原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

2025 謹賀新年

2025-01-08 | 徒然なるままに
あけましておめでとうございます。

昨年の10月以来、ここには何も書いていないのに
見に来てくださる方がいることに感謝です。
ありがとうございます。

昨年11月に茅野市に住み始め
(首都圏との二拠点でありますがこちらに軸足を置いています)
引越しの翌日には最初の寒波、
そして12月、1月と当たり前でありますが気温はぐんぐん低下し
もうすぐ寒さの極まる2月となりますが
寒さにもだいぶ慣れてきました。

空の広さや八ヶ岳を仰ぐたびに
ここに住んでいることがまだ半ば夢心地のような、
現実感が薄いような気がします。
しかしそう考えると今まで現実と思っていたものは
何なのだろうという気もします。

山の近い土地ですので
天気の日内変動も大きく
曇りから晴れ、晴れから曇り、
陽が射しているのに雪が舞っていたりということも日常のことなのでした。

この土地に来てからは
自然との距離感が変わりました。
それは自分自身の内側でも何か起きている、
ということでもあります。

このあたりの感覚はまだまだ総体を捉えることもできず
(何かが変容している途中なので)
蝶でいうならイモムシからサナギになって
サナギの中でドロドロに溶けている真っ最中、というのが
近いかもしれません。

改めてこれから取り組んでみようと決めているのは
日本におけるアニミズム/シャーマニズムを研究考察すること
そして「山姥」の研究です。

山姥と女性性、来訪神としての側面を掘り下げていくことが
未来に向けて、あるいは日本のシャーマニズムを考える上での
ヒントになることを薄々感じています。

溝の口でのダンスレッスンは続けています。
受講希望の方はお気軽にご連絡ください。
メール、FBメッセンジャー、Xのリプライで大丈夫です。
(XのDMはスパムが多いので今は閉じています)

写真は八ヶ岳です。
いつ見ても胸の奥が広がる美しい姿です。


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手巻き寿司などしながら思ったあれこれ

2024-08-19 | 徒然なるままに
16~7年前、大病を患って以降
残りの人生をどう生きるか、
ということを折に触れて考えていた。

ここ何年かも大きな曲がり角に来た感じがあり、
年を取っても楽はできないもんだなと思ったりしていたが
死ぬる前にどうしたいのよ、と自分に問うてきたことの
答えのひとつが具体的な答えとしてポンと出てきた。

頭でいろいろ考えるよりも身体を変えたほうがいいし
環境を変えたほうがいい。


このお盆休みは
誘われて友人のうちに滞在してきた。

やらなければならない仕事もあり
PCも一応持っていったものの
暑さとのんびりした心地よさで結局開くことができなかった。

集まった友人の何人かも
それぞれにやるべき仕事を持っていたし
他者がいると意識せずとも手が出てしまう癖を持っているのだが
自分も含め気がついたらそれをやっている人が皆無だった。

寝て起きてご飯を作り、食べ、喋り、笑い、洗濯し、
買い物に行ったり飲んだりカードを引いたり。

社会的生産的?なことは一切しなかった。

帰ってから気づいたことがいろいろあった。

日常で取っている役割を誰一人やっていなかったのだ。
そんなの当たり前じゃん、という人もいるだろうが。

自分にとっては
時間を外し、役割を外し、ミッションを忘れ、
という稀有な4日間でした。

これが後々良い感じで影響しそう。

そして最終コーナーを回る覚悟もできました。
死ぬことも含め、仕事以外のあれこれもこれから楽しむよ!

秋からまた新しき場所へ
楽しみつつ行こうと思う。



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【 ある決意 】

2024-02-12 | 徒然なるままに
「心のある道を歩くことだけだ。
どんな道にせよ、心のある道をな。
その道の全てを歩みつくすことだけが
ただひとつの価値のある証しなのだよ。」

「知者は行動を考えることによって生きるのでもなく、
行動を終えた時考えるのだろうことを
考えることによって生きるものでもなく、
行動そのものによって生きるのだ、
ということをお前はもう知らねばならん。
知者は心のある道を選び、それに従う。
そこで彼は無心に眺めたり喜んだり笑ったりもするし、
また”見たり””知ったり”もする。
彼は自分の人生がすぐに終わってしまうことを知っているし、
自分が他のみんなと同様にどこへも行かないことと知っている。」

