腰痛が完治せず、延び延びになっていた「ホビット 決戦のゆくえ」を
先日ようやく観に行くことができました。
「ロード・オブ・ザ・リング」から連なる一連の物語、最後の作品ということで
もちろん期待して行ったのですが・・・
は~、すごかったです~
*↓ネタバレあります*
前作「竜に奪われた王国」のラストがあれだったので、スマウグが湖の町を襲うシーンから
始まるんだろうなあ、とは思ってはいましたが、まあしょっぱなからすごい迫力。
スマウグの吐く炎であっと言う間に町は炎に包まれ、必死で人々が逃げ惑います。
でも、これはまだ序の口。
あれよあれよという間に、意外にあっけなくカンバーバッチ氏のスマウグは仕留められ・・・
そう、今回の物語はスマウグを退治した後の、竜の財宝をめぐるドワーフ、エルフ、人間の駆け引きや、
復活した闇の勢力によって攻めてくるオークの軍勢との戦いが中心となって描かれているのです。
戦いのシーンが多くて少々疲れてしまいましたが、その中でも、いえそんな状況だからこそ、
ビルボの素朴さが際立ったというか、とにかくマーティンのビルボがかわいくて(笑)
正直言って、『指輪物語』のときからなんでこんな大役をホビットに?みたいな
ところは感じていたのですよ。
どうもその必然性が感じられなくて。
でも、旅の仲間に助けられ、何よりあの純朴で献身的なサムが不安定なフロドと一緒にいたからこそ、
指輪を葬り去ることができたわけです。
サムのように、争いごとを好まず平凡な日常を愛してはいるものの、芯が強くて、窮地に立たされると
勇猛果敢に戦うことができる、というのは、ホビットの特色のひとつなんですよね。
今回のビルボは、派手な立ち回りのレゴラスやイケメン揃いのドワーフに多少食われた感があったけど、
実はそれがとてもホビットらしさを演出していたのではないかと思いました。
目立たないし、本人も自分の重要性に気づいてないけど、ホントは要所要所できっちりいい仕事している、
みたいな。
それって、もうジョン・ワトソンと同じじゃないですか~(←こじつけ?・笑)
トーリンの死を悲しむビルボが、シャーロックの死を悲しむジョンとだぶって見えたのは私だけ?
・・・話を戻しましょう(汗)
印象的だったのは、ビルボが手に何かを持って物思いにふけっているときに、背後からトーリンに
「何を持っている」と尋ねられた場面。
私もてっきり、これはトーリンが必死で探しているアーケン石に違いない、と思ったのです。
やばい、見つかった、と。
ところがビルボが持っていたのは、ビヨルンのところから持ってきたどんぐり。
家に帰ったらこれを庭に植えるのだ、と答えるビルボ。
それを聞いて、財宝に目がくらんで人格がすっかり変わってしまったトーリンが、一瞬以前の
優しい顔にもどるのです。
そして観ている私たちも、ふっと肩の力が抜けて微笑ましい気持ちになれる。
忍びのうまさやいざというときの豪胆さだけでなく、ビルボには他の誰にもない
こういう力があるんだなあ。
そんなビルボをマーティンはとてもうまく演じていたと思います。
(いや、ひょっとしたら素早くアーケン石を隠してごまかしたのかも?
そんなこともジョン・・・ではなくビルボならできそう、とも思わせてくれる・笑)
そんなビルボの潜在能力を一目で見抜いた(?)ガンダルフもすごいですよね~
財宝をめぐる交渉は決裂し、いよいよドワーフvsエルフ・人間の戦いが始まります。
そこを突如襲ってきたのがアゾグ率いるオークの軍団。
三軍は共にオークと戦うことになりますが、圧倒的な大軍にだんだん追い詰められていきます・・・
原作を知っているから、この戦いで誰が亡くなってしまうか前もってわかるのもつらい。
いつ?どんなふうに?とハラハラしながら観ていました。
キーリのところでは原作にないタウリエルとの恋愛があったので、わかっていても
やっぱり目が潤んでくるし、トーリンのところも、氷の下を流れて行くアゾグが目を
見開くんじゃないかとハラハラドキドキ。
そして・・・ああ、言わんこっちゃない(涙)
最終的に勝利しますが、失うものも多かったこの戦い。
めでたし、めでたし、で終わらないのは、闇の勢力が再び力を持ち始め、不穏な空気が
感じられるからでしょうか。
原作と違っているのは、ここから「ロード・オブ・ザ・リング」に繋がっていくんだ
ということが、かなりはっきりと明示してあることです。
でもそれは、すでに映画を観ている私たちにとっては嬉しいことですよね。
この後、レゴラスはアラゴルンを探しに行き、ビルボはホビット荘に戻って
『ゆきてかえりし物語』を書いて・・・、そして『指輪物語』が始まる。
すべてを見終わって、こちらも長い長い旅を終えたような達成感と一抹の寂しさを感じましたが、
もう一度始めから「ロード・オブ・ザ・リング」を観てみたい、『指輪物語』を読み返してみたい、
と思うようになりました。
物語が終わり、長~いエンドロールのバックに描かれていた数々のデッサン。
飽きずに見惚れてしまいました。
こういうファンタジー映画をつくる場合、大きな建物から身近な調度品まで、こうやって
ひとつひとつ丹念にデザインし、それを形にしていかなければならないんですよね。
本はそれらを言葉でリアルに感じさせなければならないけど、映画は実際に一から作らなけれなならない。
それって、途方もない作業だと思います。
美術、脚本、演じる人たちの熱~い思いがあって、こんなに素晴らしい映画ができるわけですよねえ。
ファンタジーファンとしては、『ゲド戦記』もいつか「ロード・オブ・ザ・リング」のような
クオリティの高い映画で観てみたいなあ・・・