ウクライナ紛争をめぐっては、ロシアによる核兵器使用の如何が常々議論の的となってきました。アメリカ政府並びに軍部では、ロシアが戦術核のみを使用するケース、戦略核の使用に及ぶケース、両者を併用するケースなど、様々な事態を想定した対応が既に協議されているそうです。バイデン政権は明言を避けつつも、メディアや識者等の大方の見解では、何れにせよ、人類滅亡を意味しかねない核戦争への発展を怖れ、たとえロシアが核を使用したとしても、通常兵器によって対抗するものと予測されています。こうした核使用をめぐる一連の動きを見ますと、ウクライナのゼレンスキー大統領の判断は、‘悪しき前例’となりかねないと思うのです。
それでは、何に対する‘悪しき前例’であるのか、と申しますと、核兵器国と非核兵器国との間で‘戦争’が起きたときの対応です。ウクライナ紛争については、‘戦争’という表現の使用は避けられていますが、双方の国家が武力を行使していますので、宣戦布告なき軍事介入であれ、広義では戦争の範疇に入れることができましょう。何れにしましても、今日、人々が目にしているのは、ロシアという核保有国とウクライナという非核保有国との間の、ウクライナ東部・南部諸州の分離・独立をめぐる兵器を用いた戦闘なのです。
世界地図を見ますと、民族・宗教紛争や領有権争い等に起因して、核兵器国と非核兵器国とが鋭く対立している地域を見出すことができます。台湾問題も、核兵器国と非核兵器国との間の対立ですし、南シナ海問題は、唯一の核兵器国である中国と非核兵器国である東南アジア諸国の間の紛争です。そして日本国政府も、目下、尖閣諸島問題をめぐって核保有国である中国と対峙しています。仮に、こうした地域的な対立が軍事衝突へと発展した場合、非核保有国は極めて厳しい立場に置かれることは言うまでもありません。NPTを遵守する限り、核の抑止力も攻撃力も備えていない非核保有国は、敗戦の運命が決定づけられてしまうからです(‘核の傘’も、いざという時には開かない可能性が高い・・・)。
核保有国と非核保有国が戦争状態に至った場合、後者が国家滅亡の危機に直面することは当然に予測されますので、NPTでさえ、その第10条には「各締約国は、この条約の対象である事項に関連する異常な事態が自国の至上の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する。・・・」とあります。ウクライナが直面した事態とは、まさしく‘自国の至上の利益を危うくしている’事態なのですから、ゼレンスキー大統領は、ロシアから侵略を受けていると主張する以上、同権利を即座に行使すべきであったと言えましょう。それでは、何故、ゼレンスキー大統領は、NPTから脱退しなかったのか、ここに大きな謎があるのです。
ロイター通信社に依れば、ロシアの安全保障会議の副議長でもあるメドベージェフ元大統領は、NATOの参戦を防いでいる唯一の要因は、「ロシアの核兵器とその使用に関するルール」であると述べています。メドベージェフの同認識は、ロシア側が、核の抑止力を十分に理解し、かつ、活用している現状を示しています。そして、このことは、逆にウクライナ側、否、NATO側にも言えることであり、ウクライナが核武装した状態にあれば、核大国のロシアといえども迂闊な軍事行動はとれないことを意味しています。
ソ連邦崩壊に際して、ウクライナは自国に配備されていた大量の核兵器をロシアに搬送すると共に、「ブタペスト覚書」の保障の下でNPTの加盟国となったのですが、核兵器の管理・運用に関するノウハウは残されているはずですし、この点、他の非核保有国よりも有利な立場にあります。既にロシア軍に占領された地域の奪還は難しいとしても、核武装した上でロシアとの停戦交渉に臨むこともできたはずです。
核武装に関するウクライナの消極的姿勢に加え、世界各国のメディアも、その選択肢の存在を巧妙に隠しつつ、核武装はもっての他という方向に世論を誘導しています。ロシアが核を使用したときに、はじめてNPT体制が崩壊するかのようなイメージがあるのですが、合理的に考えれば、ロシアの核使用の有無に拘わらず、武力衝突が起きた時点で、非核兵器国は核武装を選択するはずなのです。
それでは、有事に際しての核武装の‘権利はあるけれども行使はできない’という奇妙な判断の背景には、一体に、何があるのでしょうか。おそらく、その背景には、核兵器独占という特権を維持したい核兵器国間で一種の‘カルテル’が成立しているとも推測されます。ウクライナの最大の支援国であるアメリカも、NPT体制を崩しかねない同国の核武装には反対したことでしょう。もしくは、ユダヤ系グローバル・ネットワークを介してロシアもウクライナもアメリカも世界権力の手の内にあり、今般のウクライナ紛争は、双方が真剣勝負で闘っているのではなく、巧妙に‘コントロールされた戦争’であるのかもしれません。実際に、表に見えるだけでも、10月にロシアによる核兵器使用の動きが見られた際に、アメリカのロイド・オースチン国防長官は、ロシアのセルゲイ・ショイグ国防相と二回の電話会談を行う一方で、ジェイク・サリバン米国家安全保障問題担当大統領補佐官も、ロシアのニコライ・パトルシェフ国家安全保障会議書記と数回にわたり電話会談を重ねたとされています。
かくして、たとえロシアが核使用に踏み切ったとしても、ウクライナ側の反撃を通常兵器に限定することで、あるいはNPT体制は維持されるかもしれません。その一方で、核兵器国あるいは世界権力が和平の時期と判断するまで、戦争がだらだらと長期化し、双方ともに死傷者数が積み上がると共に国土が破壊されてゆくことでしょう。ウクライナ紛争の不自然な展開は非核兵器国にとりましては悪夢であり、この意味において、ゼレンスキー大統領の選択は、悪しき前例、あるいは、見習うべきではない前例となるのではないかと思うのです。