万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

「中国ウクライナ友好協力条約」から読み解く戦争要因

2023年01月10日 13時37分42秒 | 国際政治
2013年12月6日にウクライナと中国との間で締結された「中国ウクライナ友好協力条約」は、今般のウクライナ紛争のみならず、国際社会の安全保障体制に関する様々な問題を提起しているように思えます。何故ならば、同条約の内容とNPT体制との間には直接的な繋がりがあるのみならず、同紛争に次ぐ戦争の危機として懸念されている台湾問題も絡んでいるからです。

 中国が遠方のウクライナとの間に敢えて安全保障条約を締結した主たる理由は、ウクライナの核放棄を確実にするためであったと説明されています。ソ連邦の崩壊後、ウクライナは、ソ連邦が自国に配備していた核兵器を天然ガスの代金としてロシアに‘売却’していましたが、1994年12月5日にアメリカ、イギリス、並びにロシアの三国が「ブダベスト覚書」により同国の安全を保障したため、核兵器の全面放棄に応じています。以後、同国の核放棄は、核兵器国であるロシアへの核兵器の移転という形で遂行され、NPTへの加盟により非核兵器国となったのです。因みに、ウクライナの核放棄に際しては、アメリカはじめ西側諸国が関与を試みたものの、結局、移転先となるロシアが全面的に管理することとなりました(なお、生物兵器については、2005年8月29日に米国国防総省とウクライナ保健省との間で「ウクライナ兵器拡散防止条約」が締結され、同条約に基づいてアメリカがウクライナの研究機関に支援を行なっている・・・)。

 このとき、核兵器国である中国並びにフランスも、「ブダベスト覚書」の内容をおよそ追認したのですが、中国については、ウクライナが核の危機に瀕した際の措置として同覚書が定めていた国連安保理への付託には言及していません。そして、2013年12月というウクライナが核放棄してから凡そ20年もの年月が経過した時点で、‘核攻撃や核による威嚇を行なった国から同国の安全を保障する’という、相当に踏み込んだ内容の条約、すなわち、恰も中国がウクライナに対して「核の傘」を提供するかのごとくの条約を締結しているのです。確かに、核兵器放棄の見返りという体裁をとっているのですが、20年の年月を考慮しますと、こうした中国のウクライナに対するどこか不自然な積極的な接近には、何らかの背景があったものと推測されます(台湾問題については後日に・・・)。

 地政学の泰斗であったマッキンダーの「ハートランド理論」によれば、ロシアからウクライナにかけての‘地域は全世界の運命を左右する重要な中心軸’とされます。もっとも「ハートランド理論」は、一種のドグマかもしれない・・・)。この点に注目しますと、おそらく中国によるウクライナ接近には、同国、あるいは、金融・経済勢力でもある世界権力の世界戦略が絡んでいたのかもしれません。そして、それは、核兵器国による核の独占体制、すなわち、NPT体制とは無縁ではないように思えます。何故ならば、NPT体制では、軍事的に絶対的な劣位に置かれる非核兵器国が自国の安全を確実にするためには、核兵器国による軍事的な保障を得ることが望ましいからです(一方、核の独占体制を維持するためには、核兵器国も、見返りを与えてでも核を放棄させたい・・・)。

 地政学的に重要性な地域に位置し、かつ、核兵器の放棄という‘交渉材料’を手にしていたウクライナは、他の一般諸国と比較して極めて有利な立場であったはずです。上述したように、実際、1994年末にウクライナは、「ブダベスト覚書」により国連の常任理事国にして核兵器国である米英ロの三国のみならず、中仏からも保障を得ると共に、核危機に限定しているとは言え、軍事大国となった中国との間には安全保障条約を締結することに成功しています(同時点では、中国は、核危機に際しての安保理での対応を約していないので、2013年の中ウ間の安全保障条約は、国連安保理を介さない自国一国での保障を提供したことになる・・・)。つまり、ウクライナは、常任理事国にして主要核兵器国の五カ国全てによる多重保障という特別の地位を得たと言えましょう。

