原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

【 遺書と遺言 】  ー 坂本龍一/おおたか静流/宮崎駿 ー

2023-08-30 | 生と死を考える

今年の1月の寒い夜のこと。

自室にいたらリビングのテレビから
かすかにピアノの音が聴こえてきた。

かすかなのに入ってくる。
通常、テレビでは流れないようなその音に
なぜだかはっとして見に行った。

坂本龍一だった。

その番組のためにスタジオで演奏していた。

聴こえてきたのは2曲めの「tong poo」だった。

当時、YMOは何度も聞いてきたし
坂本龍一のソロアルバムも何枚も聴いてきた。
特に「async」と「plancton」は今も繰り返し聴いているし
自分の稽古の時にもよく使っている。
(調べてみるとこの2枚は彼が咽頭がんを患った2014年の後に
制作されたものだった。それを知るとなるほどな、と思う)

しかしその時の「tong poo」は
今まで聴いた坂本龍一の音とは明らかに何かが違った。
言葉では言えない。
けれど、その音が静かな強さを持って
胸のチャクラに細い糸のように刺さってきたのだ。

胸のチャクラに音がダイレクトに響いてくる経験は
2回目だった。

ゴスペルの先生が組んでいたグループの歌で
ソプラノ担当のヴォーカリストの声が
客席で見ていた自分の胸に響いてきたのだ。
とてもびっくりした。
こういう体験があるのか、と思った。

乳がんの手術をしたあと、
そう時間が経っていない時だったと記憶している。
綺麗な、細いけれどぴんとした響きがまっすぐにやってきたのだ。


ー坂本龍一のその番組では
過去の曲をいくつか、
そして遺作となったアルバム「12」から1曲を演奏した。

聴きながらふと
ああもうこの人はこの世界にいるのは長くない
そしてあちらとこちらを音を通して行き来しているのだな、
と思った。

そのくらい何の乱れも汚れもない、
繊細でありのままでまっすぐで邪気のない音だったのだ。

他でもない我が身が 死を目前にすると
大抵は不安と恐怖でいっぱいになるのでは、と思う。

しかしある時期を超えると
人によってはそれを己のうちに受け入れることもある。

死と向き合うことで
それまで自分と思っていたものの中身が変質していく。
(それはわたしも経験した)

おそらく彼はそういうプロセスを経たのではないだろうか。
と思ったのだ。
最期のアルバム「12」を聴いてその感を一層強くした。

おおたか静流の最期のアルバム「おとづれ」を聴いた時にも
その声の繊細な強さとアルバムの完成度に胸を衝かれた。

もともと大変に素晴らしき歌い手だが、
魂に響くような声だったのだ。
おおたかさんは2022/9に他界されたが
前年だったか、ショーロクラブのコンサートのお手伝いに行った時、
客席で聴いた歌とはまた全く違う声の印象だった。
(もちろんレコーディングされたものとライブとは違うという前提はある。
そしてレコーディングのミュージシャンたちの層の厚さと素晴らしさも)

最期の仕事。最期の作品。
お二方どちらのアルバムも
感傷で聴いてはいない。

生と死の境界線に立っている人の表現の
次元を超えたところから響いて来る音が
ダイレクトに生身のわたしの胸に入ってきた、という体験だったのだ。

これは芸術家の「遺書」だなと感じた。

そして先日。
宮崎駿の「君たちはどう生きるか」を見てきた。
それまで見たどの宮崎監督作品よりも散漫な印象を受けた。

言いたいことや伝えたいことがたくさん沢山あって
それをうまいことまとめようとせずに
ニヤリとしながら散らかしたままにした、という感じ。

そして
俺ほんとはこれ言いたかったんだよ、
こういうことほんとは思ってたんだよみたいな
自分に向けての手紙のような。

その感じがとてもいいな、と思う。

沢山のボールを観客に向けて投げているけれど
どれを受け取るかはひとそれぞれだが、
今までと違って狙っていない感じがいいのだ。

火によって死に、火によって再生する
火の精霊たる「母」よ!あれがとても好きだった。
ふふ、と笑ってしまった。

この作品を見たあと、
ああこれは遺言だな、と感じた。

遺言はまだ気力と体力のあるうちに書くもの、と
わたしは認識している。


「生と死」は
自分にとっては子供の頃から現在に到るまでの
最大のテーマであるが
この素晴らしきアーティストたちは
それぞれの「生きてきたプロセスと培われてきた技術と方法」で
それぞれの「生と死」を提示してくれた気がする。

ひとつのものだものね。

死の後には再生がやってくる。

それがいつなのかは楽しみとしましょう。

生きているうちにこのような美しき作品に出会えたことに感謝、
そして永遠なれ!
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予感/予兆/サイコマジック

2021-09-07 | 生と死を考える
コロナ禍以降、
日常の中での死というものが大きくフォーカスされてきた。

本来死はそのようなものだった。
亡父は内科医だったが、
私が子供の頃は
往診から帰って来た時
玄関先で「塩!」と言われ
塩を撒いたことが何回もあったし
往診先での看取りや入院先で亡くなった患者さんの話を
よく母にしていたことなどを記憶している。

その頃までは
死は隠蔽されるものではなく
生活の中にあった。

診療所兼自宅で
私が当時使っていた三畳間も
昔入院していた少年がいたりと(亡くなったらしかった)
医療と日常生活の境目のない環境で育ったので
余計にそう感じる機会が多かったとは思う。

しかし
核家族化、団地やマンションが増え
地域の共同体が希薄になっていくにつれ
死というものが
地域の中でも見えなくなり、隠蔽されるようになった。

今回のコロナ禍で
死というものを
社会の中でもう一度捉え直す機会になるかと思いきや
恐れ、不安におののき、いかにして排除していくか
という方向にしか行っていないことが残念でならない。

映画監督であり詩人、作家、タロットカードまで作ってしまう
鬼才アレハンドロ・ホドロフスキーの
「サイコ・マジック」という著作に
以下のような文がある。

人生は心静かに死ぬのを学ぶことだ。
「死を遊ぶこと」と中国人は言っていた。
だが死ぬとはある過程に入ることだ。
ゆっくりと子供時代から思春期に入っていく時のように
――体毛に、ホルモンに……
変化としてそれを生きるんだ。
人生を先に進んでいくと老年が現れ出すが、それも別の時期だ。
毛は白く、歯は黄色くなってゆく。
老年に入るまいと闘うなら、不安をもって老いることになる。
思春期に入るまいと闘うなら、トラウマが残る。
ある瞬間に私たち全員は死の過程に入るが、
それは先行する他の変化とまさしく同じように生きることができるし、
生きなければならない。

