九里 【九里】を探して三千里

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菖蒲実経は長田実経で、沼田七郎六郎である。息は、石見国に地頭として長野荘に

2022-01-14 | 九里【まとめ】

石見益田家文書 貞応元年 1222年

美乃  

美乃知 黒谷

 

藤原実時、菖蒲実時、
藤原実高、菖蒲三男実高、

菖蒲実
(真盛)(?1225)五郎実盛、五郎真盛、菖蒲四郎実盛、長野三郎
父:菖蒲実経
/遠義、石見美乃知・黒谷新補地頭
1221
年、宇治橋の合戦で負傷した。 (吾妻鏡)
石見美乃知・黒谷新補地頭、黒谷横山城築城
(島根県益田市柏原)
1222
年、石見国美濃地・黒谷郷地頭―島根・大田=石見松田(島根県西部)
承久の乱での勲功の賞として与えられたものである。

菖蒲五郎実盛自関東所給預也
但於未知福地地頭職者、雖被載于御下文、

先度他人給之事、可令存其旨之状如件。

貞応元年(
1222九月十八日
武蔵守 平判(北条泰時)

相模守 平判(北条時房)
(萩閥益田家文書)

菖蒲実経、(波多野実経)菖蒲実盛と兄弟? 父:遠義、

菖蒲実基、父:実盛、長野三郎、石見国長野庄に住んだ
1222
、承久の乱後、石見国長野荘内美野地・黒谷を賜った。

 

千年村プロジェクト様より拝借 久利・長田・長野

 

 

http://numada777.g2.xrea.com/numadakai/nmd_engi.html

 

 


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