20代半ばの時、友人に借りた本から
ドン・ファンのこの言葉に出会い
その文章を自分の日記に書きつけたことを覚えている。

40年近く経ってまた同様のことをしている。

あの時読んだあの本はわたしの無意識の海に沈み
そして今ここに至るまでの道を指し示していたのか、
わたしの魂が 
やはりこれなんだよ、ともう一度この言葉に出会わせてくれたのか。

いずれにせよそういうことだな、と思う。

水瓶座新月、旧暦新年から power animalに会いに行き
敬愛する場所を巡り三社で祈ることができた。
覚悟を決めるというのはいっそ清々しいことだと 改めて思う。

ここからもまた、地道にひたひたと。


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【 2024 元旦に 】

2024-01-01 | 徒然なるままに
ガザのことや
世界で起きている色々なことを考えると
素直に新春おめでとう、という言葉が出なかった。

心の余裕を失った人たちが誰かを傷つける。
それもSNSでは当たり前のように行われている。
あちこちで諍いが起きている。
政治家は空疎で心にもないことしか言わなくなった。
声の大きいものが正義になっていて
誰かを悪人と決めつける。
正義と正解を求め続けて自分で考える力を失くしている人がいる。
そういう事象がじわじわと私たちを蝕んでいる。

それでも
私たちは自分の魂をを忘れずに
自分自身を豊かに美しく磨いて生きていかねば、ですね。

ひとの持つ純粋に表現されるエネルギー(歌や踊りや)が
どれだけすごい力を持つのか、という奇跡を
昨年の合宿で体感しました。

その純粋なエネルギーをもっと多くの方に自分のこととして
体験してほしいと心から思う。

シャーマニズムは天地人をつなぐ力。
シャーマニズムには歌と踊りが必須のもの、と
より深く感じるようになりました。

人と人との障壁を暖かく溶かし、
共に遠くを見つめることができる。

ただ楽しいだけじゃない。
ただきれいなだけじゃない。
ただ気持ちいいだけじゃない。
自分のためだけに生きているのではない。
人は人だけの世界で生きてはいない。

苦しみも痛みも闇もあるからこそ
それが昇華した時の喜びは唯一無二であり
見える世界が変わってくる。

そして生きている間だけでなく
この肉体を離れても
魂を生きる旅は続く、のであります。

生きとし生けるものが調和していきますように。
天地人がしっかりと結ばれていきますように。

これからも修行の道を歩みます。

みなさまの健康と安寧を心よりお祈り致します。
そして能登の地震の被害が少しでも少ないように…

今年もどうぞよろしくお願い致します。

首都圏は1/6のWSから始まります。
大阪は1/27,28です。

写真は葉山の海からの富士です。
霞がまた美しい。

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紅葉を愛でに

2023-11-08 | 徒然なるままに
10月後半は合宿、砂浴場でのshamanismWSなど
自分にとって大切な仕事が続いていたので
11月の連休は5か月ぶりに茅野諏訪原村へ。

行きたいところがありすぎて
返って迷うという感じになりますが
この季節はやはり紅葉は外せず
温泉寺/佛法寺/長円寺のライトアップを見に。

人がおらず、静謐な空間に
ただただぼんやりとそこに立つ、ということの
なんという贅沢さよ。



こちらの地方に来るのは
「自分を空にする」、というのが大きな目的の一つでもあります。
いくつかそうできる場所を見つけていて
それは私の聖地でもある。
木々を渡る風の音、池に注ぐ水音。
そして秋の色、たくさんの色。
全ての感覚を開いて空(kuu)と美で満たされればもうそれでいい。
それがまた自分のエネルギーになることも感じます。





素晴らしき土地と歴史の醸すエネルギー。
いつもありがとう。
愛してやまないところです。
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青梅で縄文陶芸体験

2023-10-24 | 徒然なるままに
今年の春
久しぶりの武蔵御嶽神社式年祭に行って以来、
青梅方面のあれこれとご縁ができるようになった。

砂浴、砂浴場でのWSに加え
先日はお誘いありて阿吽Labo.にて縄文陶芸WSへ。
多摩川の上流に面した場所に建つ
陶芸作家の大藪龍二郎氏の工房でありギャラリーカフェである。

