万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

国立大学授業料値上げの支離滅裂

2024年07月23日 11時41分38秒 | 日本政治
 つい数年前までは、高等学校の授業料無償化のみならず、大学の授業料をも無償化すべきとする議論が行なわれていました(2025年度から扶養対象となる子供が3人以上の世帯が無償化の対象に・・・)。ところが、昨今、降って湧いたように国立大学の授業料値上げ問題が持ち上がっています。報道によりますと、国立大学82校のうち、東京大学をはじめとして15校が値上げを検討中、あるいは、検討の可能性を示しているそうです。この流れ、どこか不自然であると共に、何らかの‘思惑’も潜んでいるように思えるのです。

 値上げを実施する主たる理由は、‘教育研究環境の改善’と説明されています。先端技術に関する研究ともなれば、高額となる実験装置や解析装置などを揃えるだけでも多額の資金を要することは想像に難くありません。しかしながら、その一方で、大学の独立法人化の流れと軌を一にして、産学一体化、即ち大学運営のビジネス化が図られてきました。政府の科研費も、‘選択と集中’のかけ声のもとで近未来技術の研究開発に重点的に振り向けられると共に、企業側も、多額の寄付を大学や特定の研究室に行なうことにより、自らの研究開発費を大学に‘外注’するという関係が築かれてきました。大学側は不足がちな研究費を獲得する一方で、企業側も、若くかつ優秀な大学生・院生を自らの‘人材’として利用し、開発コストも削減できるのですから、Win-Winの関係として持て囃されたのです。

 もっとも、同システムでは、企業による大学の私物化、並びに、人材や資材等の私的利用や特定分野への集中投資と言った問題が生じます。これは、学問の自由やあらゆる学問分野を公平に扱うという意味での‘学問の平等’に対する重大なる脅威ともなり得ます。このため、見直しを要する課題でもあるのですが、この傾向は、日本国の大学のアメリカナイゼーションをも示しています。日本国政府が目財しているのは、アメリカ型の大学、とりわけ私立大学なのでしょう。国立大学の独立法人化の実態とは、姿を変えた‘民営化’なのかも知れません。

 なお、入学に際してもマネー・パワーが発揮されるアメリカの大学は、学歴がお金で買える状況をも齎しています(特にハーバード大学などの名門私立大学・・・)。「ALDC(Athletes, Legacy, Dean’s interest list, and Children of faculty and staff)」といった特別枠の設置は、寄付金による他の学生の恩恵等を理由に正当化される向きもありますが、在学生ではない入学の時点で不合格となった若者達は一方的に不利益を被ります。また、イスラエル・ハマス戦争に際して明らかとなったように、大口寄付者が言論の自由を封殺する現象も見られ(学問の自由に加え、言論の自由の脅威にも・・・)、見習うべき制度でもないのです。

 日本国政府の描く大学像がアメリカの大学にあるとしますと、今般の授業料値上げには、理由らしい理由が見当たりません。仮に、大学がビジネス化し、独立採算が説明通りに実現しているとすれば、学生から徴収される授業料以外にも‘営業益’があるのですから、その収益をもって大学は運営されるべきです。それとも、大学と企業との共同開発等のプロジェクトによって生じた収益は、それに携わった特定の研究室のみの資金となるのでしょうか(仮に、大学内にあって研究分野間格差が拡大しているならば、授業料の値上げは、資金不足の状態にある研究分野を救済するため?)。また、アメリカの大学のように寄付金への依存度を高めるならば、大学は、授業料の値上げよりも、寄付金の獲得に務めるべきとなりましょう。

 何れにしましても、国立大学の授業料値上げは、近年の大学改革(改悪?)の方向性からしますと、誰もが納得するような根拠を備えているわけではないように思えます。そして、以上の支離滅裂ぶりに加え、同値上げには、国民的なコンセンサスも欠如しています。今日、日本国の衰退の原因として科学技術分野における予算不足や教育レベルの低下が指摘されています。現状の分析からしますと、国民の多くは、授業料の値上げ案よりもむしろ値下げ案を支持するのではないでしょうか。岸田首相が自らのポケット・マネーの如くに巨額の支援金をウクライナに約束する中、自国にあっては大学の授業料を値上げするともなれば、国民の多くが納得するはずもありません。

 授業料の値上げは、昨今、既に問題視されている奨学金の返済負担をさらに重くしますし、国立大学への進学も経済的な余裕のある富裕層がさらに有利となり、‘特権層’の固定化も予測されます。大学教育への入り口の経済的ハードルを高くすればするほど、日本国の知的レベルや科学技術のレベルも低下することでしょう(巨悪に騙されやすい国民ばかりとなる・・・)。教育は国家の礎でもあり、知性を育み伸ばすことは、延いては国民の心も生活をも豊かにします。誰もが学べる環境を整えることこそ、より広い意味における‘教育研究環境の改善’なのではないかと思うのです。

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