 しかしながら、世の中には、内在するある欠点が表面化することにより、長所が短所に転じることも少なくありません。万全のように見えるウクライナの多重保障体制も、逆の見方からすれば、核保有国間の関係性の変化、並びに、自国の政権の方針如何によって、戦争の発火点になりやすいという短所となります。住民構成において東西問題を抱えるウクライナは、米ソ冷戦の終焉後、オレンジ革命やマイダン革命などの相次ぐ‘革命’により(ソロス財団の関与も指摘されている・・・)、NATOやEUへの加盟を目指す親欧米派とロシアとの連携を重視する親ロ派の政権の度重なる入れ替わりを経験してきました。新たな政権が樹立される度に、核保有国5カ国との関係も劇的に変化し、‘シーソーゲームの様相’を呈してきたのです。言い換えますと、非核兵器国であるウクライナは、一端、戦端が開かれますと、核保有諸国の介入を招き、核戦争、並びに、第三次世界大戦へと発展しかねない危うさを抱えていたと言えましょう。

 外部にあって核兵器国が背後で鋭く対立し、かつ、内部にあっても東西にひび割れが広がる同国の状況は、第三次世界大戦を引き起こしたい勢力にとりましては、悪い意味で世界史に新たな一ページを書き込む、願ってもない舞台であったのかもしれません。ウクライナ紛争が世界権力による誘導であったのか(同問題には、ウクライナ利権とも称されるエネルギー資源の利権や巨額債務問題も絡んでいる・・・)、それとも、大国間の地政学的な勢力争いやウクライナ固有の政治的要因によるものであったのか、これらの真偽を見極めると共に、同問題を根本的に解決するためにも、様々な視点からアプローチすることは無駄ではないはずです。ウクライナ紛争が人類の危機として認識される今日、今一度、NPT体制を含め、国際社会の構造的な問題から原因を究明してゆく必要があるのではないかと思うのです(つづく)。

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ウクライナからの対日接近は要注意

2023年01月09日 10時54分33秒 | 国際政治
 最近に至り、ウクライナから日本国へのアプローチが積極的になってきているようです。ゼレンスキー大統領が今月6日のビデオ演説で明らかにしたところによりますと、同大統領は、電話会談で岸田文雄首相に対して同国への訪問を要請した上で、安全保障分野での協力の拡大を求めたそうです。同国訪問については、岸田首相は検討するとして一先ずは前向きな姿勢を見せていますが、ウクライナからのアプローチには要注意ではないかと思うのです。

 そもそも日本国民の大多数は、自国の首相がゼレンスキー大統領と電話会談を行なっていた事実さえ知らなかったのではないかと思います。海外にあって同大統領がビデオ演説を介して公表しなければ、国民の知らぬ間に、日本国、さらには全世界の未来を左右するような重大な軍事面の関係強化が水面下で進められたかもしれません。この展開は、どこか、第二次世界大戦への導火線となった日独伊三国同盟の苦い経験を彷彿とさせます。ゼレンスキー大統領としては、電話会談の内容を公にすることで日本政府に圧力をかけようとしたのでしょうが、多くの日本国民は、両国のトップ間の動きに‘不穏な空気’を感じたことでしょう。

 安全保障分野における日ウ関係のウクライナ側の強化の主たる狙いは‘ロシアの挟み撃ち’にある、とする説明には確かに説得力があります。第二次世界大戦にあって、ソ連邦が日本国と日ソ中立条約を締結したのも、何としても二正面戦争を回避したいソ連邦の意向がありました(この点、日本国が真に戦争に勝利したければ、東南アジア方面に軍を展開させるのではなく、同条約を合法的に破棄し、ドイツと共にソ連邦を挟撃するという作戦もあったはず・・・)。しかしながら、ウクライナ側の安保協力の対日提案には、様々な疑問や問題があるように思えます。

 第一に、仮にマスメディアが報じるように、現在の戦況が、ウクライナ軍が圧倒的に優勢な状況にあるならば、敢えて日本国に接近し、二正面戦争の道を探る必要はないのではないか、というものです。ウクライナ優勢の報道が事実であれば、対日接近には別の意図があることとなりましょう。

第二に、同国が、日本国にロシアに対する何らかの軍事的な行動を期待しているとしますと、それは、日本国を同戦争に巻き込む思惑が潜んでいる可能性が示唆されます。多くの人々が既に指摘しているように、日本国はロシアから一方的に‘敵国認定’を受けることとなり、攻撃対象とされる可能性が高まるからです。日米同盟の存在を考慮すれば、それがアメリカを含む世界大戦への発展を意味することは明白です。ゼレンスキー大統領は、日本国を踏み台にして第三次世界大戦を引き起こしたいのでしょうか。

