した学舎では、みんなで秘密を守るよう誓います。
しかし、飼いならされた王獣は空を飛ぶことも、子を産むこともないのに、リランは野生の王獣の子を孕み、王宮に報告せざるを得なくなります。生まれたリランの子を見るため、王獣保護場を訪問したヨジェ。そのヨジェの御座舟を襲う闘蛇。それを目の当たりに見ていたエリンは、思わずリランの背に乗り、ヨジェを助けに向かいます。「これは、やってはいけないことだ。これをしてしまったら、このさき、大変なことになる」と、わかっていながら・・・。
ヨジェが亡くなり、陰謀が渦巻く中、この王国の命運に関わる決断をエリンは迫られます。
闘蛇編では母の処刑というつらい場面もありましたが、蜂飼いジョウンとの暮らしや、王獣保護場で教導師や友人、傷を負ったリランとの交流の様子など、自然の中でエリンがのびのびと生きている様子が描かれていました。
しかし、王獣編になると、エリンの運命は否応なく王国の争いに巻き込まれていきます。飼いならされることで、繁殖することができなくなったイキモノたち。その縛られている鎖を解き放ちたかっただけなのに。この国の成り立ちにも深く関わる王獣。彼らを操ることは、昔の惨劇を繰り返しかねないこととなるのです。
そしてこの作品の中には、イキモノたちだけでなく、何かに縛られて生きざるをえない人物が描かれます。ヨジェを守るため生きる楯となったイアル。新しいヨジェとなり、自由を選びとることすらできない若いセィミヤ。自分の意思で生きることのできない人生。一方で、自分の意思で、自分の選択で生きようとするエリン。しかし、大きなうねりの中で彼女の思いは押しつぶされそうになります。
人という生き物が殺し合いをしながら均衡を保つ獣であるのなら、わたしが命を捨てて<操者ノ技>を封印しても、きっと、いつかまた同じことが起きる。そうやって滅びるなら、滅びてしまえばいい。
彼女の悲痛な叫びは、今の私たちの心にも突き刺さります。彼女の、野にあるものを、野にあるように育てたかったという純粋な思いが、政治に、争いに利用されていく理不尽さ。
人も獣も、力や、法や、戒律で、縛りあわなくてはいけないのでしょうか。愛ではなく、恐怖で支配するしかないのでしょうか。
絶望の淵に立たされたとき、しかし、エリンは希望の光を見出します。それはささやかな光かもしれないけれど、確かに未来へ通じる光。
また、新しい王となったセィミヤも新たな決断をし、イアルも王の楯ではなく、自分の意思で動こうと決心します。
戦いがどうなったのか、彼らがその後どうなったのか、物語には記されていません。けれど、かつての過ちを繰り返すことなく、新しく生まれ変わっていくことでしょう。新しい国で、エリンとリランは、自由を奏でる者でいてほしいものです。
木曜日の夕方から読み始め、全二巻読み終えたのは金曜日の夜11時(一応、仕事や家事をやりながら)。
肩はがちがち、眼は眼鏡をかけてもはずしても文字がぼやけ、こめかみはずきずき。それでも止められない。
読み終えたときは、脱力感でぼーっ・・・
そんなに夢中になって読んだ本とはこれ↓
『獣の奏者Ⅰ 闘蛇編』
上橋 菜穂子
『獣の奏者Ⅱ 王獣編』
上橋 菜穂子
『天と地の守り人』がまだ途中なのですが、新しくこの本が出ていると知り、早速図書館にリクエストしたらすぐに手に入りました。
守り人シリーズが小学生でも読めるように、文字も大きく、表現もわかりやすいのに比べると、これは大人でも読み応えたっぷり。もう1ページ目からこの不思議な世界に引き込まれ、読み出したら止まりません。
上橋さんの作品は、ファンタジーなのに、まるで世界のどこかにこの国が実在するような、そんな存在感があります。そこに描かれるのは、自分ではどうしようもない重荷を背負わされた主人公たち。その重荷を引きずりながらも精一杯生きる主人公が、否応なく王国の陰謀に巻き込まれていくのです。
獣ノ医術師の母と闘蛇衆の村で暮らす少女エリン。しかし、ある日闘蛇が何頭も死んだ責任を問われ母は処刑されます。闘蛇に喰われようとする母を助けようとしたエリンですが、母は逆にエリンを助けるためある「掟」を破ります。