******引用終わり

このところ再び病と老いと死についてぼんやりと考えることが多いのだが
人間はつまるところ
そのプロセスをいかに注意深く観察し
それの全てから目を逸らさずに
そこそのものを生きていくことしかないのではないか、
と常々思っているので
この文章には大いに共感するところがあった。

死が我々を迎えにくるまで
それを体験し尽くしていくこと。
老いも病もそのプロセスの一つである。

大抵の人は
自分に死が訪れるとは思っていない。
思っているとしても大抵の場合は
それは「恐れ」にしか過ぎず、
死そのもののことではない。

死というものがリアリティを持って立ち上がってくるのは
近親者や大切な存在が亡くなった時ではあるが
それは喪失感や後悔ということにフォーカスされることが多い。
そこまで見ようとしてこなかったものや
置き去りにしてきたことなどが
死というもののあらゆる層から
自分の周りを取り巻いてくる、という感じが自分の場合もあった。
これはとても大事な時期でもある。
死者から宿題をもらうようなことでもある。

しかしこれも自分自身の死、というものを考える時とはまた少し違う。

自分ががんになった時に
なんとも象徴的な夢を二つ見た。

一つは
電車の窓から外を見ていると
大きな太陽が日食になっている。
見る見るうちにそのプロセスが進行して
皆既日食となり、太陽が大きな黒い丸になったこと。
そしてもう一つは
PCを使っていると
OSがダウンして画面が白から黒に変わるというもの。
あ、ヴァージョンアップだ。となぜかその時に思った。

夢のお告げの通り、その後には自分の暗黒(ブランクでもある)
の時代が始まった。

本来人間の身体の中では
細胞レベルで毎日小さな死と再生が繰り返されているが
当時は「生と死が同時に身体の中に同居している」、と感じたものだった。

そしてこの頃は
そのほかにも今までになかった不思議な感応がたくさん起きた。
日常にいながら変性意識状態が頻発していたからだろう。
今思い起こしてもとても大変な時期だった。
まさに精神的にも死と再生、
全ての組み直しのような時期だったと思う。

このところ
大きな病や治療に向かう友人が多いので
色々思い出したということもあるが
昨年の冬至からシャーマニズムを改めて学び直し始めたということもあり
再び自分の内側が再編成される時期なのかもしれない、
という予感がしている。
決して楽ではないだろうが、
以前とはまた違ったフェイズで。

しかしまたそのプロセスを
さらに繊細に観察し
その向こうを感じながら進むのだろう。
恐ろしいながらもちょっと楽しみな感もある。

以前、WSに参加してくださった方が
(わたしのWSは)サイコマジックですね、と言っていたことがあった。
自分でもそう思う。(この予告編ほどは激しくないが)

ダンス、舞踏、身体の作業に加えて
カードやシャーマニズムの手法など
その場やその方にとって必要と思うことは全て使っていくから。
アートとセラピーで言えば、
やはりわたしの行っていることはアート寄りである。
というより元々アートは治療的な力を持っているよね。
その二つは分かちがたい。



ホドロフスキーの映画「サイコ・マジック」は
素晴らしい作品ですので未見の方はぜひ。





















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がんになった時に感じたこと、行なったこと〜魂への旅路として

2021-08-26 | 生と死を考える
このところ 大きな病になり 投薬治療をしたり手術をしたりという方が
自分の身の回りで増えているので
(コロナ関連ではない。)
思ったことをつらつら書いていきます。

私事ですが
2006年初夏に父の末期がん(肺)が発見され
いろいろな治療をしたものの暮れに他界した。
翌年春に実家売却のため片付けをして
やっと一段落したのち 2007年5月に検診に行き
自分の乳がんが見つかった。

区の検診で「怪しい」と言われ
乳がん専門のクリニックで再検診をし そこで告知を受けた。
そのDr.が「厄払いと思って取っちゃいましょう」 と言ったことを
帰りに友達に電話して話したことを 覚えている。
今思うと呆然としていた。


これは手術が必要なことと思い
住まいから通えそうな範囲で いろいろな病院を調べた。
もちろん、その専門医がいるところで。
(内科でも外科でも精神科でも
具合が悪い状態でも通える範囲、というのがとても大事です)

そして病院を探してここならいいかな、 というところを見つけて受診。
クリニックからの紹介状はあったものの 初心は長時間待ちで
診察を受けたのはもう夜だった。 (主治医、大変だったね…)

…とここまではツイッターで書いたのですが
自分のストーリーが長くなりそうなので端折ります。

半年ほどの間に、インプラントを入れる術式を含め
手術を3回しました。
もちろんその度に入院です。

大胸筋を筋膜から剥がし、
筋肉と筋膜の間にインプラントを入れる手術も
含まれていたので
術後の痛みとリハビリはかなり時間がかかりました。

幸い、その時点での転移はなかったのですが
ホルモン分泌を止めるための投薬と月1の注射で
筋力や体力の低下だけでなく
頭痛、極端な冷え、ひどい抑うつなど
様々な症状が出現し
かなりきつい状態となりました。
がんを摘出してもらったのに
気づいたら「死にたい」と思っていたのです。
カーテンを開けるのも辛く、
ベッドから出られない日が続きました。


病の辛さというのは
突然のようにやってきて、色々決めていかねばならないこと
どうなっていくのか未来が見えないこと
術後のダメージの予測ができないこと
ということが大きいのです。

そして難病やがんの場合は
治るためのあらゆる手立てと
死に至るかもしれないのでその準備をすることと
両方を考えなければならない、ということがあります。

術後、ある程度経過してくると再発の不安も出てきました。
その頃、周りでもがん告知をされた同世代が何人かいて
彼らは他界していきました。それもつらかった。

しかし
告知されてから一つだけ決めたことは
自分の中からどんな感情が出てきてもそれを味わいつくす
(見ないふりをしない/ごまかさない)
ということでしたが、
それは同時にそれまでの自分自身の振り返りにつながりました。

病になった時、というのは棚卸しの時期です。
どなたにとっても。
来し方行く末を思わざるを得ない時なのです。

それまで働いてきてくれた自分の身体への感謝の時間を
毎晩のように持ちました。(お風呂で!)
お風呂ですと
自分の身体に直に触れることができること、
誰の邪魔も入らないという点がベストなのです。

ホ・オポノポノを意識していたわけではありませんでしたが
それは同時に今までのことを身体に謝ることでもありました。
仕事に全てのエネルギーを注ぎ、
かなり無理してきたことも深く感じました。

様々な気持ちが入り乱れ
言葉にならない思いが浮かび上がり
それはいつも涙という形で表出されました。
あんなに泣いた時期は生まれて初めて、でした。

前年に父の死も体験していたけれど
それとは全く違うリアリティを持って
「自分の死」というものが立ち上がってきました。
なんとも言葉にしがたい時間の中、
自分の中の様々なものが死んでいきました。

