ゼレンスキー大統領による停戦提案につきましては、NATO側はウクライナの早期加盟に否定的な態度を示す一方で、ウクライナに対する継続的支援については積極的な姿勢を見せています。その背景には、戦争ビジネスの温存があるのでしょうが、軍事同盟の連鎖経路を断つことによる第三次世界大戦の回避、並びに、同戦争に伴う関係諸国の国民の負担や犠牲等を考慮しますと、ウクライナの単独核武装こそ、現下にあっては最も望ましい方向性のように思えます。しかしながら、ウクライナの単独核武装が現状における最適解でありながらも、何故か、国際社会ではこの選択肢を潰そうとする人々が湧き出てきます。敵味方に関係なく、あたかも全員が結託しているかのように・・・。
ウクライナの核武装につきましては、先ずもってロシアのプーチン大統領が脅しをかけています。ロシアが近年に策定した「核抑止力の国家政策指針」では、核使用条件の一つとして「通常兵器によるロシアへの侵略により存立危機に瀕したとき」と明記されています。同指針は、‘ロシアの安全のために非核保有国の核武装を阻止するために核攻撃’の可能性を強く示唆し、ウクライナの核武装にも適用されるものとして議論を呼んでいました。その後、同指針は先月の11月19日に改定され、「核保有国の支援を受けたロシアへの通常兵器攻撃」に拡大されることとなります。つまり、アメリカもまた核攻撃の対象に含まれることとなったのですが、この文脈において、ロシアは、ウクライナに対するアメリカの核ミサイル配備を牽制したとされます。
実際に、11月28日付けの本ブログの記事で述べたように、ゼレンスキー大統領は、プーチン大統領の‘相応の反応’という表現による核の恫喝に屈するかのように核武装の断念を表明しています。また、バイデン大統領が「ブダペスト覚書」に基づいてアメリカに引き渡されたウクライナの核兵器の返還の可能性を示唆したことに対して、プーチン大統領は、「われわれと戦争をしている国が核強国になれば、すべての破壊手段を使ってこれを許さない」と脅しています。そして、プーチン大統領の同脅迫に呼応するかのように、アメリカのジェイク・サリバン大統領補佐官は、ウクライナへの核兵器返還は考慮していないと述べているのです。ここでも、アメリカがロシアの恐喝に屈しているのです。なお、同問題については日本国も無関係ではなく、アメリカによる日本国内へのミサイル配備について、同様の核の恫喝をロシアから受けています。
以上に述べてきましたように、ロシアの昨今の核ドクトリンには、単独武装であれ、同盟国であれ、ウクライナその他の諸国の核武装は、核兵器の先制攻撃をもってしても阻止するとする強い意志が覗われます。しかしながら、ロシアの脅しに易々と屈するウクライナやアメリカの反応は、いかにも不自然です。ロシアこそ、ウクライナとの開戦後にベラルーシに核を配備していますし、今年の6月に「包括的戦略パートナーシップ条約」を締結し、軍事同盟国となった北朝鮮にももちろん核は‘配備’されています。ロシアの態度は、‘自分には許して他者には許さないという’呆れかえるほどの自己中心的な傲慢さなのです。そして、この恫喝を認める側も、呆れかえるほどの‘素直さ’と言えましょう。
この点、ソ連邦時代の1979年12月12日には、「NATOの二重決定」が採択されています。1972年に核搭載ミサイルであるSS-20弾道ミサイルを配備したソ連邦に対して、軍縮を推進する一方で、NATO側も中距離核兵器を配備するとする決定です。このときには、NATO側は、ソ連邦の核戦力強化に対して核の抑止力、即ち、核の均衡の観点から同レベルの核兵器の配備をもって応じています。ところが、今般のアメリカの対応は、核の先制攻撃を含むロシアの一方的な核戦略を認めており、対抗処置を採ろうとしないどころか、自発的に核武装や核配備路線を放棄し、ロシアの前に膝を折っているのです。因みに、両陣形の中距離核兵器は1987年に米ソ間で締結された中距離核戦力全廃条約(INF)により撤廃されるのですが、SS20弾道ミサイルは、今日、ウクライナの航空博物館並びにキエフの大祖国戦争博物館に展示されているそうです。
戦争当事国が核兵器を保有できないとする状態は、第二次世界大戦末における核兵器開発競争を思い起こせばあり得ないことなのですが、今日では、NATO諸国でもニュークリア・シェアリングも行なわれており、ベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、トルコの五カ国にはアメリカの核が既に配備されています。同盟国に対する核配備や‘核の傘’の提供は、核の拡散を禁じるNPTにあっても一先ずは許されていますので、自らも同盟国に核を配備しているロシアには、なおさらにこれを否定する立場にはないはずなのです。
この理解に苦しむアメリカの露骨な屈服は、‘茶番’をもってしか説明できないようにも思えます。核の独占を許すNPT体制こそが、世界権力による支配体制を支える重要な基盤の一つであるからです。そして、それが核保有国による核の恫喝と先制使用を認めるという意味において、NPTの存在意義をもその根底から否定していることに(NPTの維持のために核戦争が起きかねない矛盾・・・)、どれだけの人々が気ついているのでしょうか(つづく)。