ニホンオオカミ協会とのコネクションもあるそうで
これも偶然!(以前友ちゃんとhachaさんと協会の集まりで
オオカミの復活というperformanceをしたのだ)
今回は「縄文原体」を使って粘土に模様をつけ花瓶を制作。

陶芸は久しぶりだったけれどやっぱりものすごくハマります。
昼前から夕方まで、どっぷりと黙々と粘土に触れている時間、
ずっとそれを行なっていたくなる。

ランチの野菜カレーとビーツのスープもおいしくいただきました。
ギャラリーに展示してある大藪さんの作品は
本当にどっしりと迫力がありずっと目を奪われてしまう。
なんと令和元年にはお犬様の像を制作し武蔵御嶽神社に奉納されたとのこと。
式年祭の時に目にしているはず!
そして来月は静山荘の御師の橋本氏と対談もするそう。
(滝行で何度かお世話になった)


ギャラリーには3Dプリンターでミニチュアにしたものが飾ってあり、
そのまたミニチュアと精麻でMomo Yagoさんがピアスも作っていて、
すごく可愛いのだ…!(お犬様好きな方はぜひ買いに行くべしだね)
制作した花瓶は焼成してから送ってくださるとのことですが
また行きたい。というかもっと粘土に触れたい。
陶芸は奥深いものと肌身で感じるが探求したい気持ちがむくむくと湧く。
西の空にはケーブルカー御嶽駅の展望台も見えた。
夕焼けが美しかった。

そしてオオカミloveなのだ!


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【 恐れと壁 】 (1)

2023-03-24 | 徒然なるままに


小中高と演劇部を経て
大学入学と同時にある劇団の研究所に
通い始めたのが19歳の時。

そこから10年目の29歳、
わたしはある芝居のオーディションを受けた。
シェイクスピアの「十二夜」を上演する企画だった。

オーディションの内容は「物真似」をしろ、という通知が来た。
当時料亭でバイトしていたので
そこの女将の真似をすることにした。

永田町からも遠くないそこの店には
政治家、財界人など上客の多い店だったので
女将の物腰もなかなかに優雅であったが
バックヤードでの従業員に対する態度が真逆で
こんなにあからさまに違う人なのだ、とびっくりしたが
その態度や表情の裏表が面白く、それを真似た。
もちろんオーディションには着物で臨んだ。

合格して、渋谷の稽古場に通い始めた。
昼は稽古、夜は深夜までのバイト生活。

演出家は女性で当時50代くらいだったと思う。
参加者は男女取り混ぜて20人くらいいただろうか。
演出家は「コメディア・デラルテ」という
イタリアの風刺喜劇を学んだ人で
稽古は即興中心だった。

人間のみを演じるだけでなく
動物や噴水、石像までもエチュードで演じた。

芝居での即興は設定のみ決まっていて
そこにいる人間の動きや仕草、
そしてどういう声を出してどんなセリフを言うのか
などの要素で具体的に場が立ち上がってくる。
複数で行うのでセリフにより登場人物の関係性もできてくる。
というか作っていくのだ。即興で。
即興で!

またある時には週刊誌に載っていた写真を
(当時とても売れていた役者が浮浪者の扮装をして写っていた。
多分そういう役を演じていた時のスナップだろう)
皆に見せて
「これは浮浪者の目ではない。
あんたたち、浮浪者の観察に行って来なさい」と命じられた。

視線を察知されないようにサングラスをかけ
上野の山をウロウロした。同行した仲間は
そこにいたおじさんに話しかけていた記憶がある。
彼らの察知能力、警戒心はそれはすごいものだった。
よく話しかけたものだと思う。

