グローバリズムが世界規模で広がった今日、毎年1月にスイスのダボスで開催されている世界経済フォーラムは、今や、「世界政府」のごとき役割を果たしているようにも見えます。世界各国・地域の要人が顔を揃えるのみならず国連総長までも出席し、しかも、何れの政府も、同会議の方針に従って自国の政策を行っているかの様相を呈しているからです。否、むしろ、同会議は、‘政府’というよりも、国連の総会や中国の全人代に近い存在であるのかもしれません。何故ならば、各国からの出席者は、この場で活発な議論を闘わせ、十分に審議を尽くして何らかの決定を行なうのではなく、中枢によって既に決定された事項に賛意を示す翼賛者であるか、あるいは、宣伝役の演説者に過ぎないからです。
グローバリズムとは、金融・経済分野における投資家や世界大に事業を展開する大手企業が牽引役となってきましたので、ダボス会議の基本的な目的は、私的な自己利益の追求にあるのでしょう。このことは、逆から見ますと、グローバルな利益団体が世界情勢をどのような方向に向けて動かしたいのかを、外部の人々がうかがい知る機会ともなります。それでは、ウクライナ紛争はどうでしょうか。
ウクライナ紛争並びに米中対立の激化を背景として、今年のダボス会議には、ロシアからも中国からも参加者がいなかったようです。このことは、一見、グローバリズムが崩壊し、さしものダボス会議も世界政府の座から降りたような印象を与えます。しかしながら、ダボス会議の様子を見る限り、ロシアを含めた世界の動きは、どこか呼応している気配があるのです。
まずもってダボス会議にあっては、ウクライナのゼレンスキー大統領夫人が対ロ結束とロシア非難を訴える演説を行なうと共に、翌日には、大統領自身も「ロシアが攻撃を仕掛けるよりも速いペースで西側諸国からの戦車や防空システムが供給されるべき」と述べ、さらなる戦争の激化を予測した発言を行なっています。それでは、ロシアの側はどうなのでしょうか。プーチン大統領は、まさにダボス会議が開かれている最中の17日に、「ロシアの勝利は確実・・・」として、ロシア軍兵士の定員を35万人増やし、150万規模に増員すると共に、軍産複合体による兵器増産の方針を公表したと報じられています。これらの動きから、ロシアもウクライナも、共に戦争激化を予定していると言えましょう。
戦争激化の方針は、当事国両国が‘示し合わせ’たものではなく、戦時中のことですから、当事国双方の応酬がエスカレートするのは当然とする見解もありましょう。確かに、ロシアの兵力増員の動きをいち早く察知したゼレンスキー大統領が、ロシア軍の攻勢に対応するためにダボス会議において各国に支援を求めたのかもしれませんし、あるいは、その逆である可能性もありましょう。戦争の激化とは、常に双方による敵国憎悪と兵力増強競争を伴うものです。しかしながら、今日の国際社会において何が不可解であり、おかしいのか、と申しますと、むしろ、その他の当事国以外の諸国の態度です。他の諸国の好戦的な態度は、シナリオ説を裏付けているようかのようなのです。
実際に、メディアが報じる限り、ダボス会議において和平交渉を訴えた参加者は皆無であったようです。国際社会にあっては、常々平和の実現が希求されており、紛争当事国間の和平こそが優先して追求されるべき重要課題のはずです。ところが、国連であれ、EUであれ、その他の国家であれ、口先では休戦や講和に言及したとしても、何れも停戦や和平交渉に向けた具体的な提案を行なったり、その労をとろうとはしないのです。あたかも、全世界が戦争継続を示し合わせたかのようなのです。
ダボス会議における和平への消極的な姿勢は、グローバル利権を代表する勢力は、必ずしも平和主義者ではないことを示唆しています。戦争利権という言葉があるように、戦争が莫大な利益を生みだしてきたことは歴史的な事実です。特に近代以降の大規模な戦争には、軍需産業のみならず、同分野に投資したり、戦争当事国やその支援国に直接・間接的に資金を提供したり、あるいは、投機目的で国債を引き受けた金融分野の利害も深く関わっています。こうした戦争利権の存在を考慮しますと、これらの勢力は、戦争継続の方が富の獲得にも世界支配にも有利であると判断しているのでしょう。
日頃より戦争反対を訴えてきた左派の活動団体も、ウクライナ紛争に関しては、何故か口をつぐみ、与党のみならず野党からも、日本国政府に対して積極的に停戦や和平交渉の仲介役を求める声も聞こえません。日本国の平和主義が如何に底の浅いものであったのかを思い知らされることとなったのですが、このままでは、地域紛争が第三次世界大戦並びに核戦争へと発展するリスクが高まる一方です。
誰かが言い出さなければこの流れは変わらないでしょうから、いずれかの国や機関等が和平交渉を訴える必要がありましょう(日本国政府に期待したい・・・)。そして、和平に向けた方向転換には、とりわけ民主主義国家では国民世論の後押しも政府に対する圧力となりますので、メディアの世論操作や情報統制に誘導されることなく、できる限り多くの人々が、当事国の一方を支援するよりも和平の方が望ましい、とする方向に意識を転換し、和平交渉を求める声を上げるべきではないかと思うのです。