藤原範季
藤原兼実の家司に藤原範季がいる。
彼は源義朝が討たれた後、子の範頼(蒲冠者)を引き取っている。
源義経を匿った咎で、頼朝に睨まれ、官職を剥奪されている。
…と「方丈記と平家物語 改訂版 7 鴨長明と九条家の人々」にあった。(ありがとうございます。)
https://s.webry.info/sp/jikan.at.webry.info/201409/article_7.html
藤原季範ではなく、藤原範季が義経を匿ったのだ!!
季範だと、1155年に没している。しかも義経は1159年に生まれたことになっている。
藤原範季は1205年まで生きている。
wikipediaにも以下のような記述があった。
「有能な行政官・政治家でありながら、平清盛に滅ぼされた源義朝の遺児である範頼を育て、九条兼実の家司でありながら兼実とそりの合わない後白河院の院司を兼ね、源義経が頼朝に追われた際には義経を支持し、奥州藤原氏の滅亡後に藤原泰衡の弟・高衡を匿う等、当時の権力者の意向に背く危険な選択を選び続けたため、アナーキー性の持ち主だと評価されることもある。」
範頼の右筆・家司は「中原重能」であった。
以前の記事にも触れているのだが、
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/a0f8c33fc0d99c84e5f848fe6496c2fd
そこにこの藤原範季が加わった形である。
範季が範頼を育てた時に、中原氏が家司か乳夫母であった可能性は充分にあると思う。