そんな稽古を重ねていったある日、
演出家が「あんたたち、今度から道化の稽古やるわよ。
何か面白いことしなさい」と言ったのだった。

道化か…
と皆頭をひねって
誰よりも面白いことをやってやれ、と色々考えて
当日集まったのだと思う。

それぞれに工夫を凝らした扮装して輪になって座った。
まだ皆余裕である。
その円の中心に一人ずつ出て行って
皆を笑わせようと何かをする。

誰かが笑っても
演出家は容赦なく「そんなのちっとも面白くない」という
言葉を投げつけてくる。

若干緊張しながらも意気揚々としていた我々だが
厳しい言葉を投げつけられたちまち場の温度が下がった。

凍りつく場。
皆顔がこわばっておりシーンと静まり返っている。
その凍った人の輪の中心で、
私たちは「笑わせる」ためにそこに入るのだった。

とても恐ろしい稽古だった。

あれは何日続いたのだったろうか。
毎日毎日その稽古を続けていくうちに
皆、小賢しく何かを演じてみせる、やってみせる
ということができなくなってきた。
「素」の自分をさらけ出さざるを得なくなった。

そして、それこそが演出家のねらいだったのだ。

そこから雰囲気が変わって行った。
その稽古が終盤に近づいた時、
私たちは一つずつ「赤い鼻」をもらった。

これこそが道化たるものの証であり
道化でなければつけてはいけない
ある種の神聖さを持ったものだった。

つづく

※コメディア・デラルテ
イタリア・ルネッサンスが演劇をプロフェッショナルな一つの芸術形式として見るようになる。コメディア・デラルテと呼ばれる風刺喜劇だ。16世紀、ヴェネツィアのことである。
貴族から平民にいたるまで、あらゆる人間を表現できる演劇表現として、人気を博す。コメディア・デラルテの特徴として、即興芝居を中心とすること、また俳優自身が作家であり演出家でもあるというように、素材を表現する責任を自ら持つことが挙げられる。また、女性が男性と共にステージに上がるようになったことも大きな変化だろう。

※赤い鼻
こういうやつです


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墓地と桜

2023-03-20 | 徒然なるままに
墓参りに行く。
花は白、ピンク、淡い紫のストックと
菜の花を買っていった。
あとはお茶、お菓子、タバコを供える。

近くにある古い薬師堂を拝み、
移動して川沿いの桜の名所に行く。

個体差がありほとんど咲いていない木もあれば
6~7分咲いている木もあった。
川は幅2mほどの用水で、
ウッドデッキの遊歩道がある。
毎年そこで飲んだり食べたりしながら宴を楽しんでいる人たちがいる。
鴨が川の中の石に乗って嘴を羽の中に入れ眠っている。

昨今は毎年ここで桜を見る。
川沿いをぶらぶら歩いていくと
市の緑化センターがあり、開いていたので入る。

この地は昔、桃の栽培が盛んだったそうだ。
今はわずかに梨農家が残るのみである。
久しぶりに桃の花を見た。




温室の中にアフリカやアジアなどの植物が
たくさん育てられている。
ヒスイカズラ、という名の植物が吊るされている。
なんとも美しいライトブルーの花で萼はパープルだった。
原産はフィリピンのルソン島だそうだ。
第二次大戦で日米が激しい戦闘を繰り広げたところだ。




大きな虫を思わせるような蘭を見た。
月夜の晩に東南アジアの熱帯雨林でこの花を見たら
さぞかし恐ろしいだろう、そんな色と形をしていた。
禍ツ神の化身のよう、白雪姫に毒リンゴを食べさせた
継母のような感じがした。



花にもその種によって固有のエネルギーがある。
蘭は機嫌を損ねてはいけないような感じがするのだ。


椿の花ばかり植えてあるゾーンがあった。
椿は日本書紀に記載があり
万葉集にも椿の歌が9種あるとのことだ。
「春の木」だから「椿」ということを初めて知った。
ある種の椿は幾何学の美なのだなとつくづく思う。
カタチというのは宇宙に通ずる何かがあるのだよな。




移動して霊園の桜を見にいった。
ここは里山で川沿いとは気温が違うからか
まだ咲いていない木の方が多かった。
それでも宴会をしている人たちは楽しそうだった。
里山の形状のままに霊園になっているところで
見渡す限り墓である。
そこを通る道沿いにたくさんの桜が植えてある。

