トンボは、古語にて‘あきつ’と呼ばれ、日本国は、これに由来して‘あきつしま’とも称されてきました(『日本書紀』や『古事記』・・・)。このため、枕詞では‘大和’にかかり、『万葉集』にも歌われています。トンボが日本国を象徴しているとしますと、秋篠宮家の悠仁氏が昆虫研究にトンボを選んだのは、秋篠宮家の‘あき’と音が通じることに加え、どこか、日本国を意識してのことなのかもしれません。
今般、悠仁氏の東大推薦入学問題にあって国民から批判の声が湧き上がることとなったのも、同一件が、秋篠宮家や悠仁氏の私的な領域を遥かに超え、国家的なレベルの問題に発展したからに他なりません。進学における選択の自由が皇族に認められている今日にあって、悠仁氏が国立大学に進学を希望することは全く以て自由です。国民の誰もが、悠仁氏の志望校が東大であることを批判したり、推薦の申し込みや願書の提出を妨害することはできません。この点は、他の受験生と変わりはないのです。
しかしながら、自由であるのは、受験する学校の選択と受験の段階までです。そこから先に進むには、公正に実施された入学試験の結果に基づいて、他の受験生と等しく大学側の公平な合否判定を受ける必要があります。つまり、入り口までゆくことは自由ですが、その扉が開かれるか否かは、受け入れ側に決定権があるのです。そして、問題が起きる現場は、‘入り口から先’にあると言えましょう。何故ならば、‘入り口から先’は、外部からは見ることができないからです。
不正入学は、この‘入り口から先’で常に発生します。つまり、表向きは、公平・公正なる競争入試制度を装いながら、その実、学校側の組織内部の見えない部分では、外部からの圧力や介入によって不公正で不公平な合否判定が行なわれ、不合格となるはずの受験生が合格してしまう可能性があるのです。その際には、必ずと言ってよいほどに、合格基準に満たない入学希望者から学校側にお金や便宜が供与されるものです。それ故に、こうした行為は社会的な腐敗行為として認識され、人々から批判されることになるのです。
秋篠宮家に至っては、入試に先立って、入り口から先に対する事前工作も疑われています。悠仁氏が合法的に合格できるように、東大農学部側の推薦入学の要件を変えたとする疑いがあるからです。しかも、この新要件、条件緩和に見せながら、一般の受験生では殆ど充たすことが出来ないような巧妙な設定です。つまり、赤坂御用地という独占的な場所で自然観察ができ、そこでの‘新発見’に基づいて専門家との共同で論文を執筆し、かつ、この研究成果に基づいて国際会議への出席できるのは、皇族という特別の地位にある悠仁氏、ただ一人であるからです。内部の協力なくして評価基準の変更することはできませんので、この問題は、不当な要求に応じた大学側にも責任の一端があると言わざるを得ないのです。
入学の合否判定の決定権が東大側にあり、かつ、同校が国立大学である点を考慮しますと、今般の問題に関する国民の猜疑の視線は、自ずと東大側にも注がれることとなりましょう。水面下で内密に進められていた時期には推薦入学の応募要件が変更され、それが悠仁氏の実績作りとリンケージしていることに国民の多くは気がつきませんでしたが、かくも事態が大きくなりますと、公的制度の危機として認識されるようになるのです。
東大が秋篠宮家の推薦入学作戦に協力した理由としては、相応の‘見返り’を挙げることができます(戦後、大学の自治が尊重されてきましたので、大学側が抵抗しなかったことは不可思議・・・)。東大側が校舎の新築や改修などの便宜を受けていることは昨日の記事でも述べましたが、この場合、秋篠宮家と東大とは、‘買収側’と‘収賄側’の関係となりましょう。その一方で、東大側は、皇族の希望に応えるのは当然である、皇族の要請は断れなかった(半ば脅迫的・・・)・・・といった理由をもって説明するかも知れません。しかしながら、これらの説明をもって国民の多くが納得すると信じているとしますと、それは著しい時代錯誤のように思えます。
一体、国立大学である東大は、誰のために存在しているのでしょうか。この根本的な問いかけに立ち戻りますと、自ずと東大のなすべきことは決まってくるように思えます。学問をもって世に貢献してきた東大は、自らの名誉を護り、国民からの信頼を保つためにも、正義を貫き、国民のための大学であり続けるべきではないかと思うのです。