劇作家が演出して、自ら演じる。少人数の作品。その作家(あるいは演出家)が持っている世界観が、ぎゅっと凝縮されているもの。そういう作品を、もっと見たい。舞台を見に行くということは、それが演劇であれ、ダンスであれ、歌であれ、その「世界観」を感じることだから。
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さまざまなものが「消費」されていくことに、本当に我慢がならない。
羊屋白玉の、「断食芸人」は何度も見てみたい。きっと長年見て来てその都度感じてきたことがちょっと形になりそうな感じがして。とりあえず、来週上演ならまた見てみたいくらい。
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「断食芸人」はカフカをベースにしているけれど、「断食」と「拒食」がどう違って、どう同じなのか。同じ部分もある、と深いところでは感じている。喉元まで出かかって来ているような感じがあるのだ。
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断食と拒食に思いを馳せていたら、TLには食べ物の栄養についてとか、鹿を狩って食べるWSとか、パンケーキの甘さとか、ベクレているサカナの数値とかが表示されて来る。面白いなあ。
下北沢の自自然食屋「ぐ」には、「静かなごはん」というネーミングの定食があった。あそこで玄米を初めて食べたのだと思う。もう30年くらい前、芝居の稽古の後によく行っていた。友達は、あそこで結婚パーティーをした。「ぐ」はまだあるのかな?
今のわたしの「静かなごはん」は、玄米粥とか、刺身蒟蒻とか、おからとか、豆腐とか胡麻豆腐とかかな。
それにしても「静かなごはん」というネーミング。すごいな、と思う。
植物由来のものを食べていると、即効性はないがしぶとくその効果を発揮してくれるような気がする。肉はドガン!とそのときに即効性のあるチカラを発揮してくれるような気が。
そして※は、ジャポニカ米はやはり粘り気。あの湿度とゆえの粘り気は、やはりジャポニカ米を食べている民族の粘り気でもある気がする。インディカ米を食べいている東南アジアの国とは、何かが違うもの。
ざっくりした言い方になるが、温度、湿度と気候の影響はその民族の食べるものや食べ方に関わっているし、ひいてはあり方や民族性、文化に大きな影響を及ぼしているのよね。
指輪ホテルとロマンチカの違いも、さまざまな意味で面白い。両方、関わった身としては。
大昔、食べ吐きをしていたしていた友人と、ときどき食事に行く。ちょっと贅沢な、おいしいものを食べにいく。その友人はおいしいものをよく知っている。そして、自らの仕事にとても貪欲だ。集中すると、浸食を忘れるのだろうと思う。
バランスよく生きるのがいい、と言われている世の中ではあるが、バランスがいいことを意識したい、しないといかんと思っているひとは「情報的/消費的」に生きているのかもしれない。このサプリがいいとか、この食品がいいとか。情報の消費。「情報」を食べて生きている。
食べたいものを身体に聞いてみることと、排便の具合で、何が必要なのかはたいていわかるはずだけどな。でも、脳が「欲望」を暴走させているね。欲望に支配されると自分が何を欲しているか分からなくなる。
@YUBIWAHotel ああ、いいですね。ぜひ。うちは亡き父が狩猟をしていたので、鹿を狩り、それをうちでさばいて食べていました。でも、きとんとした儀式や方法があると思っています。ぜひ、知りたいです。
江古田のイスラエル料理屋のフムスはとてもおいしかった。ひよこ豆なので、ベースはとても優しい味なのだが、使われているスパイスが、何かを喚起して、食べ続けてしまう。日本の料理にもみょうがとか、紫蘇とか、胡麻とかはあるけれど。本当に質の違ったものだなあ、と思う。
紫蘇、茗荷、胡麻など
日本のハーブには、シャープさはあっても猛々しさはない、という感じ。
(ニンニクは外来ですよね?)
漬け物を食べ過ぎて授乳したら、赤ちゃんのうんちが緑だった、という話を聞いたことがある。われわれも、緑のものを一杯食べると、排泄時に緑の匂いがするよね。肉が多いと腐敗臭多いし。なんか、そういう生理的なことはいちばん嫌われているかもしれないが、基本だよな。
消費的に生活している人とか、生き急いでいる人とか、だいたいご飯食べるペースが早いんだよね。自分もそうだった。もうやめた。勿論、忙しいときにはそうなるのだが。それで、今の自分の状態を知らされる感じ。
@fukupolepole2 そうですね。うんこというか、腸の内容物も栄養として摂る、というのがそこの文化にはあるのではないかと思います。石毛直道さん、知らなかったので調べてみます。
@fukupolepole2 今も読んでいますが、あの漫画の基本は変わらず。そしてあの台詞も、その通り!ですね。腸は第2の脳だそうですし。お腹が不安だと、下痢したり便秘したり。分かりやすく伝えてくれていますね。