ここも毎年必ず訪れるところで
桜と墓場はなんとぴったりな相性なのだろうと思う。
311の後、うちのあたりは計画停電の地域に入り
その後の原発の状況もはっきりとわからぬままだったが
それでも桜は咲いた。

そして友人たちを誘い花見に行った。
桜と墓場を見ながらお弁当を広げた。
東日本がどうなるのかという不安がまだまだ大きい時期で
来年も花見ができるのだろうか?と思っていた。
それは今もずっと変わらない。

桜は毎年咲くだろう。
しかし来年も花見ができるとは限らない。
だから毎年花見に行くのだ。
墓参りの後、身のうちに死と死者を携えながら。

青い空は花の美しさを際立たせる。
花がまた空をより美しく見せる。
このところ自分のうちに巣食っていた無力感や喪失感も
歩いているうちにどうでもよくなってしまったような気がした。

花は時期がきたら咲き、そして散る。
人もまた生まれては死ぬだけだ。
それが自然(じねん)というものだものな。

花はマジカルでシャーマニックだな。
なんと美しい魔法なのだろう。

月夜の晩に、花の下で踊りたい。




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【 観察のススメ 】

2023-02-08 | 徒然なるままに
WSに来る方にはいつも言うのだが
自分自身について
徹底的に観察してみることを
オススメしている。

感情が感じられないとき
感情が噴出して来たとき
嫌な気分になったとき
人との関係でモヤモヤするとき
わけもなく落ち込んだりしたとき
などなど。

方法はとても簡単で、
ただその自分の感情を見る。
あー、ものすごく怒ってるな、とか
ドス黒いなとか、真っ赤だなとか
氷みたいだなとか。

そしてそれに伴って
身体の状態がどうなっているかも同時に観察する。
呼吸も。

感情と身体の状態は密接な関係にあるからだ。
それは観察を続けてみるとよくわかる。

観察は観察なので
それ以上何もしない。
(呼吸が浅くなっていたら深くした方がよい。
そしてそれで身体や感情、感覚がどう変わるかも観察する)

感情の観察の場合
それがいいとかいけないとか
自分に言わない。(ココ重要)

つまりはジャッジしない。
ひたすらただそれを見ていくのだ。

ジャッジしてしまったら
「あー、ジャッジしてるな」とそれもただ見るのだ。

最初は見ることは辛いかもしれない。
他者のせいと思っていても
見ているうちにある種の自分の思考の癖が見えてくる。
大抵嫌な気持ちになる。
それでもそのままに見る。

受け入れなくちゃ、というのもいらない。
何かの理論づけもしない。

しかしこれを続けていくことで
確実に変化していくものがあるのだ。
とにかく積み重ねていくことのみなのだ。

続けていくとどうなるか、
という実験をずっとしている。

それはまた書きます。たぶん。

感情のアップダウンが激しい方
言うことがいつもコロコロ変わってしまう方
体調が不安定な方
飽きっぽい方には
特にオススメします。

写真は久しぶりに訪れた清正井です。

水は鏡だね。

水はいつでも美しい。


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信田さよ子氏の新刊について記事を書いたところ

2021-04-05 | 徒然なるままに
3/9にこの本について書いた個人投稿を
FBにアップしたのに
勝手に削除されていました。
なんだそれ?

これからは
ちゃんと別のところにも記録しておかないと、
と思った次第でこちらにも
しつこく書きますが
明治期、近代国家を目指し軍隊を導入したこと
父権主義/覇権主義/家長制度
というものが
それ以降の家庭内での大きなモデルになっているのではないか、
と私は思っています。
いやなっているのよ。

別々に考えていても何も変わらない、
ではどういう流れなのか?
というあたりに着目して信田さんは書いています。

詳細は書きませんが
とても面白いので
ぜひご一読を。
著者渾身の、という一冊です。

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2020/4/5、思ったこと。

2020-04-06 | 徒然なるままに
東京は本当にヤバくなってきたと感じていますが
他の地域の人も注視してほしい。

東京はある意味、日本の雛型でもある。
東京がどう食い止めていくかが
今後他の都市や地域のモデルになる部分もあると思う。

今は本当に変わり時。
今までのシステムをどう捉え直し、
これからどう考えていく時にするかだよな。
この「時が止まっている」間に
新しい可能性を考える時なのだ。

嵐が去るのを待つだけではすまないと感じている。
原発事故の後ですら
この社会はまた元の道に戻ろうとしたのだから。
今のような時期を
耐える、我慢する、やり過ごす
に加えて

