花の詩山の詩

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このブログは「花と山とを友として」の続編です

雪無しの奥日光ハイク・その2

2016年12月12日 17時22分09秒 | スポーツ・トレッキング
身辺雑事で遅れてしまいましたが、雪無しの奥日光ハイクの続編です。
イタリア大使館公園付近からムジナ窪の半月峠登山口から半月峠手前までの
ハイキングで見た風景の写真掲載します。


イタリア大使館公園前の桟橋から撮影した男体山


男体山の山頂の望遠でのアップ、左に見えるのは、男体山に祭ってある
太郎山神社の祠、右には雪の樹林の上に男体山の象徴である鉄剣のような
ものが見えているが、正確にはわからなかった。


左奥には、端正な三角錐に見える社山がそびえている。
この山に登るには、湖畔に突き出ている八丁出島と呼ばれる寺ケ崎を
抜け、阿世潟の登山口から阿世潟峠に登り、いくつかの小ピークを越えて
登って行く。
途中の岩峰に設置されている雨量計の場所は、男体山と日光白根山の
眺望がすばらしい場所である。
いつだったか、残雪気に登った時、湖畔から吹き上げてくる寒風に
震えあがった記憶がある。
半月山にしろ社山にしろ、足尾の山々を見るたびに胸が痛む。
公害で荒れた山々は、日本の近代化の負の遺産である。


大使館前の桟橋から見つめる湖畔は心が和む


日光白根山方面の眺め


桟橋から眺めるイタリア大使館別荘、(冬季閉鎖で入れない)
石楠花が防寒のために葉を丸め始めていた


樹皮がめくれている木があった


湖畔は白い小石が敷き詰められたように続く。
波打ち際は凍り付いていた。


再び男体山


湖畔の道では誰にも会わず、鳥の鳴き声もせず、静かな波音がするだけ。
大きな弦が一本、道を横切って倒れていた。


八丁出島の手前から見る社山


ようやく男体山の全容がわかる場所に来た
男体山の右に顔を見せているのは女峰山


ムジナ窪から半月峠に向かって登るといたるところに霜柱があった


大きな石の下には、きれいな霜柱があった。


狸窪(ムジナくぼと読む)の半月峠登山口、この時すでに12時35分だった。
あと1.6キロを登るのは、時間的に無理だと思ったが、とりあえず
行けるところまで行ってみようと思った。
3時を過ぎたら暗い樹林帯を歩く結果になるのは判っていた。


所々に階段の有る登山道、この面は午後の日は当たらないから薄暗い


落ち葉の吹きだまりがある、うかつに踏み込むと30センチも有ったりして
丸い石が隠れていると転ぶ危険のあるワナである。
ストックで探って危ないと思ったらよけて通るのが一番。


樹林帯の登山道は、根がむき出しなので要注意、疲れてくると
よくつまずく、私だけか(笑)


アーチをくぐって登ります。あまり低いと腰痛が、、、、
この登山道は、つづら折りの道が峠までつつく。


途中で木の間から見る白根山の山頂が美しい。


望遠でアップすると、日陰で陰影がましている。


この道の奥に行ったところで食事にして、引き返すことにした。
すでに午後の1時半を過ぎていた。
インスタントの甘酒をお湯で溶いて飲もうとしたら、車に忘れてきた
バカバカッ、食事は早めに済ませてさっさと下山開始。
行動食のナッツ類をポケットに入れて歩く。ポリポリ。

ムジナ窪の登山口に降りたら、午後の2時17分だった。
まだ駐車場までは遠いが、湖畔の林道あるきなので、少しは気が楽だった。


帰りに見た男体山、影が湖面に写っていた。


社山と湖面の夕景


湖畔に打ち上げられていた小魚


歌ケ浜に帰り着いたら午後の3時12分だった。


記念に夕暮れの日光白根山のアップを撮って終了。

帰りのいろは坂は大渋滞だったが、そのあとは比較的順調であった。

都合により、かなり省略しましたが、お許しください。終わり。


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10日に撮影した霞ケ浦の夕景


霞ケ浦の落日の始まり


日が沈んだ後に見えてきたものは


落日のすぐそばに富士山の陰が


バックライトに輝く富士山


左に牛久大仏を入れて 落日後の富士山

富士山の真後ろに沈む日を計算するかな。