da tutto questo argomento,
che Iezo, eziandio dalle bande di Tramontana ,
e terminato dal mare、che lo divide dalla Tartaria;
このすべてのトピックから、
その蝦夷地は、トラモンタナのサイドからでも、
そして、タルタリアからでも、それを分断する海によって終わりました。
タルタリア=タタールで、分断する海は間宮海峡である、と思う。
原文ではetiandioなのだが、eziandioのことだろうと思う。「または」「でも」 という意味。
;perche d'altra maniera non farebbe posibile,che vi fossero correnti tanto impetuose
;そうでなければ、そのような激しい流れが存在することは不可能だからです。
:avvenga che se il mare,che sta tra la terra di Telsoi,
テルソイの地の間にある海が
e quella, che le sia a fronte, solamente, un Iriumi ,cioe un braccio di mare,
それに直面しているのは、入り海、つまり海の腕だけです
non dovrebbe havete contenti tanto furiose;
あなたはそのような猛烈な満足を持つべきではありません。
resta che Iezo l’abbia pure il mare dalla parte di Tramontana ,che va scorrendo,
蝦夷地もトラモンタナ側に海が流れており、
dall'Oriente all'Occidente, o all'incontro dall'Occidente all'Oriente,
e col suo empirsi, e scemarsi cagioni le dette correnti.
東から西へ、または西から東へ出会い、
そして、その満ち引きにより、前述の流れが発生します。
La seconda ragione e,perche Iezo non ha Tencadono,cuie Signore univerfale, il quale lo governi tutto,e a chi tutti obbediscono,
ne meno Signori,
第二の理由は、蝦夷地には普遍的な主ですべてを統治する人,そして誰もが従う人であるテンカドノ(将軍の事)がいないからです。それほど主でもないのですが。(この訳も迷う。né meno Signori)
particolari grandi, che abbiano diviso fra loro il Regno,come aqua il Giappone prima che fusse soggetto ad un Tencadono:
素晴らしい詳細としては、テンカドノの対象となる前の 水のように?彼らの間で分けた王国。
(come haucug と読めるがそのような言葉が見つからず、ha aqua かもしれないと思うがわからない)
e se fosse unito con la Tartaria ,o parte contigna con essa ,si saprebbe e al manco qualche cosa dital Signore universale,
そしてそれがもしタルタリア、また、隣接した部分が統一されていた場合、普遍的な主がいないことはわかるでしょう。
quantunque non si stesse cose soggetto a lui, e nella Tartaria e cosa evidente、
たとえ彼の支配下にはなかったとしても、このことはタルタリアではそれは明らかなはずです。(知っているはずです)
che vi ha un Signore universale, il quale si chiama il Gran Cane,a cui tutti sono soggetti.
偉大な犬と呼ばれる普遍的な主がいて、誰もが従っていることを。
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皆様に、意味が通じるだろうか。
戦国時代・安土桃山時代にやってきたキリシタン宣教師の手紙である。
どうも、人の国の様子をうかがっているスパイのようにも思えて、このデ・アンジェリスは本当に苦しい人々、困っている人々を助けに来たのであろうか?と、私は今疑っている。
この手紙がヨーロッパに届いてしまったことで、この後、蝦夷地はヨーロッパ(特にロシア)に狙われるきっかけになってしまったのではないだろうか?
神の御前に正しくあるべき宣教師殿。
きっと、困った人々にも希望の光を与えてくれていたのだと信じよう。
それでなくては、殉教者たちが哀れだ。
宣教師たちに教えてもらった教えを胸に亡くなっていったのだから。