この時にこそ
「新しき地図を描く」
「過去の知恵に学ぶ」
ということが本当に重要と思う。

踊りのときはいつもそうなのだが
通常で流れている時が止まる。
全く別の空間と思いが立ち現れる。
そういうことを今どのくらいの人が
自分で体験できるかなのだと感じる。
そしてそれを「未来の地図」にできるかどうかだ。

芸術の役割は癒しではない。(一部にはあるけれども)
提起していくことだ。

そして芸術性は誰の中にもある。
嵐が去れば元どおりになるのではないのだ、今回こそは。

不安はもちろんあるし苦しいけれども
同時に新しき何かが生まれてくることも
期待している部分がある。

こういう時の不安を
怒りに変えていくことは大いにありで
怒りのエネルギーを
さらにクリエイティブに生み出す方向に
転換していくことが大事なんだよ。

これは芸術家だけの仕事じゃない。
全ての人にとってそうあってほしい。

怒りは(だけじゃないけど)
そのくらい大きなエネルギーだから。

行き場のないエナジーを転換のためのエナジーにして
どう使い、どう生きるか。

(おうちにいてどう楽しめるかを実践している人も多く
それはいいねえ!と思うのだけれど
自分はやっぱりそういうたちじゃないです…)

これからの時代のことに思いを馳せたい。
どういう社会になるといいか、ということを
初心に立ち返って考えたい。

子供のようなまっさらなところから。

今こそ重要なのは「エルダーシップ」と思う。

過去に学び、その知恵を現在に活かせること。
その知恵をそれぞれが思い出すこと。
コミュニティや社会にそれを投げかけること。

そこそこ生きてきた人ならば
誰もが必ず何らかの知恵を持っているはずだから。
(ネイティブアメリカンや古くからの部族の伝統の中に
それはあるよね)

対話し、議論し、さまざまな角度からの試行をし、行動し、
本当に大切なことを考え直し
改めて大きな愛を持つよう意識して務め、
自然との新たな共存の方法を見つけて
(これ一番重要。今は人類が悪性のものとして
地球から排除されようとしているということだからな)
生きていける社会にしたいと心から思っている。


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2020年は学びと旅を

2020-01-02 | 徒然なるままに
あけましておめでとうございます。

内田樹氏が佐藤学著「学校を改革する」から以下の
文章をツイートされていました。

「どんな学びも個人で行われることはない。
個人で行えるのは<練習>と<記憶>だけである。
あらゆる学びは新しい世界との出会いと対話であり、
対象・他者・自己との対話による意味と関係の編み直しであり、
対話と協同によって実現していく」

これを読んでまさに!と深く感じ入りました。

学びというものは
学ぶための場所だけではなく
生活の中にも、人との出会いの中にも
あらゆるところにある。
但し、自分がそういう姿勢を持たなければ
叶わないことなのだと思います。

批判を恐れずに
まずは対話してみること。
そしてお互いのエネルギーを循環させていくこと。
そこから生まれてくるものが
新しき可能性や希望なのではないかと思っています。

インプロビゼーションダンス/舞踏の手法/歩き巫女(芸能と流浪の駆使)
シャーマニズム、アニミズムの思考形態やエッセンス/身体(=内なる自然)
などを通して
これからも
人と人
自然と人が
対話し 学び
エネルギーを交感し
何かが生まれてくる/生み出す
仕組みを考え、試行していきたいと思います。

たかがダンス?
されど
身体及び身体性は
個人と社会を構成する大切な基礎部分ですから。
いにしえの歩き巫女はその技能を生かしつつ各地を旅し、情報を収集したのですから。

学びと旅は
今年も自分のテーマでありますが
それを分かち合える仲間が増えてくればいいなと思っています。

みなさまの2020年が
もっと自由に もっと遊びを持って
新しき希望と可能性の生まれる年でありますよう。

人がもっと自然に歩み寄り、様々な角度からの理解が深まりますように。

今年もよろしくお願い致します。

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言葉とダンス

2019-03-21 | 徒然なるままに


感じたことを語る言葉こそが
詩でありダンスだよね。

さっき見た「ぼくのエリ」も
詩のように美しい映画だった。

どうして人は「意味」に依存するのか。
意味があれば自分が存在していることが肯定できるからか?