 第三に指摘すべきは、ウクライナは、2013年6月に中国との間に「中国ウクライナ友好協力条約」を締結している点です。同条約には、中国がウクライナを核攻撃しない旨を約束すると共に、「・・・またウクライナが核兵器の使用による侵略、あるいはこの種の侵略という脅威にさらされた場合、ウクライナに相応の安全保証を提供する」という一文があります。この一文の存在が、「ロシアに対して核兵器の使用を思いとどまらせているのは中国である」、とする説の根拠ともなってきました。仮に、ロシアがウクライナに対して核兵器を使用すれば、もしくは、使用しようとすれば、中国には、ロシアの核攻撃からウクライナを守る義務が生じ、ウクライナ側に立って参戦せざるをえなくなるからです(もっとも、‘核による報復’とは明記していないが、中国が、ロシアに対して核兵器を使用する可能性も生じる・・・)。もしくは、ロシア側が核兵器使用の可能性を明言している現時点でも、ウクライナは、中国に対して同条約の履行を要請できますので、中国はウクライナに核兵器や援軍を送らねばならなくなり、中国は、その友好国であるはずのロシアを敵としてウクライナ紛争に参戦するという複雑な事態となりましょう(こうした選択肢があるにもかかわらず、ゼレンスキー大統領は、なぜか、中国に対して援軍要請を行なっていない不思議・・・)。

 仮に、同条約が有効であるとしますと、日本国とウクライナとの安全保障分野での強力強化は、奇妙な事態を招きます。目下、日本国が直面している最大の軍事的脅威は、中国に他ならないからです。仮に、日中間において武力衝突が発生した場合、一体、ウクライナは、どのような態度を示すのでしょうか。ウクライナと中国との安全保障面における協力はテクノロジーの分野でも行なわれており、また、ウクライナは中国に対して武器輸出を行なっていた過去もあります(例えば、中国初の空母「遼寧」は、ソ連製の未完成品をウクライナから輸入して同国で完成させたもの・・・)。同条約の対象が核兵器に限定され、片務条約であるとはいえ、相互に戦略的パートナーシップと位置づけてきた安全保障面における両国間の密接な関係を考慮しますと、いざ、中国が日本国の安全を脅かす事態に至ったとしても、ウクライナ側が積極的に対日軍事支援を行なうとは思えません(むしろ、日本国の軍事情報が中国に筒抜けになるかもしれない・・・)。しかも、日中軍事衝突の発生は、日米同盟の発動を意味します。ウクライナは、自国に対する最大の支援国であるアメリカとの関係においても板挟みとなり、結局、局外中立を表明するのが関の山となるのではないでしょうか。

 もっとも、「中国ウクライナ友好協力条約」が結ばれたのは、親ロ派でありマイダン革命で失脚したヤヌコーヴィチ大統領の時代であるため、もとより順法精神に乏しい中国は、同条約を今や‘空文’と見なしているのかもしれません。ゼレンスキー大統領の対日接近も‘脱中国’への方向転換の表れなのかもしれないのですが、何れにしましても、同大統領の対日接近には、その真の目的が何であれ、日本国を上手に利用しようとする思惑が透けて見えるように思えるのです。

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‘ルールを変えると行動も変わる’-改善方法

2023年01月06日 09時58分41秒 | 統治制度論
 あらゆるゲームは、ルールを変えると、それに合わせてプレーヤーの判断や行動も変わるものです。日本経済の停滞要因として、‘グローバル・ルール’への適応の遅れが指摘されていますし、スポーツ界などでも、日本人選手の勝率が高い種目のルールが変更され、以後、表彰台に登れなくなってしまうという現象が多発しています。これらのルール変更は、日本国にとりましては不利に働いた事例なのですが、ルールのあり方とは、結果を左右すると共に、それに参加する人々の判断や行動をも大きく変えるのです。

