最近、真野氏周辺を探っておりましたが、真野氏は三浦氏・佐原氏・杉本氏・佐々木氏…と系図の中に出てきています。
そして横須賀市役所から出版されている『三浦一族研究』を購入してみましたところ、大変興味深い情報に出会いました。
~~~*~~~
先妻妙勝から前夫真野宗連の子【阿禰々】に譲与された土地があり、それを【阿禰々】には子供がいなかったために、弟である真野宗明に譲り渡す…という。
このことが書かれた申状が残っているのだそうだ。
三浦介である三浦義明~佐原十郎左衛門尉義連~佐原太郎左衛門尉景連~真野五郎左衛門尉胤連 ……… 真野左衛門尉宗連 舎弟:真野左衛門尉六郎平宗明
webから情報 九里の祖と関係があると思われている【藤原実明】1153-1223 の孫である公名の母親が 佐原盛連の娘である。その父親が義連である。
しかも、盛連の母は【武田信光】の娘である・・・ということが、後々の伏線となる。
実明 ┳ 公雅 ┳ 実任 ┳ 公名(従四位下左中将。
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 母遠江守平〔佐原〕盛連女)
┃ ┃ ┃ ┃ ┗ 女子(守良親王室)
┃ ┃ ┃ ┣ 実躬 ┳ 公躬 なぜか、図はずれてしまう。。。が、公名の母親が佐原盛連の娘となる。
佐原の系図は、以下のアドレスにある。
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/0130/culture_info/miura_ichizoku/documents/sawara.pdf
この真野宗連の先妻 妙勝は一条実遠の後室であるそうだ。
真野宗明は妙勝の丹後国大内郷内末吉・菊貞名(京都府加佐郡大江町)を相続することになる。
さて、今度はその【一条】をキーワードにして進めたい。
一条能保という人物の名前は聞いたことがあるかもしれない。妻である坊門姫は、父は源義朝、母は正室の由良御前で、鎌倉幕府を開いた源頼朝の同母妹(または姉)である。
そして、その子孫である一条実遠は、その藤原北家中御門流の庶流である公家一条家のほぼ最後の人物であると言っても良いのかもしれない。
goowikipediaによると、
【一条実遠が、延慶元年(1308年)に関東において不慮の死を遂げると、一条家の公卿はいなくなり、また『尊卑分脈』などの系図類も頼氏から4代目もしくは5代目にあたる世代を最後に途切れていることから、遅くとも南北朝時代には断絶したと考えられている。】
その【一条】のキーワードで出てきた 240件もの荘園。
九里と関係のありそうなものがあった。歴博DB
【国名】 大和
【郡名】 宇陀
【荘園名】 比布庄
【フリガナ】 ヒフ
【重複コード】
【参考市町村】 宇陀郡榛原町
なぜこれが・・と、時代は越えるが戦国時代が終わりをつげ江戸に入ってすぐにココの代官役になったのが、九里政直である。
そしてもう一つ
【国名】 伊豆
【郡名】 賀茂
【荘園名】 河津庄
【フリガナ】 カワヅ
【重複コード】
【参考市町村】 賀茂郡河津町 下佐ケ野
ココに九里復吉が一時期住んでいたのである。時代は明治なので、なぜ~と思う。
こんな偶然があるはずがないと思うので、きっとルーツを調べて、わかって住んだのだと思う。
【国名】 近江
【郡名】 浅井
【荘園名】 今西庄
【フリガナ】 イマニシ
【重複コード】 2110012
【参考市町村】 伊香郡湖北町
【市町村コード】 25483
【明治村字名】 今西・延勝寺
【史料村郷名】 延勝寺・小伊香
【領家・本家】 平家没官領・一条能保室領・九条家領・東福寺領・摂関家領・花山院中納言領・室町院領・皇室領・伏見宮家領
【初見年和暦】 長寛二年
【初見年西暦】 1164
伊香郡である。中原との関係が築かれた頃かもしれない。
【国名】 越中
【郡名】 新川
【荘園名】 小佐味庄
【フリガナ】 コサミ
【重複コード】
【参考市町村】 黒部市
【市町村コード】 16207
【明治村字名】
【史料村郷名】 飯野村
【領家・本家】 一条局領・鹿王院領
【初見年和暦】 暦応三年
【初見年西暦】 1340
今度は、なんと越中新川小佐味庄・・・今も新川には九里さんが住まわれている。
【国名】 甲斐
【郡名】 山梨
【荘園名】 一条庄
【フリガナ】 イチジョウ
【重複コード】
【参考市町村】 甲府市
一条庄を管理していたのが、甲斐源氏だったようで、一条忠類という人物がいる。
一条号(甲府市)=郷名の初見は貞治3一蓮寺領目録に初見=甲斐源氏一条氏の拠点
wikipediaによると
一条 忠頼(いちじょう ただより)は、平安時代末期の甲斐国の武将。甲斐源氏の武田信義の嫡男。甲斐国山梨郡一条郷(山梨県甲府市)を領し、一条氏と名乗った。
とある。しかも、父親が武田信義である。
~~~*~~~
ココから先は、明日にします。
