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源行真申詞記に関しての考察(3) 意外な事実? 真野氏から三浦氏(佐原氏)へ、そして新宮氏へ

2016-04-24 | 功力と櫟

まずは九里の祖の一代前を、直感で櫟井氏・真野氏にしましたが・・・

直感が、あたると嬉しいのですが・・・

接点としては、前出ですが、崇徳院の領地である荘園に仕えていたこと。

足利義晴を預けた赤松も和邇氏族であること。

浄椿が大乗院に「豊浦庄の代官になりたい」旨を伝えに行っている事。(豊浦庄は、その昔は櫟井氏の所領だったのではないかと・・)

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『賀茂六郎』も怪しいのだが、亡くなったのが1156年保元の乱のようなので、別人のよう。…と判断したのだが・・・下記読んでいただきたい。


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ところが意外な事実が判明してしまいました。

姓氏家系大辞典を繙き、初めて「真野」「間野」を見てみました。


真野の15.桓武平氏三浦氏族

間野條参照。

三浦系図に「佐原義連ー太郎兵衛條景連ー時連(真野次郎左衛門尉)と載せたる者にて、・・・

江戸の幕臣に此れの裔と云うもの、一は「義連の三代真野五郎胤連の後、金右衛門重政(尾張富塚の人、信長に仕ふ)―同重吉(元亀二年卒)―同重家(寛政に孫三郎重政、家康に仕ふ―惣右衛門重則(近江二百四十石)。家紋〇に抱き茗荷 藤巴」と云い、

又寛政系図、藤原の部に「金右衛門重吉―同重家―惣右衛門勝重(実は稲田義政男)。家紋下藤の丸」と同流ならん。

猶ほ、藤原の部に「重次(野尻六蔵、信長、秀吉に仕ふ)―重勝(庄九郎、外家の後を継ぎ、真野に改む)―正友」とあるを、・・・

19・橘姓 家紋〇に鳩酸草、隅四目結

20.鴨縣主姓 山城の名族にして、河合神職系図に「河合禰宜祐房―祐勝(社司真野将監)と載せたり。

23.伊予の真野氏 用明天皇の朝、真野長者あり、温泉群護持太山寺を建立す」と伝ふ。


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以前、藤原実明の曾孫娘が佐原盛連女となっている記事を書いたが、ココで、真野と繋がったようである。景連の兄弟が盛連である。
(以前書いた記事は間違っているかもしれないと思い、今は出していない。→後で、まとめて出そうと思う。)

┣ 藤原 実明 ┳ 公雅 ┳ 実任 ┳ 公名(従四位下左中将。
          母遠江守平〔佐原〕盛連女)


webコトバンクによると、佐原盛連は、?-1233 鎌倉時代の武士。

三浦義連の子。母は武田信光の娘。悪遠江守(あくとおとうみのかみ)とよばれる。

嘉禄(かろく)2年京都で酒によって乱暴をはたらき,天福元年5月悪事犯として幕府に殺された。

6人の子は三浦氏の乱で幕府方にくわわった。

盛連の息子は、
蘆名光盛、佐原経連、比田広盛、藤倉盛義、猪苗代経連、盛時、会津時連 そして、異父兄として北条時氏である。


新宮氏であるが、

『新宮氏は、佐原義連の子・盛連の六男・時連を祖としている。』とweb情報にあるのだ。


…ということは、佐原義連~佐原盛連~六男:佐原時連(新宮氏)となる。

しかし、姓氏家系大辞典には、三浦系図に「佐原義連ー太郎兵衛條景連ー時連(真野次郎左衛門尉)・・・」と書いてある。

時連は、真野氏であり、新宮氏となり、同一人物らしいのである。

…ということは、あの源為義の十男である【新宮十郎】と何等か関係があるのではないだろうか?


【源行真申詞記】では、はじめ道澄とその母を殺し、次に自分と母と兄弟が殺された、その人の名は【新六郎友員】であった。

もしも、この人物が真野氏であり、三浦氏であり、新宮六郎であり、源為宗であり、賀茂六郎であったなら、

『保元の乱では為義に従い、崇徳上皇・藤原頼長方として参戦。一度は平清盛・兄義朝らを退却させるが、義朝の火攻めにより敗北し、父とともに兄義朝のもとに降参する。義朝によって助命嘆願されるも叶わず、義朝の手によって船岡山(京都市北区)において、父や兄弟たちとともに斬られた。』

・・・というwikipediaの情報は誤りになる。

賀茂六郎というのは、母親が賀茂氏だからと思う。

弟の爲成は、源為義の七男。母は賀茂神社の神主・賀茂成宗の娘。通称は八幡七郎、また賀茂七郎…と書かれている。


wikipediaでは、賀茂六郎の母は、源基実女・・となっている。近衛基実であろうか?

頭の中、整理しないと混乱。。


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ココで、ひと休憩。

戦国時代に飛ぶ。

九里備前守(信隆)の時だと思うのだが、水茎岡山城で足利義澄を匿った。

その時に、蘆名盛高の女が(義澄に)水茎岡山城で仕えていた。その女の息子が天海という説もある。

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