『吾妻鑑人名総覧』という本だったと思うが、大江久兼の父は久俊、とあった。ともに「山城介」であった。
大江氏のwebで見ることの出来る系図を見ているが、久俊も久兼も出てこない。
ところが、紀氏の系図には紀久俊の父である【頼季】
『1074-4-8 紀朝臣頼季 従5位下 山城介』とあるのだ。
1074年に山城介となっているので、大江久俊の父親ではないかもしれないが、一応検証してみようと思う。
なぜなら、因幡守大江広元の目代が大井実春であったから、大江氏と紀氏(大井氏含む)接点がある事。
また、源頼政の妾として紀頼季の娘のことが載っていた事。
源国政の母が紀頼季の娘であった事。
宇都宮氏とのつながりもある事。
秀郷流のなかでも紀実経=菖蒲実経=波多野実経と考えられそうな事。
佐々木定道の母は紀盛宗の娘である事。
そして、下記は京都大学の論文からで、再度アクセスしようとすると危険なページと出て遮断されてしまい、名前を確認することができなかった。
が、スクリーンショットを取ってあったので、
頼季ー久俊と続いていることが確認できる。
上記の【紀頼任】を調べてみると、、、、と続くが、次の記事にしようと思う。ここが深尾氏にも繋がるラインのように思える。