苦しく辛い時でしたが
この時をしっかりと経過したことが本当によかったと思っています。
(今はまたそろそろ更なるステップを昇るための何かがやってきそうですが…)
がんという病を体験したおかげで
気づかなかったことが目に見え、感じられるようになったこと。
それに対してさまざまなことに本当に感謝の気持ちが溢れてきました。

ここを経過して今の自分がある、と思っています。
そして「死」はいつでも「生」の隣にあるものと感じています。
それが当たり前なのだと。
その深さは年々身に沁みています。

現在病の淵にある方、
特に手術を控えている場合は
術後の時間を
「今まで生きてきた時間軸」ではなく
今までになく「時間を忘れる」時になるといいなと思います。
病の養生には
焦りや思い煩うことを極力排し、
ゆったりとしたときが一番必要なことですから。

大きな地球や宇宙の時間の中で
全ての生き物は死と再生のサイクルを生きているということ。

人間として生まれるということは
様々な感情、経験を含め
それらを「生きる」ことが今生での「学び」ということ。
好きなことや大切なことがよりはっきりとわかってくる時でもあります。

「病はギフト」、という言葉を
がん以来お世話になっているあるDr.からいただきましたが
ギフトにできるかどうかはご自身の内側の経過次第と思います。

辛さや痛みも
ご自身の生が豊かな彩りを持っていることに
再び気づくためのステップになることを
心からお祈りしています。

病というのは魂にたどり着くための旅です。
癒える病も、死の淵にある病も。

どうか、どなたも良い旅を。










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象徴的な死の記録〜2008/11のこと

2017-09-24 | 生と死を考える



この10年ほどの自分の振り返り作業をしている。
2006年 実家売却に伴う片付け作業をしている間に父をがんで亡くし、
2007年は春の検査で自分にがんが見つかり、
10月に最初の手術を受けるまで(形成も含めて3回の手術となった)
大いに心が揺れ、様々なことを考えた。

仕事の仕方、家族との関係、
そして何よりも自分自身のあり方を見直す時期であった。
術後の投薬治療も「真綿で首を絞められるような苦しさ」であり
深い抑うつ状態になった。
冷え、体力の低下、抑うつ、不安定な体調がなんとか回復してきたなと思ったのは
それから3年ほど後であったと思う。

この記録は最初の手術の翌年の秋。
あるWSを受けた時のものである。
自分のために書いたもので、人が読んでも面白くもないと思うが
ここに載せておこうとふと思った。

この中のイメージでも出てくるが
「赤い土の大地」は
夢や瞑想でもなんども出てくるもので、
どうやらそれは現在のアメリカ大陸らしい、ということが後からわかった。
(自分の過去世がネイティブアメリカンだったことは何人かから指摘され、誘導瞑想でも見たことがあった)

身体に浮かび上がる感覚と浮かんでくるビジュアルイメージが
先導者であり、どこに行き着くのか
何を求めているのかも、自分ではさっぱりわからず一切のコントロールもしなかった。
その流れに乗れたこと、このセッションで「死」を体験できたことが
その後、自分の意識を大きく変えてくれたように思う。
思い返してもいい体験だった。
シッターの方がそれに自然に寄り添ってくれていたことに改めて感謝。


病を得ての何年間か、複数の良き治療者にも出会うことができた。(単に医学的な意味ではない)
さまざまなところでそれまでにない大きな体験をした。
これは病に抗わずにいたのが大きいのだろう。
受け入れる、ということの難しさとその恩寵と。

人の不正直さに敏感になり、嘘があるところとは距離を置くようになった。
それは変わらない。

今もその頃にできた流れに乗っている。
どこへ流れて行くのかはわからないけれど。


(写真は先日の長野行きで偶然に辿り着いた広場。彼岸でも此岸でもない、中有のような不思議な空間であった。)

******************


土日と、バイオシンセシスをベースとしたWSへ。
テーマは「赦し」。
説明、シェアともにかなり長い時間。
最初の日、ある女性とペアを組む。

初日は彼女のワークのシッターをやる。
かなり防衛があり、言語化が難しいようだったが
こちらから出す言葉を慎重に選び(仕事モードが入る)
少しずつゆるんできて、IC出現。5歳の自分だそう。
ハッピーエンドで終わる。
不安感、恐怖心の強い女性だったので無事に終われてよかった。
って、自分のクライアントじゃないけど。
帰り、かなりの身体的疲労感。

ある店での会話の際にエンジェルカードを引いてみると、
「美」のカード。
その時にビジネスの話をしていたので、
私の仕事に「美」に関わる要素のことを入れてもいいんだよな…
とふと思う。

翌日、なんとか起きて行く。
ペアの相手への心許なさもあり、眠気もあり、やる気はあまりなかったけれど
とりあえず間に合う。これもラッキー。
導入のワークは30分。あいかわらず粗いが、自分でも身体をほぐしつつ。

午前中に自分のワーク。1時間半。
「赦し」というテーマを聞いたときに
やるとしたらお金のワークかな、と思い、
そのときに出てきたイメージが、
シルクハットをかぶり、三角の眼鏡、ピンとした髭をはやした
魔術師?のようなオトコの、漫画像。

最初は身体感覚から入り、
身体症状にフォーカスし、それを深く見ていき、
相手の言い分を聞く、という構造のワーク。

横になり、
体全体を意識する。

足首に、何かが巻付いているような
いつもと違う感じ。

手のようなもの。
黒っぽいが嫌な感じではない。
じっとそれを感じていると、
足の裏から強くエネルギーが出てきた感じ。
足の裏にスリットができ、
そこから噴き出している。
これは「飛ぶ」ためのものかな、とふと思う。
足裏の下に、円く白いエネルギーボールができている。
足首に巻付いているものも、
ギリシャ時代のようなサンダルを履いていて、
その革ひものような感じに変わっている。

気づくと、手のひらの内側にもエネルギーボール。
誰かにこれを分かち合いたい気持ちになり、
シッターに正面から受けてもらう。
1回目、ベールをかぶせるような感じ。
2、3回目。手のひらの状態が変わり、
きらきらした星屑のようなものが出る。
彼女もそれを見事に言い当ててくれる。
そして「とてもいいエネルギーをもらった感じがする」と言ってくれる。
(以前よりエネルギーが強くなっているのを自分でも感じたけれど、
シッターさんが言い当てたのにもビックリ)