感じたことに正しさなんてない。
ただ、どういう言葉を選んで、
感じたこととなるべく乖離させずに
フィットしたものを見つけられるかどうか、だけ。

なんだかそれを恐れている人も多いし、
そういう作業をしてこなかった人も多い。
自分で鍛えないと言葉を失ってしまうよ。
一番大事なところだもの。


身体感覚をできるだけ深く掘り下げていくこと、
言葉以前のものが動きになっていくこと、
それを拾い上げて彫琢することが踊りであると自分は思うが
では言葉の書き手/話し手はどういう作業をする?


祈りのために踊ることは確かに素晴らしい。
しかし、踊ったことそのものが祈りであることの方が
自分にはしっくりとくる。
それは何処かに(どこかはわからないが)
伝わるものだと信じているから。

これを神に捧げよう、
と思うことすら自我で
自我がなくなった時に美しさは立ち現れる。
その美しさそのものが神への捧げ物と感じる。


援助職の人の中には
繊細な感覚を持っている人がたくさんいて
それを自身の芸術的なセンスに活かしたら
もっと楽になるのにな、と思うことがある。
大抵は援助職という役割で自身の立場を作って
保っているような気がする。

表現行為と援助職は相反するものではないと思うし、
むしろその通路が大事。
援助職でできないことを
発散するために表現を行うこととは違う。

 
言葉にできないことを身体でどう表すかを扱う自分に
「それは言葉にできなければダメ」と言ってくれたのは
ベテランのCPだったが彼女はとても説明が下手だった。
しかしそれも含めて本当にありがたく思っている。

言葉にできる/できない/したくない/
したくなくてもしなければならないことなどの層、
いろいろがあることを含みつつ生きなければならない。


不快を表現するのにただ泣くしかない赤子の時代を経て
様々の体験を経て、
表現の方法、言葉と身体がもっと近くなればいい。
感覚と表現が近くなるということだから。
そのバランスをそれぞれに自分のやりやすい形でできるのがいい。
言えないで悔しかったことっていっぱいあるよね、誰しも。


言葉も身体も、いくつになっても
育てていくものだな、と思う。

そして筋力や内蔵力など
生物学的な衰えはあっても
精神と身体はますます自由になることができる。
評価や意見を恐れずに、
そうしようとするならばだが。

それを実感できたのが
今回の舞台であり
もっとそうなっていきたいと思うのであった。


舞台の前に引いたカードはコレで、

後から友人が「進行する脱皮」と名づけてくれた。



なんと美しい言葉だろう。
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江戸アケミさんの記憶〜1979

2019-01-10 | 徒然なるままに


【江戸アケミさんの記憶】


なんだかふと思い出したので
書いてみる。

アケミさんのいたバンド
「じゃがたらお春」
(1979年当時、まだそういう名前だったと思う)
を見たのは
自分の通っていた大学の
池の端でよくライブをやっていた。
ステージはとてもアバンギャルドな雰囲気で
彼は動きまくり叫ぶように歌っていた。

全くもって自由な気風の大学で
門はないし塀はないしニセ学も大勢いて
部室に住んでいる者もいた。

授業が終わってからはよく研究室で飲み会が行われていた。
(私が参加したのは主に岸田秀さんの研究室だったけど)

ある時に校内でバンドをやっている人に誘われ
駒場にあったじゃがたらのスタジオに遊びに行った。
それがアケミさんとの出会いだった。

そしてそこで山本政志監督とも出会った。
(「闇のカーニバル」という映画を準備していた時だと思う。
主役に誘われ、川崎大師にロケハンに行ったことを覚えている。
しかし脱ぐシーンがあると知りやめてしまった。
飯田譲治さんに電話でこっぴどく叱られたのも覚えている)

