原因が分からないんだけど、紫ツユクサに白い花が咲いた
紫ツユクサの白い花
真っ赤なコスモスも一輪咲いている
それにしても暑い やだねったらやだね
こんな日は 鈴木昌友先生の「茨城の花」という常陽新聞社が
昭和51年に出した図鑑を眺めている
その中に、ヤマトグサの話しか出てくる。
牧野富太郎博士が学会誌に高知県のヤマトグサを発表してから
8年後の明治26年4月、牧野富太郎、池野成一郎、安井伴一など
当時植物学者としては一流の先生方が筑波山に来られた
そしてそこでも開花中のヤマトグサを発見し、日本の中で
第二番目の産地とした
この記録は植物学雑誌に「ヤマトグサ筑波山に産す」という
題名で発表されている
ついでながら、その当時の茨城県内の産地は、筑波山と
西金砂山だったらしいが、西金砂山の個体は 道路拡張のため
無くなってしまったと書かれている
最近筑波山を歩いていないので、最新情報は分からないが
私が歩いている頃は 登山道と研究路に生育していた
研究路のものは、多くの人に踏まれて 崩れかかっていた
ヤマトグサはよほど注意して見ないと、一見雑草のように見える
なので植物に興味の無い人は雑草と思って踏みつけてしまうのだろう
もうすぐ山の日だ
山に行けると良いのだが。
紫ツユクサの白い花
真っ赤なコスモスも一輪咲いている
それにしても暑い やだねったらやだね
こんな日は 鈴木昌友先生の「茨城の花」という常陽新聞社が
昭和51年に出した図鑑を眺めている
その中に、ヤマトグサの話しか出てくる。
牧野富太郎博士が学会誌に高知県のヤマトグサを発表してから
8年後の明治26年4月、牧野富太郎、池野成一郎、安井伴一など
当時植物学者としては一流の先生方が筑波山に来られた
そしてそこでも開花中のヤマトグサを発見し、日本の中で
第二番目の産地とした
この記録は植物学雑誌に「ヤマトグサ筑波山に産す」という
題名で発表されている
ついでながら、その当時の茨城県内の産地は、筑波山と
西金砂山だったらしいが、西金砂山の個体は 道路拡張のため
無くなってしまったと書かれている
最近筑波山を歩いていないので、最新情報は分からないが
私が歩いている頃は 登山道と研究路に生育していた
研究路のものは、多くの人に踏まれて 崩れかかっていた
ヤマトグサはよほど注意して見ないと、一見雑草のように見える
なので植物に興味の無い人は雑草と思って踏みつけてしまうのだろう
もうすぐ山の日だ
山に行けると良いのだが。