頼家と実朝の乳母を務めた富木常忍の母。(下総局とするとだが。)
三善氏と共に八幡庄を賜わっている点。
つまり、同じ大中臣氏なのではないだろうか?
三善氏は、康信の母には大中臣の娘が入り、その姉妹が頼朝の乳母となっていた。
そのため康信が頼朝のために今日の近況報告を行っていたという。
常忍の母も、乳母であり、同じ土地を賜わっているというのであるなら、どこかで同じ氏であった可能性があるのではないだろうか?
そして、寒河尼も中原氏であり、宇都宮氏である。
大中臣氏でもある可能性が高いと思う。
乳母として勤めることのできる女性の氏はたくさんはないのではないか?
乳母父が経済力をバックに養育に大きく関わっていたそうであるし、乳母の系譜というものがあったそうである。家司を務める家が多いそうである。
但し、時代によって、崩れていく。
鎌倉時代も崩れかけていたかもしれないのだが。
源頼朝の乳母は
比企尼・寒河尼・山内尼(摩々尼)・亀井六郎重清母・・・
北条の阿波局は特例かもしれないが、
頼家・実朝の乳母にも、
中原・清原・大中臣がいたのではないだろうか?
特に鎌倉に住んでいたとなると、限られてくるのではないだろうか?
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b33799.html
乳母の力 田端泰子 著
すごく読みたい!! でも、高値になっています。(悲)
今の時代にないからそこ気になりますよね。
神様でも子守の神とかいそうですし、結構昔から大事な役割を果たしていた一族は自然に活躍していそうですよね。産湯井戸絡みになるかな?気になります。私の探究はそこですね、ちょっと男の方よりも感情移入しやすそうですし理解しやすいでしょう。春日局とかにも聞いてみたいですよね。
今年は子の年なんですけど、千手観音も関わるんではないかな?とも思うんで私は古代とか違うアプローチで探してみますね。家康も道真さんも鎌足さんも井戸絡みですので鎌倉前後でも見えてきそうに思います。
古墳時代の4、5世紀で見えてくるといいんですけど、一旦消えてそうにも思いますね。
自分と血が繋がらなくても乳をあげたり出来るってプロ意識としても愛情としても凄いですよ。そう出来る事ではないし、実際それで権力を握ろうという方にはきっとそれなりのしっぺ返しがくるでしょうからもしもそんな方々がいたなら本来評価しなきゃいけない方々だとは思いますよね。家系的に継承するならばやはり失敗は許されないし、過去失敗は後反省で家訓にでもしないと継承されないはず。そう出来ないなら自分でみんな育てますよね、そういう事があったならばきっと相当な理由があったはず。乳母って気になりますし、ノーハウ適性経験全て揃わないとも思いますね。