蜂飼いに救われなんとか生き延びたエリンは、生き物に対する興味を抱き続け、山の中で野生の美しい王獣を見たのをきっかけに、王獣の医術師になろうと決心します。
これが闘蛇編のあらすじです。
この物語の中では、闘蛇、王獣など架空の生き物が登場し、物語の重要な位置を占めています。闘蛇というのは主に水中にいる生き物で、この国では大公<アルハン>の戦闘用に使われています。王獣は真王<ヨジェ>に捧げられる生き物。どちらもたぶんドラゴンのような生き物なんだろうなあ、と想像できます。
どちらも飼いならされており、闘蛇は闘蛇衆の村で、王獣は王獣保護場で世話されています。
エリンの母は、霧の民<アーリョ>という忌み嫌われている一族だったのですが、闘蛇衆であったエリンの父と結ばれ、父の死後優れた獣ノ医術師として闘蛇の世話をしていたのです。小さいころから闘蛇を見て育ったエリンが、王獣に惹かれ、王獣保護場の学舎で学ぶことになるわけです。けっして人には馴れない、といわれた王獣だったのですが、傷ついた幼獣リランを世話するうちリランと心を交わすようになったエリン。そして、知ってはいけない王獣の生態を知るのです。
そして、王獣編へと続きます・・・。
エリンの一途な思いが、王獣リランを操る術を見つけだします。しかし、王獣は唯一闘蛇を食らう王権の象徴。真王<ヨジェ>と大公<アルハン>の間に微妙な亀裂が生じている今、王獣を操るエリンは政治的に利用されることになると心配した学舎では、みんなで秘密を守るよう誓います。
しかし、飼いならされた王獣は空を飛ぶことも、子を産むこともないのに、リランは野生の王獣の子を孕み、王宮に報告せざるを得なくなります。生まれたリランの子を見るため、王獣保護場を訪問したヨジェ。そのヨジェの御座舟を襲う闘蛇。それを目の当たりに見ていたエリンは、思わずリランの背に乗り、ヨジェを助けに向かいます。「これは、やってはいけないことだ。これをしてしまったら、このさき、大変なことになる」と、わかっていながら・・・。
ヨジェが亡くなり、陰謀が渦巻く中、この王国の命運に関わる決断をエリンは迫られます。
闘蛇編では母の処刑というつらい場面もありましたが、蜂飼いジョウンとの暮らしや、王獣保護場で教導師や友人、傷を負ったリランとの交流の様子など、自然の中でエリンがのびのびと生きている様子が描かれていました。
しかし、王獣編になると、エリンの運命は否応なく王国の争いに巻き込まれていきます。飼いならされることで、繁殖することができなくなったイキモノたち。その縛られている鎖を解き放ちたかっただけなのに。この国の成り立ちにも深く関わる王獣。彼らを操ることは、昔の惨劇を繰り返しかねないこととなるのです。
そしてこの作品の中には、イキモノたちだけでなく、何かに縛られて生きざるをえない人物が描かれます。ヨジェを守るため生きる楯となったイアル。新しいヨジェとなり、自由を選びとることすらできない若いセィミヤ。自分の意思で生きることのできない人生。一方で、自分の意思で、自分の選択で生きようとするエリン。しかし、大きなうねりの中で彼女の思いは押しつぶされそうになります。
人という生き物が殺し合いをしながら均衡を保つ獣であるのなら、わたしが命を捨てて<操者ノ技>を封印しても、きっと、いつかまた同じことが起きる。そうやって滅びるなら、滅びてしまえばいい。
彼女の悲痛な叫びは、今の私たちの心にも突き刺さります。彼女の、野にあるものを、野にあるように育てたかったという純粋な思いが、政治に、争いに利用されていく理不尽さ。
人も獣も、力や、法や、戒律で、縛りあわなくてはいけないのでしょうか。愛ではなく、恐怖で支配するしかないのでしょうか。
絶望の淵に立たされたとき、しかし、エリンは希望の光を見出します。それはささやかな光かもしれないけれど、確かに未来へ通じる光。
また、新しい王となったセィミヤも新たな決断をし、イアルも王の楯ではなく、自分の意思で動こうと決心します。
戦いがどうなったのか、彼らがその後どうなったのか、物語には記されていません。けれど、かつての過ちを繰り返すことなく、新しく生まれ変わっていくことでしょう。新しい国で、エリンとリランは、自由を奏でる者でいてほしいものです。