 例えば、「七並べ」というよく知られているトランプのカードゲームを事例として挙げてみることとしましょう。一般的な「標準七並べ」のルールは、4つの種類の7のカードを最初におき、そこから各プレーヤーが、順番に数字が繋がるようにカードを出してゆき、最初に配られたカードを全て置き終えた人が勝者となります。このルールの敗者は、最初に出すカードがなくなったプレーヤーとなります。このため、勝者となるためには、他のプレーヤーがカードを出せなくなるように、出せるカードを持ちながら敢えて出さないというパス戦略が有効です。すなわち、他のプレーヤーを‘邪魔’をする必要があり、このゲームは、得てしてプレーヤー同士の‘意地悪合戦’となるのです。もっとも、一般的には、ジョーカーを持っている人は、次の順番の数のカードを持っていれば、ブロックしているカードを強制的に出させるルールが追加されています。例えば、ハート9のカードを持っていながら、ハートの8のカードが持つ人に邪魔されて出せない場合、自分の番でジョーカーを使えば、ハートの8のカードを持っているプレーヤーに対してその提出を要求できるのです。

 それでは、上述した「標準七並べ」のルールを変えてみることとします。先ずもって変えるのは、敗北条件です。「変則七並べ」では、最後にジョーカーを握ってしまったプレーヤーを敗者とします。最初に札を使い切ったプレーヤーが勝者である点は「標準七並べ」とは変わらないのですが、同ゲームの基本コンセプトは‘敗者決定ゲーム’であり、勝よりも負けないことが重要なのです。このルールでは、他のプレーヤーの邪魔をして出せるカードを出さないで邪魔をすると、他のプレーヤーにジョーカーを使われてしまう可能性が高まります。むしろ、ジョーカーが自らの手に残らないように素直に持てるカードを出し、他のプレーヤーにチャンスを与える方が得策なのです。同ルールでは一般的な「七並べ」とは逆に他のプレーヤーに対して邪魔や意地悪をするとブーメランとなって自分に返ってきてしまうのですから。もっとも、ゲームの終盤戦ともなりますと、逆転につぐ逆転のジョーカーの熾烈な押し付け合いになるのですが・・・。最後まで気が抜けずにスリリングという面においても、「変則七並べ」の方が「標準七並べ」よりもおもしろいのです。

 
 単純なゲームであっても、少しだけルールを変えますと、大きくパフォーマンスが変わってくることもあります。例として挙げた「七並べ」では、ルールを変えることで、利己的行動有利が利他的行動有利へと変化しています(もっとも、皆の利他的行動の深層には‘負けない’、即ち、自己保存の心理が働いているのですが・・・)。このことは、ゲームの狭い世界のみならず、政治、経済、社会と言ったあらゆる分野にも言えることのように思えます。経済分野で言えば、独占禁止法(競争法)の登場がその典型例かもしれません。今日では、市場を独占・寡占した途端(その他多数の人々自由な経済活動を阻害し、封じてしまう存在・・・)、刑罰やペナルティーが科せられてしまうのですから(’大貧民’のよう・・・)

 多くの国や人々を益する方向にルールを変えることができれば、ルールの変更は望ましいこととなります。悪循環に陥っているとき、旧弊に苦しむとき、縮小再生産から抜けられないとき、そして皆が自らの国家や社会が腐敗している、あるいは、息苦しいと感じるときなどには、現行のルールを見直し、誰に対しても公平であり、かつ、正のメカニズムが働く新しいルールを考えてみるのも一つの方法です。少しばかりのアイディアと工夫で、劇的に状況が改善されることもあるかもしれません。そして、より善い方向へと人々の行動を自然に誘導する‘変則’がもはや‘変則’ではなく‘標準’となる時、全ての国家並びに人々を含めた、自他を共に生かすことができる人類社会が出現するかもしれないと思うのです。

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国際社会における権利確認訴訟の意義-日本国の抱える紛争も解決

2023年01月05日 11時24分52秒 | 統治制度論
 戦争を未然に防止し、国家間の紛争を平和裏に解決するためには、先ずもって平和解決の仕組みを整備する必要がありましょう。解決手段から‘力(武力)’という選択肢を排除しなければ、戦争はなくならないからです。この点、国連憲章では、加盟国に対して紛争の平和的解決を義務化付けながらも、制度的関心が安全保障理事会を中心機関とした安全保障に置かれているため(しかも、本質的な欠陥のために実際には機能しない・・・)、平和的解決のための制度については関心が低いという弱点があります。第二次世界大戦の最中に構想されたため、制度設計の杜撰さは致し方ない面もありますが、この弱点を克服しない限り、人類に平和は訪れないのですから、今後、未来に向けて努力すべきは、紛争の平和的解決の制度整備ということになりましょう。