手のひらと足の裏から出ているエネルギーは、
胸の辺りでxのカタチにクロスしていて
それが手足それぞれから流れ出ていることを感じる。
そしてそれはぐんぐん外にまで伸びて行っている。
『ああ、私はとても自由なんだ!』と思う。
そこでお金のことも含め、
こだわらずにこのエネルギーを生きればいい、とふと思う。
すべてがそれでOKなのだ、と感じる。
(このクロスのカタチは以前、江ノ島で雲の写真を撮ったときにも
出てきたのと同じ。JUJUさんは『次元の交差』と言っていた。
そして、クロスポイントはやはり胸のチャクラなのだ)

そして
身体が軽くなってきて
浮いている感じがある。
目の前に雲が見える。
空に浮いているらしい。
どうなるのかな、と思っていると
宇宙が見える。
宇宙の中に浮かんでいるらしい。
藍色の空間の中にたくさんの星が見える。
そして、はるか下方に地球があり、
そこから3本のくっきりとした白い光が伸びていて
私の背骨3カ所に入っているのが分かる。
(胸、腰、尾てい骨あたり)
(放射状であること、3本ということに意味があるように思う)

ああ、私は地球からエネルギーをもらっているんだな…と思う。
すると大地のことが思い起こされ、
目の前にアフリカのような、赤い土の、地平線の見える土地が見える。

そして声を出したくなり、声を出す。
何度も。
出す声により、身体に響く場所が変わる。
そしてその響きそのものが「癒し」であることを感じる。
(ワークをしていて、こんなふうに自然に声を出したくなったことは初めて)

それが終わると何も出てこない。
「無」になった、と感じる。
「無」の状態を味わう。
からっぽで、とても気持がいい。
そこにいるだけ、である。

しばらくそれを味わっていたら
なんだか手足が重くなってきて
「老衰かなにかでもう動けないおばあさん」のようだと感じる。
手足がだるい。重い。ぴくりとも動かせない。
父が抗がん剤をかけていたとき、これのもっとひどい状態だったろうな、と思う。

シッターに頼んで、チョコレートを小さくして食べさせてもらう。
どこももう動かないが、チョコが溶けて行き、食道を流れて行くのを感じる。
二つ食べる。
感じていた空腹感はもうない。呼吸も浅い。

手足がだるいので、シッターにお願いして
いろいろなことろ、そして
手を取ってもらい、
好きにさすったり撫でたりしてもらう。
手つきはおぼつかない感じだが、
一生懸命してくれているのを感じる。
(父も抗がん剤をかけていた時期は、
これのもっとひどい状態だったな、と思う。
身の置き所のないだるさ、苦しさ。
そして行くたびに私は身体をさすり、
それで父がやっとすやすや寝入ることも多かった。
Yさんから聞いた話では、
夜、一人でいると怖くなって眠れないこともしばしばで、
彼女についていてもらったらしい。
おそらく死への恐怖が強かったのだと思う)


体位を変換してもらう。
横向きにしてもらい、そのままそれをじっと味わう。
何の感情も起こらず、その身体を味わう。
何の感情も起こらず、その身体を味わう。
(高齢者が寝付いたりしていると無表情になっていることがあるが
実は自分の身体の状態や近づきつつあることを感じているのでは、とこのとき思う)

自分で仰臥位に戻る。

「もうそろそろ死ぬので最期にお水を飲ませて下さい」とシッターに頼む。
少し動揺した気配が感じられる。
が、水をとりに行ってくれ、「どうしたらいいですか?」と言うので
「アタマと上半身を起こして下さい」と頼み、
紙コップの水を飲ませてもらう。2回。

そして「もう死にます。
最期のお別れをしてくれる?」とお願いして死ぬ。

シッターは、私の身体に触れたりしていたが、腰の辺りに抱きつき
ずっと洟を啜っている。悲しみのエネルギーが伝わってくるが、
ああ、ちゃんとお別れをしてくれているんだ、と少し嬉しい気持になる。

そこで思わず声が出て笑ってしまう。
そして、おそらく、え?と思ったであろうシッターに
「あのね、死んだらとても楽なの!」と伝える。
なんだか私はとても嬉しくてたまらないような気持になる。
(つまり自由だということだ、これも!)

そして「柩に入れて下さい」と言う。
手も組ませてくれ、足先もそろえてくれる。
あるべきカタチになった、という感覚がある。
そして「お花を入れて下さい」と頼む。
『白い薔薇、チューリップ。」などと言いながら、
彼女がお花をたくさん入れてくれる。
自分の周りをお花で飾ってもらうのは嬉しいものだなあ、と思う。
(入れる側の時は悲しみに暮れているだけだけど、
入れてもらう側の体験が新鮮!)

柩のふたを閉じてもらい
そして焼かれる。
ふたの裏を走る火が見える。そこで途切れ、
また無になり、灰になっている。

ほどなくして、灰の中から、新しい自分が動き出す。
わずかに身体が動いて行く。
手の先や、足先が動いて行く。
全身に動きが広がり、
うつぶせにまるい姿勢になる。
背中が動き出す。肩甲骨の辺りがもぞもぞし、
腕が動いて行く。
翼のように。
そし背中が立ち上がり、翼を開いて行く。
(あとからシッターさんが
『とても大きな翼でしたね。きれいな動きでした』と言ってくれる)

以上。

終わって、シッターと話す。

彼女のお母さんが亡くなったとき、
彼女はまだ自分のことで精一杯で、
お母さんのケアを充分にすることができなかった、
そしてそれを後悔していたので
今回それができたような感じがしたということと、
「死ぬと楽」という言葉を聞いて
とても気が楽になった、とのこと。
そしてシッター役がうまくできるか不安だったので、
出かけるときに「後ろの人に一生懸命お祈りしてきました」と言ってくれたのを聞き、
嬉しい気持になる。

途中から、自分のためだけでなく、
彼女も巻き込むワークになるな、という気がしていたが
象徴的な死がこんなふうに彼女の中とつながっていたのか、と思う。
そして私の感覚に非常にシンクロしていたのを感じていた。
とても感応力の強い女性だった。

帰る準備をしていたとき、
隣のチームの女性が
「これ、落としていませんか?」とカード2枚を手渡してくれる。
カードをしまうときにこぼれたらしい。
ありがとう、と受け取ると
「光」と「恩寵」のカードだった。
ああ、まさに今回のギフトだったんだな、と思う。
そしてその彼女は私の話し声を聞いて
「話しているのに歌っているみたいに聞こえる」と言ってくれた。
(そのチームの片割れは、私がペアの女性にalwaysを聞かせていたら
知ってる!と言い、カードをみつけてくれた女性もVOJAのWSに出たことがある、
と言っていた。ふたりとも別にゴスペラーじゃないのに)

カードの解説:
「光」あらゆる生命の本質は光です。暗闇を明るく輝かせる力はあなたの中に、
いつも、いつまでも。

「恩寵」現実は恩寵です。感謝して受け入れ、嬉々として関われば
見事な計らいとなって現われ続けるでしょう。
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祈りと決意〜Aleppo、冬至、浄化、ダンス

