ジョージ・ソロス氏と言えば、1992年9月に大量のポンド売りを仕掛けて‘イングランド銀行を潰した男’として全世界にその名が知れ亘るようになりました。ウォーレン・バフェット氏、並びに、ジム・ロジャース氏と共に世界三大投資家の一人なのですが、その活動の場は、金融の世界にのみ留まるわけではありません。潤沢な資金を背景に全世界の民主化活動を支援しており、世界各地で発生した民主化革命もその背後には「ソロス財団」の支援があったとも囁かれています。
氏の経歴からしますと、筋金入りの民主主義者のように見えるのですが、よくよく観察してみますと、そうとばかりは言えない一面も見えてきます。そもそも、ソロス氏は、一民間の投資家でありながら、国家の中央銀行の地位にあるイングランド銀行を‘潰し’ております。この事は、氏が、たった一人の人間の行動が国家の政策を変え、経済や全国民の生活を混乱に陥れても構わないと考えていることを示しています。1992年のポンド危機に際しても、職を失い生活に困窮したり、苦境に追い込まれた人々も少なくなかったことでしょう。こうした他の人々への負の影響を考えず、氏は、自らの決断でイングランド銀行に対する‘奇襲攻撃’を仕掛けたのですから、氏が民主主義の擁護者であるはずはありません。真の民主主義者であれば、国民的なコンセンサスを重視しますし、たとえその能力があったとしても、国民に被害が及ぶような一方的な行為は慎むはずであるからです。独裁体制を批判して民主化運動を支援しながら、自らは国家の独裁者以上に独裁的に振る舞ったのですから、同氏の態度は自己矛盾しているのです。
また、ソロス氏は、今でこそ「習近平は最も危険な敵」として中国の習近平国家主席を批判しているものの、それまでは、同主席を高く評価し熱烈なる礼賛者であったそうです。態度を一変させた理由は、同氏が習主席、あるいは、中国を操ることが難しくなったからとも推測されていますが、真の民主主義者であれば、自らの意向に対する態度、あるいは、投資利益の如何に拘わらず、民主主義の基礎となる中国国民の政治的自由や政治に参加する権利を擁護するはずです。ここにも、ソロス氏の‘二枚舌’が見え隠れするのです。
僅かに残された共産党一党独裁国家の一つである中国を称賛していたぐらいですから、ソロス氏の‘民主主義の擁護者’としての姿はあくまでも‘ポーズ’であり、本心においては、自らの利益にさえなれば上意下達が徹底した独裁体制の方が望ましいと考えているのかもしれません。命令一つで、国家全体を変えることができるのですから。仮に独裁者と対立する要素があるとすれば、それは、金融界に君臨する氏と政治的独裁者がライバル関係となる時なのでしょう。あるいは、対中強硬論が高まる中、水面下では協力関係を維持しながらも、世論の批判を逃れるための保身術として表向きは中国を批判しているのかもしれません。
何れにしましても、政治や政策への介入を試みる投資家につきましては、政府も一般の国民も警戒して然るべきなように思えます。フランス革命以来、今日に至るまで“暴君”や旧体制を倒して革命を成し遂げても、結局は、人々の期待を裏切ってさらに醜い独裁体制に帰結したり、収拾困難な混乱と無秩序に見舞われるのも、革命の‘出資者’が、公正なる善き社会の実現や人々の幸せを願う真の民主主義の擁護者ではなかったからなのかもしれません。ソロス氏に対しては、自らの自己矛盾についてどのように考えるのか、問うてみたいと思うのです。
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氏の経歴からしますと、筋金入りの民主主義者のように見えるのですが、よくよく観察してみますと、そうとばかりは言えない一面も見えてきます。そもそも、ソロス氏は、一民間の投資家でありながら、国家の中央銀行の地位にあるイングランド銀行を‘潰し’ております。この事は、氏が、たった一人の人間の行動が国家の政策を変え、経済や全国民の生活を混乱に陥れても構わないと考えていることを示しています。1992年のポンド危機に際しても、職を失い生活に困窮したり、苦境に追い込まれた人々も少なくなかったことでしょう。こうした他の人々への負の影響を考えず、氏は、自らの決断でイングランド銀行に対する‘奇襲攻撃’を仕掛けたのですから、氏が民主主義の擁護者であるはずはありません。真の民主主義者であれば、国民的なコンセンサスを重視しますし、たとえその能力があったとしても、国民に被害が及ぶような一方的な行為は慎むはずであるからです。独裁体制を批判して民主化運動を支援しながら、自らは国家の独裁者以上に独裁的に振る舞ったのですから、同氏の態度は自己矛盾しているのです。
また、ソロス氏は、今でこそ「習近平は最も危険な敵」として中国の習近平国家主席を批判しているものの、それまでは、同主席を高く評価し熱烈なる礼賛者であったそうです。態度を一変させた理由は、同氏が習主席、あるいは、中国を操ることが難しくなったからとも推測されていますが、真の民主主義者であれば、自らの意向に対する態度、あるいは、投資利益の如何に拘わらず、民主主義の基礎となる中国国民の政治的自由や政治に参加する権利を擁護するはずです。ここにも、ソロス氏の‘二枚舌’が見え隠れするのです。
僅かに残された共産党一党独裁国家の一つである中国を称賛していたぐらいですから、ソロス氏の‘民主主義の擁護者’としての姿はあくまでも‘ポーズ’であり、本心においては、自らの利益にさえなれば上意下達が徹底した独裁体制の方が望ましいと考えているのかもしれません。命令一つで、国家全体を変えることができるのですから。仮に独裁者と対立する要素があるとすれば、それは、金融界に君臨する氏と政治的独裁者がライバル関係となる時なのでしょう。あるいは、対中強硬論が高まる中、水面下では協力関係を維持しながらも、世論の批判を逃れるための保身術として表向きは中国を批判しているのかもしれません。
何れにしましても、政治や政策への介入を試みる投資家につきましては、政府も一般の国民も警戒して然るべきなように思えます。フランス革命以来、今日に至るまで“暴君”や旧体制を倒して革命を成し遂げても、結局は、人々の期待を裏切ってさらに醜い独裁体制に帰結したり、収拾困難な混乱と無秩序に見舞われるのも、革命の‘出資者’が、公正なる善き社会の実現や人々の幸せを願う真の民主主義の擁護者ではなかったからなのかもしれません。ソロス氏に対しては、自らの自己矛盾についてどのように考えるのか、問うてみたいと思うのです。
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