以前に書き、未アップロードであった記事。
木田氏との関係があるため、アップすることにした。
九里源兵衛は天文法華の乱の最中、楠正成の後裔という「大饗正虎 おおあえ-まさとら」と話をしているのだが、
清和源氏満政流
山田重親の次男・泰親が、尾張国知多郡岡田(愛知県知多市岡田町)を領して岡田氏を称した。
別資料では、重賢の子重篤は山田を改めて岡田与七郎を名乗り、以後岡田氏を称した。また重政が尾張国知多郡岡田村に住して、岡田与二郎を称したという説もある)ともある。
重政が斯波氏に仕え、善同が徳川家康の旗本で5千石。
「寛政重修諸家譜」 〇山田重親-岡田泰親…重政-重章-重賢
-岡田重篤-重頼-重善-直孝・善同-善政
https://www.his-trip.info/keizu/entry384.html
木田氏もいる 木田重長 美濃に住んでいたという
わかります!その気持ち。
私もそうでしたので。
そこにも「紀」の文字が入っている。
また、「紀」州である。
などなど「紀氏」との距離が縮まってきていますね。
すごい偶然ですね。
このルーツ調べをしてから、今までお世話になってきた方々の中にご縁が深いと思われる苗字もあり…で、本当に不思議なものなのです。
いつの間にか、支えられていた~~と思う事もあります。