2016-12-17 | 生と死を考える




先日岡山でのライブパフォーマンスを共にした
磐樹炙弦 Bangi V. Abdul ‏氏の提案で、
本日21時より30分、
シリア・アレッポへの祈りの儀式を行いました。

傷ついた街にも人にも動物にも
大いなる存在の大いなる愛が
降り注ぎ、
包んでくれますように。
亡くなった方の魂が
大いなる存在に包まれて
安らかになりますように。

明日のWSでも
この一年をそれぞれが振り返り
来年に向けて
新たなる決意のもとに
準備する日になることを考えています。

言葉にしなくても
もう必要のないものを振り捨てて、

新しいエネルギーを受け入れる身体に。
身体ごと、決意をすればいい。
それを踊ればいい。

明日はそんな感じで進めて参ります。
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カラスの死に遭遇したこと

2016-08-11 | 生と死を考える


合宿直前、8/2の出来事でした。






先週末より久しぶりの8度越えの熱発、
そして以前手術した患側に痛みが出現。
大切な合宿前になんということか、
と最初は思ったけれど
いやそういう時期だからこその意味があるなと思い
とある方の元に身体からのメッセージを受け取りに行った。


帰り道、
公園の脇を歩いていると
車道に何か黒いものが落ちていて車が避けて走っている。
近づいてみるとカラスだった。
そこにいた小学生に聞くと
電線に触れて感電して落ちたらしい。

車道から拾い上げてみたがぐったりして
くちばしから血を流している。

が、まだ身体は暖かかったので
そこにいた親子連れに近所に動物病院の場所を訊き
そちらに向かった。

親子連れの子どもの方が、
お母さんが付いて行ってあげなさい、と言ったとのことで
道案内してくれた。
自分には土地勘もない不慣れな土地なので助かった。

目指す病院にたどり着くと
「うちは鳥はやっていません」と断られ
近所ですとここです、と小鳥などを扱う動物病院の地図をくれた。
途中、Dr.らしき人が出てきたので
「拍動があるかどうか確かめてもらえませんか」と尋ねると
鳥は全くわからないので、と手も出さなかった。

もらった地図を頼りに歩き出す。
左手にはカラスの身体が載っている。
時々、胸の辺りを触るとまだ暖かいが
感じる拍動が自分の指のものか
カラスのものかはっきりしないので
そのまま歩いた。

近くから「小鳥の病院」に電話をした。
すると「野鳥は扱っていない」という。
野鳥保護センターなら…と先方は言いかけて
「カラスは害獣扱いですので飼育するのでなければ
連れて行っても殺されてしまうかもしれません」
と言う。
盥回しの挙句にこれかよ!と悔しさでいっぱいになり
半泣きな気持ちで商店街を歩いた。

花屋で花を買った。
そして袋をもらってカラスをそこに入れて
また歩いた。
悲しかった。


元の、カラスが落ちていた場所の近くに
公園があり、多くの木がある。
おそらくそこが住処だったと思い
そこに連れて行った。
人目につかない木の下に横たえ
百合の花を供えた。

やはりカラスはもう動かなかった。
まだ若い感じのカラスだった。
また綺麗なカラスに生まれ変わってね、と祈った。


カラスは都会にたくさんいるけれど
その死の姿はほとんど見せない。
そういう意味でもとても稀有なことが起きたのだと感じ。
見せてくれた意味を深く思索した。

弔う際に、一本羽を頂いてきた。
今日はその羽を水で洗い
エタノールで消毒し、
セージで清めた後に
ペルーのシャーマンが使うらしい香油で
いい香りに仕上げました。


カラちゃんも女神山に同行します。
みなさまよろしく。
わたしの肩や頭に止まっていたら
笑いながら教えて下さい。


(なんて書いていたらやっぱり…)
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大阪WSの感想 その3〜生と死を考える

2016-06-25 | 生と死を考える
6/3~4の大阪WSでの体験を
キャンサーサバイバー専門セラピストである
川崎由子さんが書いてくださいました。

由子さんのプロフィールはコチラ
http://profile.ameba.jp/chokwsk


由子さんもわたしも
乳がんサバイバーです。

死のワークは
なんどやっても本当に深い。

今までも東京や女神山で行ってきました。
抵抗感のある方もいらっしゃると思いますが
またやります。

死をタブーとしているのは
誰にとってもよいことではないと思っています。

私たちに等しく訪れることであり、
自分の死も大切に扱いたいからです。


この由子さんの体験は
夢やイメージとも
ちゃんと連なっていて
とても深いものです。
そしてこの先を見ていく必要があることを
示唆されているようですね。
導き手がちゃんといるようです。


死に切れない悔しさで身悶えした その1
http://cocorohakken.blog.fc2.com/blog-entry-90.html

死に切れない悔しさで身悶えした その2
http://cocorohakken.blog.fc2.com/blog-entry-91.html




わたし自身も
告知された後に見た夢、
引いたカード、あらゆる感情の噴出など
思い起こしました。

起きたことを深く味わうこと。
それは決して楽なことではありませんが、
それをやったひとのみに与えられるものが「gift」です。

こういう体験が内奥への旅だなと改めて思います。

最初はこわいと感じるかもしれませんが、
やってみるとこわいどころか
だんだん面白くなってくる。

自分の抱えている謎を解く感覚もありますよ!
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「彼女は死をどう踊ったのか ~ 死を想う その3」

2014-06-25 | 生と死を考える
大阪WSプロデューサーの大正まろんさんの「メメント・モリ」その3。


その1はこちら
その2はこちら

5月に行った大阪WSでのこと。
「死のワーク」です。

谷川俊太郎の詩と
「葉っぱのフレディ」の中の言葉が、
皆の旅をナビゲートしてくれた。

**********

【死を想う 其の1・其の2の続きです】

【死を想う 其の3】
いつも大阪WSの前に、キョウコさんと打ち合わせをする。
事務連絡のみならず、話はあっちに飛んだりこっちに飛んだり長電話・・・。

それはまだ顕在化していない、
意識の下にある「何か」を探る意味合いもある。

私自身が気になっていることは、他の誰かにもそうで、
WSの場にいた人たちで考えを補完しあえたり、
たくさんの人にとってそのことを考えることが必要だったり
ということがキョウコさんのWSではよく起こる。

「最近、死をどう捉えるかみたいなことが気になっている」
という話をキョウコさんに投げかけ、
やはり5月のWSのテーマは「生と死」かなと、ぼんやりと大枠が決まった。