 また、今般、日本国政府が決定した防衛費増額については、年間凡そ4兆円の内の四分の1分に当たる1兆円程度であっても、その財源をめぐって議論が起きています。増税に対する国民の反発も強いのですが、実際に戦争となりますと、数兆円程度では済まされず、莫大な予算を戦費に割かざるを得なくなります。G7の一国である日本国でさえ、武器の消耗による補充や新兵器投入のために強いられる戦費に耐えられるとは思えません。兵器がハイテク化、即ち、高額化した今日では、ウクライナ紛争が示すように、中小諸国は軍事大国の支援なくして自衛のための戦争さえできない状態にあるのかもしれません。しかも、戦闘状態が長期化すれば、軍事費調達のための重税のみならず、動員や国土の破壊により経済も国民生活も破綻することでしょう(敗戦国ともなれば、さらに賠償金支払いが待っているかもしれない・・・)。国際レベルにおける平和的解決手段の整備は、財政や経済面から見ても、いずれの国にとりましても最も効果的で合理的な国家安全保障政策なのです。

そこで、平和的解決の制度として期待されるのが、「政治問題」に対しては、当事国双方の合意形成・遵守の義務化であり、「法律問題」に対しては、国際司法機関における権利確認訴訟手続きの拡充です。何故ならば、双方が相手方の根拠を認める前者については、何れの当事国であれ、‘力’を解決手段から排除できれば戦争の防止策となりますし、当事国双方が自国の権利主張の正当性を争う後者については、単独提訴を認め、当事国の何れか一方が武力行使に至る以前の段階で、権利を確定してしまうに越したことはないからです。

 それでは、平和的解決制度の整備は、日本国が抱える国際紛争において、どのような意義があるのでしょうか。日本国も、同制度の恩恵を受けることができるはずです。何故ならば、国際紛争、日本国の場合、とりわけ領域をめぐる紛争は、何れの「法律問題」であり、権利確認訴訟によって解決できるからです。北方領土問題も、対日講和条約の非当事国であるロシアが、連合国の一員でありながら不拡大原則を含む大西洋憲章の原則に反し、ヤルタ密約等を根拠として同地を自らの領域と主張する以上、紛れもない「法律問題」です。竹島問題に至っては、歴史的並びに法的根拠を見れば、韓国側の主張は根拠薄弱です。江戸時代の竹島経営、明治期の無主地先占、並びに、戦後の韓国による竹島占領の不法性は明らかであり、同問題も、「法律問題」として司法解決すべき紛争と言えましょう。

もっとも、これらの地域は、既にロシア並びに韓国によって占領されていますので、領有権確認訴訟において‘占領国側’が敗訴した場合については、権利回復のための仕組みを同時に整えておく必要がありましょう。最後の手段は、判決の強制執行力としての力の行使となるのでしょうが、相手国が軍事大国である場合には、勝訴国一国による強制執行は、事実上不可能となります。そこで、国際司法機関における判決内容を実現するためには、同時に、正当な領有権を有する国の領域を違法に占領しつづけている国に対して、外交関係の停止や経済制裁など、国際的な制裁を課す仕組みを整える必要がありましょう(この点、南シナ海問題に際して常設仲裁裁判所が判決を下した際に、国際協力の下で中国に対して制裁を科すべきであった・・・)。

そして、台湾問題のみならず尖閣諸島問題も、中国の軍事行動、即ち、戦争の未然防止という意味においても、領有権確認訴訟は重要な紛争解決手段となります。2020年10月に、中国政府は、自国の公式サイトに尖閣諸島の領有を主張する「中国釣魚島デジタル博物館」を開設しましたが、この行動は、無法国家と称されてきた同国といえども、領有権を主張するに際しては歴史的、並びに、法的根拠を要することを理解していることを示しています。中国側の対応からしますと、領有の主張の根拠をめぐる双方の一方的な主張合戦は法廷の場に移すべく、日中合意の上で国際司法裁判所に解決を委託すべきなのでしょうが、日本国側も、領有権問題化、即ち、中国への譲歩を余儀なくされる「政治問題」化を防ごうとするばかりに、紛争の存在自体を否認しています。もっとも、領有権確認訴訟の形態であれば「政治問題」化することなく司法解決ができるのですから、日本国政府には、司法解決を躊躇する理由はないはずです。

