石見益田家文書 貞応元年 1222年
石 | 見 | 国 | 美乃 | 知 | 黒 | 谷 | 地 | 頭 | 職 | 事 | 菖 | 蒲 | 五 | 郎 | 真 | 盛 | 自 | 関 | 東 | 所 | 給 | 預 | 也 |
美乃知 黒谷
藤原実時、菖蒲実時、
藤原実高、菖蒲三男実高、
菖蒲実盛(真盛)、(?~1225)五郎実盛、五郎真盛、菖蒲四郎実盛、長野三郎、
父:菖蒲実経/遠義、石見美乃知・黒谷新補地頭
1221年、宇治橋の合戦で負傷した。 (吾妻鏡)
石見美乃知・黒谷新補地頭、黒谷横山城築城、(島根県益田市柏原)
1222 年、石見国美濃地・黒谷郷地頭―島根・大田=石見松田家(島根県西部)
承久の乱での勲功の賞として与えられたものである。
“菖蒲五郎実盛自関東所給預也
但於未知福地地頭職者、雖被載于御下文、
先度他人給之事、可令存其旨之状如件。
貞応元年(1222)九月十八日
武蔵守 平判(北条泰時)
相模守 平判(北条時房) (萩閥益田家文書)
菖蒲実経、(波多野実経)、菖蒲実盛と兄弟? 父:遠義、
菖蒲実基、父:実盛、長野三郎、石見国長野庄に住んだ、
1222 年、承久の乱後、石見国長野荘内美野地・黒谷を賜った。
千年村プロジェクト様より拝借 久利・長田・長野
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