大内氏は各地にいて、様々なルーツを持っているらしいのだが、一番気になる方が ↓
大内 惟信(おおうち これのぶ)は、鎌倉時代前期の武将。鎌倉幕府御家人。清和源氏義光流平賀氏の一族で、大内惟義の嫡男。母は藤原秀宗の妹(藤原秀康の叔母)。
wikipediaには、
平賀氏の一族も、こちらの多々良氏の一族の「大内氏」も、どちらも鎌倉時代に「御家人」と書かれている。
多々良氏一族「大内氏」 鎌倉時代(wikipedia)
『鎌倉時代になると、大内一族は周防の国衙在庁を完全に支配下に置き、実質的な周防の支配者となった。そして鎌倉幕府御家人として、六波羅探題評定衆に任命されている。』
「大内氏」は、重源に訴えられているほどなので、鎌倉時代周防にいたことがわかる。
重源は周防に東大寺再建の際の柱となる杣を探しに行ったのだが、それを運搬する際に大内弘盛の妨害を受けたそうである。
その頃長門守護となった佐々木高綱が重源上人を助けて東大寺のための材木搬出(杣だし)に尽力したそうである。
鎌倉初期にはまだ御家人ではなかった??
「大内介は関東所勘の輩ではないから、朝廷に奏聞するように」として訴えを却下している。(室町文化の中にみる大内文化の遺宝展 - 6 ページ) 大内弘盛のこと。
この西国の大内氏は、久利氏ともかかわりがある為、久利家文書にもその名が登場している。
内藤氏との関りは、次に!
大内氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ohuti.html