大阪の「表現と癒しの間で」のWSは、いつもABCと3つのプログラムがある。
Aは、触れるということをテーマにしており、
Bは、イメージを使って、ペアやグループで遊んだりする場合が多く、
Cは、一人で深くイメージの世界を踊る場合が多い。

いずれにせよ、キョウコさんが考えてきたメニューを押し付けるのではなく、
その場の雰囲気や参加者の様子をみて、
適したものを提案しファシリテイトしてくれる。

さて、
ここからは5月のCプログラムで私が体験したことを書いてみたい。

Cプログラムでキョウコさんから提案されたのは
「死を踊ってみませんか」ということだった。

「人間の死はちょっとリアルすぎるかもしれないので、
自然の中の何かになってみるのものいいかもしれません。
「死」は怖いからやだ、という方は誕生、生まれてみてもいい。」

ちょっと戸惑ったような様子の参加者の雰囲気を察し、
キョウコさんは、絵本の「葉っぱのフレディ」の一節と、
「死と詩をむすぶもの」徳永進&谷川俊太郎の往復書簡から
俊太郎さんの以下の詩を朗読してくれました。

**************

「さようなら」
私の肝臓さんよ さようなら
腎臓さん膵臓さんともお別れだ
私はこれから死ぬところだが
かたわらに誰もいないから
君らに挨拶する

長きにわたって私のために働いてくれたが
これでもう君らは自由だ
どこへなりとも立ち去るがいい
君らと別れて私もすっかり身軽になる
魂だけのすっぴんだ

心臓さんよ どきどきはらはら迷惑かけたな
脳髄さんよ よしないことを考えさせたな
目耳口にもちんちんさんにも苦労をかけた
みんなみんな悪く思うな
君らあっての私だったのだから

とは言うものの君ら抜きの未来は明るい

もう私には私に未練がないから
迷わずに私を忘れて
泥に溶けよう空に消えよう
言葉なきものの仲間になろう』

**************

「葉っぱのフレディ」は、春に生まれた葉っぱのフレディが
秋には枯れて落ち葉になるという命の営みを描いた作品。

「ぼく 死ぬのがこわいよ」とフレディが言いました。
「そのとおりだね」とダニエルが答えました。
「まだ経験したことがないことは こわいと思うものだ でも考えてごらん。
世界は変化しつづけているんだ。変化しないものなんて ひとつもないんだよ。
ぼくたちも変化しつづけているんだ
死ぬということも 変わることの一つなのだよ」
(本の帯から抜粋)


**************


詩や絵本からヒントをもらった人が多く居たようで、
「死のワーク」がゆるやかにスタート。

私は、葉っぱのフレディならぬ、葉っぱのまろんになっていました。

春に生まれたばかりの楓の小さな葉でした。
陽を浴び、月の光を受け、虫の声と一緒に揺れ、踊りました。
夏が来て激しい台風にも耐え、恋をして、葉も太く大きくなり
たくましくなりました。

自分は同じ場所に在りたかったのに、
ぐんぐんと木は枝を伸ばして、どんどんと高い方へと押されていきました。
変化というのは、自分の中だけで起こるのではなく、
周囲によっても引き起こされることもあるのだと気がつきました。

やがて秋がきて、私の体は赤く色づき、水分が次第に失われ、
息もそんなにせずともよくなり、おなかもそんなにすかなくなり、
心には波風が立たず、
こういう平穏な境地というのがあるのだなと思ったのです。
そして私は、すううっと枝を離れ、ふかふかの土の上に落ちました。

土の上に落ちた私は、葉っぱではなく、
人間のおばあちゃんになっていました。

病院のベットで、周囲には若い人たちがいて、辛そうに泣いていました。
「死なないで いかないで」と言われて、
私はもう十分に生きたし、今とても満足しているのだから、
それを一緒に喜んでほしいと思ったけれども、
それを言葉にはできませんでした。

それが誰かに伝わったのか、
「今まで よく生きたね よく頑張ったね」という声が聞こえました。
その声は「いつでも好きな時にこの世を離れていいからね」とも言ってくれました。

それを聞いてようやく私は安心して、目を閉じるように人生を終えました。

自分の体は土へと還っていき、
これからは色んな命をはぐくむ土台になるのだなと思いました。

それとは別に、口から白く輝く蝶になって 
私の一部は宇宙へ飛んでいきます。

ようやく命の源へ還っていけると嬉しくなりました。
白い蝶になって宇宙を飛びながら、いろんなことが見えました。

・命には長い短いもなく、その生きた時間そのものが必然であること、
(それを私はちゃんと認めなくてはいけないと思いました)

・自分は生きていることを当たり前のように思っているけれど、
 じつは植物でいう花が咲いている時期が特別なように
 死というベースがあって、
 生はそこに咲く花のような特殊な時間なのかもしれない。

・生も死も すべては今この時間に同時に存在していて、
 そして生きているこの私は色んな命を頂いてここに在るのだと。

「自分の肉体にゆっくりと戻ってきてください」というキョウコさんの声が聞こえ、
私は、脱いだ服を再び着るように、ゆっくりと自分の体に戻ってきました。

懐かしい自分の体。
生きているってすごいことだな、私の命と体に感謝の想いがあふれました。

目をあけるとキョウコさんが側にきていて、私をしっかりと抱きとめてくれました。

それは、映画の「ゼログラビティ」のラストシーンのような
私がもう一度生まれた瞬間でした。
安堵感でまたもや、ぼろぼろと泣いてしまいました。

と、こんな命の旅でした。

日常に戻ってみると、
ものの見え方に変化が生じています。

役目を終えたものたちに愛しさを憶えるようになりました。
虫の死骸を、まじまじと見られるようになったりね。

みんな必ず死ぬのにもかかわらず「死」の話題は遠ざけられていること。
「死=だめ!」と、過剰な忌みや否定があることなどにも
ちょっとずつ違和感を憶えるようになった。

臨床医師の徳永さんの言葉を借りると「死への過緊張」というのかな。
もちろんあってはいけない死があるのは確かだけれど、
ニュアンスは難しいんだけれど、死はあるもの、死は自然な事という風に思えたら、
生きていることがもっと生き生きとしたものへと
変わっていくのではないかと思うようになった。

これから私は死に対する過緊張を緩和して行けるようなことを
考えたり学んだりしていけたらいいなと、ちょっと思っている。
ものすごく漠然としているけれど、いまはそんな感じかな。

