ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

この夏の読書 〈2024〉

2024-09-02 | 源氏物語覚書






毎年ながら夏が大の苦手の私ですが、今年のこの異常な蒸し暑さと
迷走台風にはもううんざり
早々に暑さに降参し、お籠りして読書に勤しむつもりでいました。

実は今年の夏は『三体』で乗り切ろうと計画していたのです。
が・・・
ちょっと私にはその世界が向いてなかったというか、
登場人物に興味が持てなかったというか・・・
すごく面白い!と聞いていただけに、残念


結局、今年はもうこれしかないでしょ、という感じで再度手に取ったのは『源氏物語』。
これまで与謝野晶子、円地文子、林真理子、瀬戸内寂聴・・・と読んできましたが、
林望氏の『謹訳 源氏物語』を一巻しか読んでなかったので、再度挑戦中です。
おまけにその関連本も久しぶりに手に取りました。
私はSFよりファンタジー、歴史ものだなあ・・・と再確認した次第。
(それでいうと「キングダム」にもハマってしまい、映画も観てきました


大河ドラマの「光る君へ」は佳境に入り、ようやく(!)まひろが『源氏物語』を
書き始めましたね!
『枕草子』の場面は鳥肌がたちましたが、千年以上前の名作が生まれる瞬間を
こんなふうに目にすることができるなんて・・・


紫式部を取り上げた「光る君へ」では、直接『源氏物語』を描くことはないようですが、
これまでまひろが経験してきたことが物語に反映されるであろうことは必須。
なので、ドラマで宣孝の子である賢子が道長の子という設定には「えっー!?」驚いたものの、
すぐになるほどな~と納得しました。

『源氏物語』では、光源氏が父である桐壺帝の妃である藤壺の宮に亡き母の面影を求めて
慕い続け、ついには思いを遂げ藤壺の宮は光源氏との子を身籠ってしまいます。
そのことが、後の物語にまでずーっと影響を与えていくわけですが・・・

この時代に、こういう設定を考えたこと自体すごいなと思っていたのですが、
ドラマのように実はまひろが生んだのは道長の子であった、とすれば、
不義密通の子が産まれたという設定に説得力が増します。
おまけに、それを宣孝も知っていてまるごとまひろを受けとめた、ということになると
無神経な行動をとっていた宣孝の株も上がり、その後彼を失うまひろの喪失感にも納得できます。
この脚本はさすが!

私がドラマでずーっと気になっていたのは、史実に忠実な展開だと道長がどこでダークに
陥ってしまうんだろう、ということでした。
ところが、その部分を安倍晴明や詮子が担い、道長はあくまでクリーン。
まひろと約束したようによき世をつくるため、それこそ命がけで奔走しています。
詮子が亡くなり、安倍晴明も天に召されたあとは、いよいよ道長も闇落ちか・・・と
半分期待しているのですが・・・
どうもこのまま子煩悩なパパであり続けそうな気配(笑)

それでもだんだん貫禄もついてきて、興福寺の別当相手に堂々と渡り合ってましたね。
これからは手に入れた権力で堂々とねじ伏せていくのかな。
まだまだ無理難題が押し寄せてきて窮地に追い込まれる道長が、
どうやって「いい人」であり続けられるのか、今後の展開が楽しみです







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六条御息所 源氏がたり

2010-07-28 | 源氏物語覚書
最近、(根気がなくて)なかなか本のレビューが書けません。
気づいたら↓が書きかけで、ほったらかしたまま・・・
久しぶりに『源氏物語』関連でもあるので、覚書のつもりでアップしました。


 
     ・・・     ・・・     ・・・




『六条御息所 源氏がたり 
           光の章』
    林 真理子


毎日新聞の書評欄でこの本のことを知りました。
あの六条御息所が光源氏のことを語る。
それだけでも興味津々なのに、作者が林真理子さんということで、
新たな切り口で源氏物語が読めるのでは、とかなり期待して手に取りました。