実家から近かったこともあり
駒場のスタジオには時々遊びに行っていたように思う。
屋上のペントハウスで、アケミさんはそこに住んでいた。

ある時、なぜだか二人で明大前かどこかに飲みに行って
アケミさんが大学構内?かで立ちションをして戻ってきて
こちらに触ろうとしたのかなんだったのか、
「いやだきたない〜」と言ったら
「キョウコちゃん、友達は仲良うせなあかんよ〜」
と言ったのを覚えている。

いつの間にか、
じゃがスタに行くこともなくなり
大学を卒業して
勤めながら貧乏しながら芝居を続け
ある劇団(ロマンチカだけど)にいた時
日根チカが「これ好きなんだ」と言って
聞いていたのがじゃがたらの「それから」だった。

アケミさんはとうに亡くなったけれど
時々懐かしく思い出す。
初期の頃のステージとは全く違って
プライベートでは
繊細で優しい人だった。

優しい人は早く亡くなるのか。

だからまだ私は生きているのか。

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「現在性の身体」であるということ

2018-10-04 | 徒然なるままに


9/16のダンスセラピーWSの記録。

踊っている間は言葉のコミュニケーションのない貴重な時間で、
ただ私だけが頭に浮かんだイメージを言葉にしてゆく。
皆それぞれの世界を感じている。見ている。踊っている。

激しい動きもしていないのに
終わるとお腹が空く。
終わって飲んだり食べたりしながら話す時間が
この日に起こったこと、出てきた動きを
また新たな角度から体験を反芻、増幅させてくれる。

まさに合宿の終わりに奥田さんに引いていただいた
イーチンカードそのものという感じであった。
言葉と身体、他者と新しき部分の幸せな出会いの時間となる。

言葉と身体は紡がれていくべきだ。
思考と身体の分断をなんとか元に戻そうとしていきたいという
自分の長年の試みでもある。
それはなかなかつながらない、と見せられるときもある。
がっくりした気持ちにはなるものの
また淡々と続けていく。
それがこの20何年、やっていることだ。

誰がどんな人で何をやっているかなどは関係なく
ただまっさらに動きたい身体と身体がそこにあって、
誰かが誰かに掛けた言葉も自分の身に響いたりする。

大人になってしまっているからこそ、
こういう場がとても大切なものと思うし
いつまでも大切にしていきたい。

初めての人も久しぶりの人も共に穏やかに過ごせる時空間を。
あなたが感じて抱えてきたものはもう過去のものだよ、
と身体が教えてくれる。
後生大事に思い込みを抱え込み、
それにしがみついている時
現在性の身体はあっという間に消えてしまう。


今を生き、少しでも動けることの嬉しさ。
どんな不具合があろうとも。
過去でもない未来でもない、今この時を生きるということ。
それで充分じゃないか。
不自由だろうが、病を抱えていようが
その瞬間には
どうでもいいことになるのだ。

身体的な痛みを抱えてきた人もそれが消えるという時がある。
その痛みは何に由来しているものなのだろう。
本当はそれも身体の深いところは知っている。
しかし自我はそれを知り得ない。
不安と痛みには相乗効果がある場合がある。
不安とは現在にいないことだ。
自我以外の内なる部分を垣間見てしまうことも
不安の原因の一つだろう。

大野一雄さんは車椅子に乗るようになってからも踊っていた。
黒沢美香さんはがんの骨転移の痛みを抱えながら踊っていた。
「踊っている時は痛くないのよ」
とおっしゃっていたことを思い出す。
(主治医が一緒だったのだ)


多分わたしも踊り続けるであろう。
いや、踊りたい。
どこであっても何があっても。
今以上に身体は衰えていくし
動かない箇所が増えてくるのも当然のことだが
ただ自分にできうることをしたい。
一人でも多くの人を踊りに誘いたい。

誰しも
先のことなんて何もわからない。
明日の命があるのかもわからない。

ただ、踊りの誘うままに行けるところまで。

次回は10/27(土)13:30~16:30 溝の口にて。

それぞれの身体のうちにすでに踊りはあるので
その踊りを引き出す仕掛けはいろいろ。
踊りたい身体を持つ方なら、
幾つであろうと不自由を感じていようとどなたさまも歓迎です。

身体だからこそわかることがたくさんあります。
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