以上、
粗雑な長文を最後までお読みくださり感謝。

大竹野さん、マコちゃん、キョウコさん、保山さん、その他たくさんの皆様
いろんな気づきを与えてくださりありがとうございます。

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「彼女は死をどう踊ったか ~ 死を想う その2」

2014-06-25 | 生と死を考える
引き続きまろんさんの「メメント・モリ」。

とても大切なことをこの何年かで
ぎゅっと凝縮して体験しているんだなあと改めて思う。

深い深いところからの変容の時期。
【死を想う 其の1】の記事の続きです。

*****************************

【死を想う 其の2】

人はどん底の時にこそ、
その状態から救ってくれる大切な人に出会える。
これは大切な友達、保山さんの言葉。

こうして2009年から現在までを振り返ると、
キョウコさんとの出会いはまさにそれに該当する。

キョウコさんには喪失感の緩和のみならず、
その体験を通じて、自分が成長していけるように導いてもらった。

一時、「大切な人=キョウコさん」ということで、
キョウコさんが死ぬ事を、ものすごく恐れていた時期があった。

本当にちょっとした事でも心配になって電話をしたり、
亡くなったことを想定して、準備を勝手にしてみたり。

「あんたは、私を殺したいんか(笑)」と、
変なイントネーションの関西弁で突っ込まれる事しばしば。

そんなやり取りをくり返し、
基礎トレの講座で、語ったり踊ったりしていくうちに
私は自分の恐怖や緊張に気づき、少しづづ、
ギュッとしがみついていた手を離すように、
自分の強迫観念から距離をとれるようになっていった。

そして今年に入って、
また色々と大きな意識の大きな変化が起こっている。
一つは保山さんとの出会いだ。

保山さんはプロのカメラマンとして日本屈指の腕と認められ、
次はまさに世界規模で活躍を始めようという絶頂期に癌ということが判明する。

死の淵に何度も置かれながらも、手術が成功し、
抗がん剤治療の副作用に七転八倒しながらも耐えぬき、
現在、仕事復帰を目指し治療を進めている。

そんな保山さんが言う事は、
私にはずしりと重い響きをもって聞こえてくる。

「Facebookで、闘病の様子を書くと、
応援しています、頑張って!と、まるでサッカーの試合に出るみたいに
励ましてくれる人がいるけど、負けると僕の場合、死ぬんだよね」

「死を覚悟して、自分の棺に飾る薔薇を育てようと思った。
けどその薔薇が散る頃まで自分が生きているなんてね」

怒っている風でもなく、儚んでいるわけでもなく
あっけらかんとそんなことを言う。

私には返す言葉があまりにもなさすぎた。
なぜってそれは、自分が死ぬということのリアリティを持ったことがないから。
死とはなんなのか、ということをほとんど考えてこなかったから。

保山さんと出会って、
死ぬってどんなことだろう、
私は、どんな風に死ぬのかな、
死んだらどうなるのかな、
どうせ死ぬのなら、なぜ生きるのかな
この生をちゃんと全うするには、どう生きたらいいのかな、

そんな事をよく考えるようになった。

5月に開催したキョウコさんの大阪WSでは、
それに対するヒント、いや答えそのものかもしれないことが
踊ることによって自分の中に降りてきた。

その「自分の中への旅」の模様はこの続き、其の3で書きますね。
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彼女は死をどう踊ったのか ~ 死を想う その1

2014-06-25 | 生と死を考える
この何年かは特に、
わたしのWSでは「死と喪失」をテーマにすることが多い。

小さな頃からわたしは何故か「ここではない他の世界」があるということを信じていて
それについてとても興味を持っていた。
実家は小さな町医者で、
わたしの小さい頃は瀕死の床にある患者さんのうちに父が往診に行き
看取ってくることも多かった。
そういう環境に育ったということ。
そして父ががんで他界した翌年に
自分もがんの告知を受けたということも大きいと思う。

先月の大阪WSのこと。
いつもプロデュースをしてくださっている
大正まろんさんが、ご自身のBlogにこんな体験記を書かれました。

まろんさんの許可を取ってここに転載致します。
ぜひ、読んでみて下さい。

*************

【死を想う 其の1】

自分の内的な思考を整理するために書きました。長文です。

ここのところ表層的なことで忙しく、
深く自分の内面へ潜って、
文章を書くことをやっていなかった。
でもずっと書きたかったことがある。

この数ヶ月、いろんなことが重なり、
自分にとっては大きな変化が起こっている。
いまも起こり続けている。

それは何かと言うと「死」の捉え方、
というと雑な感じなのだが、まあ、そういう方面のこと。

2009年に立て続けに2人の友人が病死と事故で急逝し、
それから私は「自分が気を抜くと、大切な人が死神に連れ去られる」
という強迫観念につきまとわれていた。

いつ死ぬかわからないから、
無理をしてでもこの人と遊びに行こう、
いつ死ぬかわからないから、
この人の言ったことをちゃんと記録しておこう、
いつ死ぬかわからないから、
この人たちのたくさん写真を撮っておこう・・・

そんな風に、私の行動の裏には失う事への恐怖があった。

喪失を体験した2009年の年の瀬のこと、
辛くて辛くてしょうがなかった私は、
原キョウコさんの「生と死を踊る」というダンスセラピーのWSを受けに行った。
そこで死の捉え方にまず最初の変化が起こった。

WSで踊っていると、
事故死した友人が最後に見たかもしれない風景が見えたのだ。
(それは私の中の風景であって、心霊現象みたいなものではないよ)
助けられなかったことをずっと悔やみ、
彼がどんなに苦しかっただろう、辛かったろうとしか思っていなかった私だったけれど、
あれが最後に見た景色ならば、案外と楽しかったかもしれないと思えた。

それから3年後、1年かけてダンスセラピーを学ぶ、
原キョウコさんの「基礎トレーニング講座」に参加。

ここで私はダンスセラピーを学ぶつもりが、
どんどんと自分の中の問題と向き合うことになる。

それは当然と言えば当然で、人を癒すには自分を癒してから。
自分というものに向き合わずして、どうして人と向き合えるのか?
ということだ。
こうして私は基礎トレでキョウコさんと参加メンバーに手伝ってもらいながら
人生40数年分の心のお片付けをすることになった。

最初に書いた「大切な人を失うのではないか」という脅迫概念は、
もっと遡ると幼い頃に目の前で起こった事故に起因しているのではないか、
ということもわかってきた。

私の無意識下にずっと存在した緊張、恐怖。
それに気がついたとき、ようやく私は私を許せたような気がした。
怖かったんだね、と小さな私を抱きしめてよしよししてあげられた。

