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さっぱり【まとめ】にならない まとめ  九里三郎 

2021-03-11 | 九里【まとめ】

【まとめ】は、いつも「まとめ」にならない。

今、私の力でできる事は、webや書籍のバラバラに載っている情報を繋げていくこと。

一応は「まとめているつもり」・・・なので、ご了承を! 

 

===*===

 

今日は、九里源兵衛と共に同世代を生きていたと思われる「九里三郎」

 

 

この人物が、源兵衛の兄弟であるならば嬉しい!

立場が源兵衛とは違うようで、こちらはバリバリの武士と思う。

源兵衛はどちらかというと、文官である。

 

天文九年(1540年)菅浦文書

永禄十年(1567年)池田景雄と戦う

永禄十年(1567年)古證文

元亀元年(1570年)永田景弘の兄であった九里三郎左衛門(永田七郎右衛門 称九里)

         信長から九里三郎左衛門の所領等 永田景弘に宛がうという文書あり

          九里三郎の息かもしれないし、源兵衛の息かもしれない「九里三郎左衛門」 

 

 

 

この辺になると九里家の伝承であった「廣田与三左衛門重元」の話にも繋がって来そうなので、挙げて置く。

「広田与三左衛門重元、累世江州小幡ニ家ス、織田信長公城ヲ安土ニ構フ、時ニ小幡ノ住民ヲシテ城下ニ移サ使ム、後城傾類ニ及ビ信長公ノ八男、武蔵守信吉道ト公、館ヲ同州高野邑ニ建ツ。復タ小幡ノ巨家ヲ移シ館下ニ置ク、乃チ重元其一人。此レ自リ高野ヲ以テ居住ト為ス、慶長四巳亥九月廿四日卒ス、本源院天景宗祐居士ト号ス。・・・九里与三左衛門、故有リテ性ヲ改ム、九里者母方ノ性也・・・」と。(滋賀県中世城郭分布調査4)

岡山城主(現、近江八幡市)九里氏の分脈で、中世末から現在に至るまで高野域の南側に居住の九里家に伝承される。ともある。(都道府県別日本の中世城郭館調査2000年)

広田氏は信長の家臣であったようなのだが・・・(仙石秀久の家臣にもその名が見える)

広田甚六宛ての宛行状がある(広田文書)

仙石秀久の家臣に一人広田氏が見える。

広田藤吾秀久に仕え、天正9年(1581年)11月、淡路州本城攻めに功があった。

 

お鍋の方 城郭探訪さんのページより

https://blog.goo.ne.jp/kkkk_015/e/b867bb69b48c7e58d4ce379459f3791e

 

お鍋の方の実家であった高畠氏は水茎岡山城のすぐ横である。

 

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (jikan314)
2021-03-11 17:43:54
焦る事は無いと思いますよ。御先祖様も『よくぞここまで調べた』と大喜びかと。
拙句
ジグソーのピースを見つけ春探し
返信する
ジグソー (kunorikunori)
2021-03-11 20:21:58
Jikan様

今まで調べたことが、ご先祖様から見て合格だと良いのですが、いまいち不安でもあります。

ジグソーのかけら右手に握りしめ春の今宵も思いあぐねる
返信する

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