藤原永範 コトバンクより
平安時代後期の公卿(くぎょう),漢詩人。
康和4/嘉承(かじょう)元年生まれ。文章(もんじょう)博士,東宮(とうぐう)学士などをへて,正三位,宮内卿。後白河,二条,高倉天皇の3代の侍読をつとめた。詩が「中右記部類紙背漢詩集」に,歌が「千載和歌集」などの勅撰集に,文章が「願文集」「詩序集」などにある。治承(じしょう)4年(1180年)11月9日死去。75/79歳。
この藤原永範 石見守でもあった!
遡ると 藤原貞嗣の孫「近代」もまた石見守であった。近代の母通永女とある。
藤原永範 公卿類別譜 より見ていくと、
https://geocity1.com/okugesan_com/nanke3.htm
永範[ 康和2(1100)年 〜 治承4年11月10日(ユリウス暦:1180年11月28日) ]従四位下行文章博士永実朝臣二男。母肥後守中原師平女。
- 息の光範・孫の頼範の母は大江と清原である。
- 藤原 光範
- [ 大治元(1126)年 〜 ? ]
- 永範二男。母隠岐守従五位上大江行重女。
- 建久4年正月28日(ユリウス暦:1193年3月3日)叙従三位。
承元3年2月2日(ユリウス暦:1209年3月9日)出家。
従二位・非参議。
- 藤原 頼範
- [ 応保2(1162)年 〜 ? ]
- 光範男。母清原頼業女。
また、永範の父永実の母親もまた大江広経女。
永実の父成季の母は壱岐守小野資通女。
母親だけを書きとめると
成季 母 小野資通娘
永実 母 大江広経娘
永範 母 中原師平娘
光範 母 大江行重娘
頼範 母 清原頼業娘
小野資通の娘というと「小野氏」というラインから横山氏・中条氏・成田氏につながってくるのではないだろうか?
藤原実範の母は藤原元尹の娘(藤原南家巨勢麻呂流出身)であり、上総国藻原領主となった黒麻呂の系に近くもある。(黒麻呂の弟真作の系で、貞嗣の兄の系となる)…真作にも石見守と記載有!!
実範妻:小野資通の娘
- 男子:藤原成季
- 男子:藤原季重
- 男子:藤原季兼(1044-1101)
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/5a3414526192addc8d1ad144d6411657
この成季は上の公卿類別譜にアクセスすると一目瞭然で、永実・永範につながってくる。
さらに季兼は季兼の息季範が熱田大宮司尾張員職の養子となる。
尾張氏! ということは、前出の中原貞親の実父尾張秋時につながってくる。
小野資通は、もしかして藤原秀郷流の山内首藤資通ではないだろうか?
藤原実範の妻であった「すけみち」の娘
源頼義の時代のことである。
だとすると、実範の東国との関係は、藤原実範の母が巨勢麻呂流であったことと関係してくるのではないだろうか?