まず、とても読みやすい。
『源氏物語』は口語訳でも、その時代背景や人間関係がわかっていないと
正直言って読みづらいです。
でも、この作品では「六条御息所自ら語る」という形で、
口語訳では省略されているようなことも説明されています。

光源氏の母桐壺が、他の後宮の女たちからいびり殺されたように
言われているけれども、それにはこういう背景があって、
帝ともあろう方が他の女性をないがしろにしてはいけない。
あるいは、東宮妃であった私がどうしてこんな身になってしまったのか。
また、夕顔が突然亡くなってしまったのはなぜか・・・などなど。

文化も生活習慣も考え方も違うこの時代。
確かに現代の私たちが読んでいて、腑に落ちなかったり、
突拍子がないように感じたりすることがありました。
でもこの作品を読んで、あっ、なるほど、そういうことだったのか
今の私たちにもわかる形で「なるほど~」と納得させてくれます。
そこまで細やかに女性たちの心理描写を描いてくれているわけです。

へ~、と意外に思ったのは、紫の上が光源氏に対して、
”破瓜の屈辱と恨みを、生涯お忘れにならなかったのではありますまいか”
と、解釈されたところ。
確かに、紫の上はまだ幼いうちに、保護者として信頼していた光源氏から
裏切られたわけですが、この時代ではしかたがないよね、
相手が光源氏だからまだいいよね、みたいなことを思ってました。

でも、実際そんなことが起これば、やはりどんな相手であれ、
傷は傷として一生残るはず。
光源氏しか頼る後ろ盾がなかった紫の上にしてみれば、
愛情だけではなく、生涯複雑な思いを抱いていたのかもしれません。
それを表に出すこともせず、けっこうしんどい一生を送ってたわけですね。

また、意地悪の象徴のような弘徽殿女御(こきでんのにょうご)に
対しても、女性の目から同情的な解釈をしています。
弘徽殿女御は、右大臣の娘であり桐壺帝の正妻という女性のトップの
立場にいながら、実は淋しい思いをしているわけです。
帝は光源氏の母である桐壺や、桐壺亡き後は彼女によく似た藤壺に夢中。
皇太子の母という身分ではあるけれども、帝の愛情は得られていません。

そのあたり、皇太子の正妻という立場であった六条御息所は
そういう身分ゆえの不自由さや淋しさはよくわかっていて、
弘徽殿女御が桐壺や光源氏に対して恨みを抱いても仕方がないなあ、
と思えてきます。


・・・と、まあ現代の女性にも共感しやすいよう解釈されていますが、
そこには作者の想像もあるわけです。
これは「源氏物語」をモチーフにしたひとつの作品にすぎません。
林真理子が描く「源氏物語」なのです。
だから、自分の持っていたイメージと違うなあと感じるかもしれません。

私自身、自分が抱いていた六条御息所のイメージとはちょっと
違うような・・・
生霊となるほど情念を秘めた女性ではあるけれど、
その思いを赤裸々に語ってほしくはなかったんですねー
まっ、それではお話になりませんが(笑)

この作品では、藤壺の出家までが描かれています。
この後どんなふうに語られるのか、やっぱり気になるので
続編が待ち遠しいです。

それにしても光源氏という人は、本当に女性の気持ちに対して無頓着で、
能天気というか・・・なんでこんな男性がモテたのでしょうね。
そのわがままが許せてしまうくらい美形だったということかなあ。
それとも、当時の男性は、皆こういうもんだったのでしょうか。

『源氏物語』は好きですが、登場する男性はどうも好きになれません。
平安時代に生まれてなくてよかったわ~



コメント (2)
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源氏物語 <末摘花>

2009-06-03 | 源氏物語覚書
アップするのは5ヵ月ぶり(!?)になった源氏物語覚書
実は<若紫>を書いた1月時点で、ほとんど
この<末摘花>も書いてはいたのです。
それをアップしなかったのは・・・。

この<末摘花>の巻、みなさんご存知のように、
光源氏が醜女の代表のような女性、末摘花と
なぜか関係してしまったお話です。

初めて読んだときから、なんとなく親しみを感じていた末摘花(笑)
けれど、今回読んでみて、なんでしょうねえ・・・、
あまりに紫式部の筆が容赦ないのに、後味の悪さ?
みたいなものを感じて、もう一度読み直し、
自分なりに末摘花像を考えようと思ったのです。