そして横須賀市役所から出版されている『三浦一族研究』を購入してみましたところ、大変興味深い情報に出会いました。
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先妻妙勝から前夫真野宗連の子【阿禰々】に譲与された土地があり、それを【阿禰々】には子供がいなかったために、弟である真野宗明に譲り渡す…という。
このことが書かれた申状が残っているのだそうだ。
三浦介である三浦義明~佐原十郎左衛門尉義連~佐原太郎左衛門尉景連~真野五郎左衛門尉胤連 ……… 真野左衛門尉宗連 舎弟:真野左衛門尉六郎平宗明
webから情報 九里の祖と関係があると思われている【藤原実明】1153-1223 の孫である公名の母親が 佐原盛連の娘である。その父親が義連である。
しかも、盛連の母は【武田信光】の娘である・・・ということが、後々の伏線となる。
実明 ┳ 公雅 ┳ 実任 ┳ 公名(従四位下左中将。
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 母遠江守平〔佐原〕盛連女)
┃ ┃ ┃ ┃ ┗ 女子(守良親王室)
┃ ┃ ┃ ┣ 実躬 ┳ 公躬 なぜか、図はずれてしまう。。。が、公名の母親が佐原盛連の娘となる。
佐原の系図は、以下のアドレスにある。
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/0130/culture_info/miura_ichizoku/documents/sawara.pdf
この真野宗連の先妻 妙勝は一条実遠の後室であるそうだ。
真野宗明は妙勝の丹後国大内郷内末吉・菊貞名(京都府加佐郡大江町)を相続することになる。
さて、今度はその【一条】をキーワードにして進めたい。
一条能保という人物の名前は聞いたことがあるかもしれない。妻である坊門姫は、父は源義朝、母は正室の由良御前で、鎌倉幕府を開いた源頼朝の同母妹(または姉)である。
そして、その子孫である一条実遠は、その藤原北家中御門流の庶流である公家一条家のほぼ最後の人物であると言っても良いのかもしれない。
goowikipediaによると、
【一条実遠が、延慶元年(1308年)に関東において不慮の死を遂げると、一条家の公卿はいなくなり、また『尊卑分脈』などの系図類も頼氏から4代目もしくは5代目にあたる世代を最後に途切れていることから、遅くとも南北朝時代には断絶したと考えられている。】
その【一条】のキーワードで出てきた 240件もの荘園。
九里と関係のありそうなものがあった。歴博DB
【国名】 大和
【郡名】 宇陀
【荘園名】 比布庄
【フリガナ】 ヒフ
【重複コード】
【参考市町村】 宇陀郡榛原町
なぜこれが・・と、時代は越えるが戦国時代が終わりをつげ江戸に入ってすぐにココの代官役になったのが、九里政直である。
そしてもう一つ
【国名】 伊豆
【郡名】 賀茂
【荘園名】 河津庄
【フリガナ】 カワヅ
【重複コード】
【参考市町村】 賀茂郡河津町 下佐ケ野
ココに九里復吉が一時期住んでいたのである。時代は明治なので、なぜ~と思う。
こんな偶然があるはずがないと思うので、きっとルーツを調べて、わかって住んだのだと思う。
【国名】 近江
【郡名】 浅井
【荘園名】 今西庄
【フリガナ】 イマニシ
【重複コード】 2110012
【参考市町村】 伊香郡湖北町
【市町村コード】 25483
【明治村字名】 今西・延勝寺
【史料村郷名】 延勝寺・小伊香
【領家・本家】 平家没官領・一条能保室領・九条家領・東福寺領・摂関家領・花山院中納言領・室町院領・皇室領・伏見宮家領
【初見年和暦】 長寛二年
【初見年西暦】 1164
伊香郡である。中原との関係が築かれた頃かもしれない。
【国名】 越中
【郡名】 新川
【荘園名】 小佐味庄
【フリガナ】 コサミ
【重複コード】
【参考市町村】 黒部市
【市町村コード】 16207
【明治村字名】
【史料村郷名】 飯野村
【領家・本家】 一条局領・鹿王院領
【初見年和暦】 暦応三年
【初見年西暦】 1340
今度は、なんと越中新川小佐味庄・・・今も新川には九里さんが住まわれている。
【国名】 甲斐
【郡名】 山梨
【荘園名】 一条庄
【フリガナ】 イチジョウ
【重複コード】
【参考市町村】 甲府市
一条庄を管理していたのが、甲斐源氏だったようで、一条忠類という人物がいる。
一条号(甲府市)=郷名の初見は貞治3一蓮寺領目録に初見=甲斐源氏一条氏の拠点
wikipediaによると
一条 忠頼(いちじょう ただより)は、平安時代末期の甲斐国の武将。甲斐源氏の武田信義の嫡男。甲斐国山梨郡一条郷(山梨県甲府市)を領し、一条氏と名乗った。
とある。しかも、父親が武田信義である。
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ココから先は、明日にします。