以上に述べてきましたように、平和的解決に関する制度を拡充することが戦争をなくすために必要不可欠な作業であるならば、日本国政府をはじめ、国際紛争を抱える何れの国の政府であれ、国際社会における制度構築に向けた一歩を踏み出すことが大事なように思えます。ウクライナ紛争を機に中国による軍事侵攻、延いては第三次世界大戦への拡大リスクが高まる今日にあって、一国による勇気ある行動が時代の流れを変え、人類を戦争の危機から救うこともあり得るのではないかと思うのです。

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「ジョブ型」雇用の未来とは?

2023年01月04日 12時55分35秒 | 日本経済
 新たな年を迎え、時計の針は未来に向けて絶え間なく時を刻んでいます。時の経過と共に、経験の積み重ねや歴史の教訓、並びに、学問や技術の発展に伴って、人類はよりより賢くより豊かになると信じられてきました。時間とは、長さという量で計ることができますので、時間の蓄積が多い人々、即ち、後の世に生きる人々に恩恵をもたらすことは紛れもない事実です(能力が全く同じであれば、時間と知識量並びに脳の発達は比例する・・・)。生物学にあってもダーウィンが、単純で低度なものから複雑で高度なものへの発展を必然的なプロセスとする進化論を唱え、多くの人々が賛同したのも、その大前提として時間の効用に対する確信があったからなのでしょう。誰もが人類の進歩を信じて疑わないのですが、近年の状況を観察しますと、精神性を含めた人類の成長は、今日、その行く手を巨大な壁に阻まれているように思えます。そこで、今年は、人類の成長や発展の問題を強く意識しつつ、記事をしたためて参りたいと思います。常々拙い記事となり、心苦しい限りではございますが、本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 2023年1月1日の朝刊一面左を飾ったのは、「日立、37万人ジョブ型に」という見出しでした。日本国を代表する大手企業の一つである日立製作所の全グループが、従来の日本型の雇用形態からジョブ型へと転換するとする記事です。同社では、昨年7月までに既に国内本社社員の3万人を対象に「ジョブ型」導入しており、今般の拡大の対象は国内外の子会社社員の37万人にも及ぶそうです。

日本国内の上場企業では連結従業員数が2位ですので、その影響は計り知れません。他の企業にもこの動きが広がれば、新卒採用、年功序列、手厚い福利厚生を特徴としてきた日本型の雇用形態は総崩れとなる事態も想定されましょう。日本型雇用には、悪しき平等主義の蔓延や個人の能力の低評価などの欠点があり、激しい競争を強いられるグローバル時代にあって日本企業の没落原因としてもしばしば指摘されてきました。グローバル企業としての競争力を取り戻すための策として、欧米諸国で一般化している「ジョブ型」への転換を決断するに至ったのでしょうが、この欧米の後追い、日本国の未来に希望を与えるのでしょうか。

 同社の新卒向けのホームページを見ますと、‘人事制度として日本がジョブ型を採用する必然的な流れ’とした上で、同制度の長所を積極的にアピールしています。職種やジョブ型を導入した大凡の理由とは、(1)「メンバーシップ型(日本型)」はもはや通用せず、「ジョブ型」がグローバル・スタンダードである、並びに、(2)個人の多様なライフスタイルやワークスタイルにマッチするというものです。しかも、意欲のある社員に対しては、自らが人材開発プログラムとして開設している数千に及ぶ講座を受講することでプロフェッショナルスキルを磨き、職種(ジョブ)の転換にもチャレンジできるとしていますので、ジョブ型の閉鎖的で固定的なイメージを払拭しようとする姿勢が見られます。しかしながら、日本型の雇用形態にも長所があるように、ジョブ型にも短所があるように思えます。

 第1に、国や社会全体の福利から総合的に評価しますと、前者には、社会保障を民間企業が担ってきたという側面があります。その一方で、働くことを契約に基づく限定された職務の遂行と見なすジョブ型には、社員のスキルアップをサポートすることはあっても、社会保障の機能は期待できません。年功序列制度は失業のバッファーとなってきましたし、社員の長年の労に報いるために支給される退職金なども公的年金と共に国民の老後の生活の安定を支えていきました。近年、法人税の税率もグローバル・スタンダードに合わせて低下していますが、「ジョブ型」が一般化すれば、企業の公的負担がさらに軽くなる一方で、政府の社会保障分野への支出は増えることも予測されます。「ジョブ型」は、国や社会全体の視点からしますと、必ずしもプラス面ばかりではないこととなります。