・・・はい、結局そのまま読み直すこともなく、
今になってしまっていました~

で、↓が1月に書いた文章です。


  * * * * *


この巻は帚木、空蝉、夕顔に続くb系にあたり、
本筋からはちょっと離れた光源氏の恋の失敗談です。
美男美女が多く登場する『源氏物語』の中で、めずらしく光源氏が
不美人の女性と関わってしまったお話。


夕顔を忘れられない光源氏は、可愛らしく気兼ねのいらない女性を
見つけたいものだと凝りもせず思い続けています。
そんな評判を聞きつけると文を送るなど、相変わらずのマメ男(笑)

そんなとき、大輔<たゆう>の命婦から故常陸の宮の姫君のことを聞きます。
なんでも父宮の死後、頼る人もなく心細い有様で暮らしているとか。
気立てや器量は知らないけれども(ここがミソですね)琴を弾く、
と聞いただけで光源氏は興味を持ちます。

頭の中将に跡をつけられているのも知らず、
琴の音を聞きたいとせがんでお屋敷へ向かいます。
ここで頭の中将をもってきたのがうまいですねえ。

というのも。
荒れ果てた屋敷に美しい姫が住んでいるのかもしれない、
と、ふたりで妄想をかきたて(笑)文などを
さし上げるのですがいっこうに返事がありません。
半ば興ざめしながらも、もし頭の中将の方に靡かれたら
さぞ悔しいことだろうと、へんなライバル心を抱いて
その気になってしまうのですね(笑)

さて、とうとう強引に末摘花と一夜の契りを結んだ光源氏ですが、
あまりの手応えのなさにがっかり。
そしてある雪の朝、光源氏は末摘花の姿をちらっと見てしまいます。
(この時代、女性の姿を見るのは失礼なこと。
 おまけに夜は真っ暗闇だし、肝心の女性の顔かたちを
 じっくり見る機会がないらしい)

その末摘花の容姿はというと・・・
青白く長い顔に、鼻が象のように長く(!?)、
しかも鼻先が赤らんでいます。
胴長で、気の毒なほど痩せた身体。
着ているものは古臭く、色あせていて・・・
ほとんどいいところがありません。
唯一申し分ないのは、豊かな黒髪だけ。

またまたがっかりした光源氏は、情けなく思うものの、
自分以外なら誰も相手にしないだろうと気の毒にも思われ、
かえってその後もお世話をされるのでした。
そして、つくづく身分のよしあしで
女性の品が決まるのではないと痛感されたことでしょう。


さて、光源氏を手引きした大輔の命婦という女性、
実はなかなか浮名の多い女性で、
ふたりの会話から推察するとたぶん光源氏とも
それなりの関係だったのではないでしょうか。
その女性が高貴な姫君を紹介する、というのはありえますが、
本当に末積花の器量を知らなかったのでしょうか。
私は、知っていて光源氏をそそのかした、
という気がしてならないのですが(笑)

コメディタッチのこの巻ですが、私はどうも気に入らないのです。
醜女として描かれている末摘花に救いがないのです。
筆者である紫式部の筆に温かみが感じられません。
最後には紫の上相手に笑いものにしています。

末摘花は「蓬生」の巻でも再度登場します。
ここでは須磨へ流された光源氏を待ち続ける生一本な女性として描かれいて、
最後には光源氏が面倒を見ることになり少しほっとしました。





末摘花とは紅花の別名。
古くから染料などに使われていました。
山形県の県花になっています。
※↑の写真はHPからお借りしました


 * * * * *


で、どうして今になってこれをアップする気になったかというと、
先日、俵万智さんの『愛する源氏物語』という本を買ったんですね。
これは『源氏物語』に出てくる和歌を万智さん風に解釈してあり、
思いがすんなり伝わってくるのです。

