九里 【九里】を探して三千里

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土岐長沢氏 と 里見中沢氏 (2) 右衛門尉光綱は何方だったのかが解けた。

2020-01-20 | 雑記


http://kuwaichi.dip.jp/u_2_2.html
こちらのページの二番目の系図
その註
「母九郎判官源義経女 右衛門尉光綱為養子嫁レ義基」

下記のように解釈したが、合っていたのだろうか?
右衛門尉光綱のために養子に入った義基の「嫁となった義経女」(重基を産む。)

右衛門尉光綱のために養子となった「義基の嫁」が「義経女」

どっちなのだろう。。。

右衛門尉光綱とは、どなたのことなのだろうか?
上記のアドレスのページの方は「野木光綱カ?}という事であったので、
私は別の人物を考えてみたい。

https://chibasi.net/enjouji1.htm
「千葉氏」のなかの【円城寺氏】のページにも、若かりし頃の(?)「藤原光綱」が家司として登場している。
中将師家の新補家職(『山槐記』治承三年十月七日条)には、
藤原光綱 正五位下 中宮権大進 兵部少輔光綱〔新補〕
(『兵範記』仁安二年十一月廿六日条) 1167年

師家とは関白基房の息「松殿師家」のことと思われる。
そんな人物の家司であった光綱に養女として入ったのだろうか?

野木光綱は1187年生まれで、義経が歿したと言われているのが1189年
義経が歿する少し前に野木光綱が生まれている。

義経の娘なので、遅くとも1190年までには生まれている。

「右衛門尉光綱」なので、他にいるかもしれない。

===*===

もう一度考え直し、http://kuwaichi.dip.jp/2_3_4.htmlを読む。

源有綱の妻が義経の娘とすると、その周辺(源頼政の周辺)の多田光綱が当てはまるようにも思える。
有綱は頼政の孫である。

やっとそのあたりを見渡せる系図が見つかったのでここに貼ろう!


この光綱(基綱が若くで没しているために息二人を養子としている。)
この光綱はなんと越中国と縁がある。下のページ中ほどに、そのことに触れていらっしゃる。
しかも長沢氏を名乗って、一時「原氏」を冒し、荻生徂徠の門下となって…

https://blog.goo.ne.jp/magohati35/e/feb050ef31f67fd420f488c057d81c76

この光綱に預けられ(養女となり)里見義基に嫁ぎ、、、
という事は、土岐光基と孫で長沢氏を名乗った「長沢光助」とは同じ長沢で共に暮らしていた可能性もあると思われる。

多田氏と土岐氏はともに摂津源氏から始まっている。仲政流多田氏であった仲政も土岐氏の光重を養子として入れている。
同じようなことがこの一族内であったであろうと想像される。

…という事で、この右衛門尉光綱は、多田氏のことであったろうと思う。






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