 第2に、「ジョブ型」は個人の能力を正当に評価し、人生設計やキャリアなどに関する個人の選択肢を広げるとされますが、個人にとりましてもメリットばかりではありません。雇用の安定性から評価すれば、「日本型」の方が優れています。目下、デジタル化の推進により、企業が欲する人材とは「デジタルの専門人材」であり、「ジョブ型」の導入によりITやAI関連の職種の社員は高い報酬を期待することができます(デジタル時代が長く続けば、若者も必ずしも有利とは言えなくなる・・・)。その一方で、それ以外の職種については低報酬しか望めませんし、仮に、企業の経営側が同職種を不要と見なした場合には、即、解雇されてしまうことでしょう。雇用期間は短期化し、いわば、正社員が非正規社員化されてしまうのです。この点、デジタル人材も安泰ではなく、新しい技術が開発されれば旧技術に関連した職種はお払い箱となり、‘ジョブ’を失うかもしれません。新卒採用の慣行もなくなれば、欧米諸国と同様に若年層の失業率が上昇しますし(少子高齢化にも拍車が・・・)、第1点に関連して述べれば、雇用対策のための予算増額は国民の税負担を重くすることでしょう。

 第3に、日経新聞の記事に依りますと、国籍等を問わないために「ジョブ型」導入の主要な目的は‘海外から登用しやすく’するためと説明されています。海外からの人材登用が目的であれば、「ジョブ型」への転換は、日本企業のグローバル企業への‘脱皮’をも意味するのですが、これは、社名は日本語であっても日本企業ではなくなることを意味します。日立では、つい先日となる1月1日に昨年退任したイギリス人のアリステア・ドーマー氏が副社長に復帰したばかりですが、経営陣も社員もその殆どが外国人という未来もあり得ましょう(近い将来、同氏の社長就任もあり得るかもしれない・・・)。欧米系であればグローバル人脈(世界権力)と繋がっていますので経営陣に抜擢され、中韓系であれば同社のデジタル関連職を占める未来も絵空事ではありません(アジア系はネポチズムも強いので同朋を呼び寄せてしまう・・・)。一つ間違えますと、「ジョブ型」は、新たな植民地主義の到来を告げることともなりましょう。なお、全世界の企業が「ジョブ型」を採用した場合、最優秀のグーバル人材は、報酬や待遇の良い欧米や中国企業に集中するのではないでしょうか。

 そして、第4に挙げるべきは、企業と社員との関係です。「日本型」では、経営陣には、創業家世襲のケースを除いて、一般的には新卒で採用された平社員が様々な職種を経験しながら実績を積み上げ、出世階段を上り詰めた末に就任する形となります。その一方で、「ジョブ型」では、‘会社に勤める’というよりも‘特定の職に就く’形態となりますので、社員と経営陣との関係が今一つはっきりしません。否、「ジョブ型」とは、企業の事業に必要な人材を集めるのに適した形態ですので、あくまでも経営者の視点から考案された採用形態なのです。「ジョブ型」で雇用された社員が経営陣に加わる道が閉ざされているとすれば、社員の勤労意欲を削ぐことになり、企業全体の業績にもマイナス影響を与えることとなりましょう。

 以上に主要な問題点を挙げてきましたが、外部的な経営者視点からは望ましい転換ではあっても、「ジョブ型」の雇用形態には明るい未来が描けそうにありません。そもそも、グローバル競争において日本企業が劣勢にあるのであれば、起死回生のために‘イノベーション’を起こすべきは雇用形態そのもののはずです。旧来の「日本型」でも欧米の‘まね’の「ジョブ型」でもない、働く人本位であり、かつ、国民の豊かな生活に資する新たな雇用スタイルを独自に開発してこそ、日本企業のみならず国も国民も活路を見出すことができるのではないでしょうか。今年こそ、日本企業の優れた開発力を、その製品のみならず会社組織においても、是非、発揮していただきたいと思うのです。

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