正直な話、これまで和歌ってあまりよくわからないし、
物語の添え物的な感じで読んでいました。
でも、この時代、貴族の日常において
和歌の重要性というのはかなり大きなものです。

恋に和歌はつきもの。
和歌をうまくつくれなければ、お話にもなりません。
もてるための必須条件なんですよ。
現代人の私たちからしたら、何、悠長なことを、
と感じてしまうのですが(笑)

万智さんの本によると、この末摘花、身分は高いのに
和歌に関しては全くダメで、センスもなしという女性。
(末摘花の六首の和歌のうち、三首に「からころも」が
 使われているそうで、なるほどなあと思いました)
醜女というのは見た目だけのことではなくて、
どうやらそのあたりも含めてのことのようです。

反対に、空蝉は見た目はそんなにぱっとした女性では
ありませんでしたが、光源氏にとって忘れられない女性となりました。

容姿だけではなく、教養とかセンスといったものが
この時代の美人の条件だったわけですね。
美人になるには、いつの時代も大変なのです。
がんばれ、末摘花!!

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源氏物語 <若紫2 紫の上>

2009-01-20 | 源氏物語覚書
この巻は『源氏物語』の中でも、後の展開に関わる重要な部分です。

ひとつには、<若紫1>に書いたように、
義母である藤壺が光源氏の子を懐妊します。
それは、自分の子が帝の子として生まれることであり、
そのことが彼の人生に栄光と苦悩を与えることになります。

もうひとつは、紫の上の登場。
さまざまな女性と関わりを持つ光源氏ですが、
生涯を共にする紫の上は彼にとって特別な存在。
その紫の上がまだ少女のときに出会います。


光源氏は、北山で見かけた藤壺によく似た少女を忘れることができません。
少女の面倒を見ていた祖母の尼君が亡くなり、
父親である兵部卿の宮(藤壺の兄)が迎えに来る直前に
なんと少女を奪って連れて帰ってしまいます。
つまり、これって、今で言う少女誘拐!?拉致!?

光源氏にすれば、藤壺との辛い恋のうさばらしに身代わりの少女をそばに置き、
一流の教育をし、素晴らしい女性(自分の理想の女性?)に仕立て上げたい、
という願望があったのです。

母桐壺への思慕が、義母藤壺への憧れとなり、
藤壺に満たされぬ思いが、彼を少女の略奪という
とんでもない行動にかりたててしまったのですね。

この光源氏という人、すんなり手に入ったものにはすぐ冷めてしまうようです。
葵の上や六条御息所という高貴で美しい女性がいながら、
障害の多い恋にのめりこむ困ったタイプなんですね(笑)

この紫の上も、祖母である尼君に引き取りたいと願い出ても、
まだ幼いからとなかなか許してもらえなかったわけです。
そうこうしているうちに尼君が亡くなり、
正妻やその子がいる父親の家に引き取られることになり、
そうなったら面倒だ、とばかりに強引に連れ去るわけです。


以前は、この紫の上はシンデレラのような女性だなあ、と
ある意味羨ましく思っていました。
幼い頃母が亡くなり、頼りにしていた祖母も失って、
父のもとへ行けば継母にいじめられたかもしれない。
それが、源氏のような今をときめく素敵な男性に庇護されるのですよ~

でも、一方で彼女は光源氏しか知らず、また後ろ盾もないため、
彼に頼らざるを得ない不安定な身の上です。
心のうちでは常に不安を抱えていたのではないでしょうか。

また光源氏の浮気に嫉妬したくても、そういうことをするものではない、
と教え込まれているために、自分の心をずっと押し殺してきたと思うのです。
美しく、教育もあり、何でもできる素晴らしい女性ではありますが、
ひたすら光源氏を待つしかない、かわいそうな女性といえるかもしれません。

年末にテレビを観ていたら、瀬戸内寂聴さんが源氏の話をされていて、
光源氏の父桐壺帝は藤壺と光源氏の関係を気づいていたのではないか、
みたいなことをおっしゃっていました。

それでは、紫の上はどうだったのでしょう?
藤壺と光源氏のことを気づいていたのでしょうか。
自分が藤壺の身代わりだった、と知っていたのでしょうか。

生涯光源氏に大切にされてきた紫の上ですが、
彼女の人生は果たして幸せだったといえるのでしょうか・・・。

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源氏物語 <若紫 1>

2009-01-16 | 源氏物語覚書
気がつけば、4ヵ月ぶりの『源氏物語』。
ええーっ、いつの間に!!
この年になると、時はするするとこぼれ落ちていくのです。
「時間がない」と言ってては、何もできませんよね。

みなさまの暖かい励ましにお応えして、がんばります~


  +  +  +



『源氏物語』はご存知のように全部で54巻ありますが、
1巻から順に書かれたのかどうかはわかっていません。
というのも、「桐壺」からこの「若紫」を読むと、
ストーリーがすっきりしているのだそうです。

今まで読んできた2~4巻の「帚木」「「空蝉」「夕顔」は
登場人物をみても、ひとつのまとまった話になっています。
ひょっとしたら、これらはあとから挿入された話なのかもしれません。

大野氏と丸谷氏の対談集『光る源氏の物語』では
33巻までをa系b系と分ける説が紹介されていました。
本筋である光源氏のサクセスストーリーであるa系と、
彼の恋の失敗談を綴ったb系です。
筆の運びが生き生きとして、おもしろいのはもちろんb系(笑)
紫式部がこの長い物語を書き始め、宮中で人気が出たあとに
番外編のような感じで書き足したのでしょうか。
今の人気小説とかわりませんね。




    別冊「太陽」より 源氏物語絵巻 若紫



さて「若紫」です。
光源氏は18歳。
瘧病(わらわやみ)にかかり、加持祈祷のため北山へ出かけます
そこの僧都の庵で、彼は藤壺にうりふたつの少女を見かけるのです。
実はその少女、藤壺の姪で、母を失い祖母の尼君に育てられていたのでした。
それを知った光源氏は、なんとかこの少女を引き取りたいと思います。

この少女が、この後ずっと光源氏と暮らすことになる紫の上です。
まだ幼い少女であるにもかかわらず、見初めてしまうわけですね。
↑の写真は、光源氏が少女を覗き見しているところ(笑)

都へ戻った光源氏は、正妻である葵の上へ行きますが、
やはり打ち解けてはもらえません。
心は北山で見かけた少女のことを思っています。

その頃、愛しい藤壺の宮が病気のため里にさがっているというニュースが。
再会できるチャンスとばかり、光源氏は王命婦
(おうのみょうぶ=皇族出身の位のある女官)のつてで
藤壺の寝所へ忍び込みます。

思いは遂げたものの、夢のような短いはかない逢瀬に苦しむ光源氏。
もう二度とこんなことにはなるまい、と悔いていながら、
再びこんな恐ろしい過ちを犯してしまった嘆く藤壺。

実はこれ、光源氏と藤壺の二度目の逢瀬なんです。
第一巻から読み返しても、ふたりの最初の逢瀬のことは一言も出てきません。
この物語の重要な部分であるはずなのに、なぜ?

確かに読んでて「あれ?」と思います。
この巻で唐突に、以前にも関係があった、みたいな記述がでてくるのですから。

ここでいろんな説が出てきます。
紫式部が実際書かなかったのか、
書いたけれどもその巻が何らかの理由で表に出されなかったのか。
それに関しては「かがやく日の宮」という巻があり、
それがなくなってしまったのではないか、という説もあります。
事実はどうなのでしょう。
今でもどこかの蔵の中に、虫に喰われて眠っているのかもしれませんね。

このときの逢瀬で、ふたりは重い宿命を負うことになります。
そうです。藤壺が懐妊してしまったのです。
帝である父親の妻、自分の義理の母が、自分の子どもを宿す。
これは恐ろしいタブーですよね。
でも、このことによって<桐壺>に出てきた高麗の相人の謎めいた予言
-つまり、帝位につく相だが、そうなると世が乱れる。
かといって、臣下になる相でもない-
が実現していくきっかけとなるわけです。


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