基礎トレ講座も終盤に近くなった頃、
私は「助けられる」というシチュエーションでグループでダンスドラマを踊った。
事故死した友人を自分が演じてみたのだった。

気を失い、波間に漂っている時、
ああ死ぬ事というのはそう悪いものではないんだな、
そんな風に思えた。

私の肉体が発見され、砂浜に引っ張り上げられたとき、
私は生きるのも、死ぬのも等価で、どっちもアリなのだと思った。

それまで、自分は死はいけないことで、
生きる事が正解だと決めつけていたんだなと気がついた。

同時にそれまで、
事故で死んだ友人のことをずっと許さずに居たことに気づかされた。

悲しくて、辛くて、悔しくて、寂しくて、
本当に残念だけれども、彼の死を認めなくては。
そんな風に思えた。

さて、それが2013年、去年までの経緯。

長くなるので、続きは別便で。
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生から死へ 死から生へ

2014-06-04 | 生と死を考える



もうすっかり夏のような陽気ですね。

指輪ホテルの公演を終えたのが5/11。
翌週は東京でのWS、
その次は大阪でのWS。

大阪ではリクエストもあり、
死に関してのワークを行いました。

私の実家は自宅開業している小さな町医者でした。
今とは違って、地域の患者さんは自宅で亡くなる方も多く
電話がかかってくると父は往診カバンを持って出て行き
帰ってきて玄関で「塩!」と言い
台所から塩の入れ物を持ってきてかける、ということも
何度もありました。
様々な方の死に様を父母が話しているのを聞いていたこともしばしばでした。

そんな環境でしたので
「死」はある意味身近なものでした。

そして何故か子供の頃は
こことは別の世界があるに違いない、というようなことを思っていました。

近年は身近で亡くなる方が多かったこと、
自分も病を通して自分の死というものをリアルに感じたこともあり、
ここ5~6年、死に関してのワークをやることが多くなりました。

死をいたずらに怖れているだけでは勿体ないと思うのです。
死は、元気なうちにさまざまな角度から考えておくべきことと思います。
具体的な遺産などの問題もそうですが
自分の気持ちをどう整理して行くのか。
死ということをどう捉え、どうイメージして行くのか。

私にとっては
死は現在の肉体からの離脱である、というイメージがあります。
これは以前、死のワークをやってみて感じたことです。
死んで自分の身体を抜け出した後の解放感が思いのほか強く、
何だかとても楽だったのでした。

その思いもあり、年齢的なこともあり
これは自分にとって今後もずっとテーマであり、
WSでも形を変えて何度も行っていくつもりです。


今年の初め、指輪ホテルの出演を引き受けたときも
内容に関してはほとんど知らなかったのですが
結果的には死と生につながる話でした。

先日の大阪WSで
何年もお母様の介護をして送り出したという女性がいました。
最後に死のワークを行った後、彼女はこんなシェアをしてくれました。
「自分が死んだ後、なぜか亡くなった母が出てきて
なんでみんな泣いてるんや。
わたしはこれからもっと楽しむんや。
ととても元気そうに笑って話していた」とのことでした。
(その女性とお母様はイメージの中で同化していたのだと思います)

これを聞いて、
ああ、死んでまた他の世界に生まれるんだなあ、と思いました。
なんて面白いのだろう。

死の捉え方はたくさんあるけれど、
自分の深いところにあるイメージにアクセスしたときに
思いもよらないことが出てくる。


そして先日参加したあるWSでは
赤ちゃんの動きを再体験しました。

その動きの中の感覚や感情を味わってみて
何だか、ああ、生と死がつながったなあ、と思ったのです。

生も死もウロボロスの蛇のようにつながり合っていることなんだな、と

これはまだうまく言語化できないけれど。


今年初めからやってきたことが、
こんなかたちで落着いたようです。
今のところ。
この半年、なかなか面白い旅でした。

こういう体験を昇華して
またWSという形でみなさまにお届けできると思います。

興味がある方は、ぜひ。

また、一番上に載せた本は
わたしのこのところのテキストです。
内科医の徳永進さんの書かれた本で、文体も内容もなかなか味わい深いです。
谷川俊太郎さんの詩も載っています。
こちらも、興味のある方は、ぜひ。
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前回の大阪WSで起こったこと。(その3)

2014-05-14 | 生と死を考える
昨年秋の大阪WSでのオットー高岡さんの体験記。
その3です。
ここで書かれているのはラストのワークのこと。

イメージの旅です。


…今でも思い出します。
あのときの空気感。
彼が立っている姿。
崇高ですらありました。
自然に涙があふれてくるような、
そんな「風景」でした。


イメージを使ったワークは
それに振り回されると危険な場合もあります。
が、意識のどこかが冷静であること(第3の目を持つ自分がいること)で
大地とつながっていられます。
これは、身体を伴ってのジャーニーであるからこそ、と言っていいでしょう。
オットーさんはその抑制もしっかりと持ちつつ
イメージの世界を持続しました。

放射能のこと。
オットーさんは「勝手に問題を解決」と書かれていますが
これこそが「祈り」であると私は思います。
実際に現場で見守っていたときも、そう感じました。
彼はあのとき、集合的無意識のような、
「個」を超えた存在になっていました。

瞑想や祈りをする方にも、ぜひ読んでいただきたいです。


***************

身体が温まったところで、最後のワークです。

呼吸を整えながら、説明を聞きました。
自分を脱ぎ捨てるワークです。
肉体を脱ぎ捨てて魂の状態になって、動きます。
いくつかのイメージの使い方が有るというお話から、少しずつ自分を脱ぎ捨てると言うことのイメージをそれぞれに固めてゆきます。
水をくぐるイメージやトンネルを通り抜けるイメージ、
服や仮面を脱ぎ捨てる動きによって身体を取り外していくイメージなどの提案があり、
水がいい人とトンネルがいい人がいたので、間をとって鍾乳洞の中の泉のイメージで行きましょうということになり、
静かな音楽と原さんのナビゲーションがはじまりました。
洞窟の中に立っているイメージから、徐々に足先を水に浸していく感覚を再現していきます。
ここからは、一人一人の世界。
イメージの旅の始まりです。

僕は、つま先に水を感じる感覚を呼び起こしました。
自分の記憶にある、水に入ったときにつま先が感じた感触をよみがえらせます。
少しずつ、深みに向かって歩きました。
この日は、自分のイメージがとても強く働くということがもうわかっていました。
水の圧力を思い出しその感覚を再現していきます。腰のあたりまで水が来たときに、とても危険なものを感じました。
このまま、頭まで水につかってしまうと、自分のイメージの強さで窒息してしまいそうな気になったのです。
身体の感覚に集中しながらも、どうしようかと考えている自分がいました。
僕は水を呼吸することにしました。かつて、SF映画でみたことがあったのです。
酸素を供給できる液体で、肺をいっぱいに満たせば、液体を呼吸することが出来るといいます。
僕はしゃがんで水に浸かりながら、水を呼吸するイメージを浮かべました。
すると、身体にも水がしみこんできて泥のような状態になって仰向きに横たわりました。
すると、前日のセッションで浮かんだ、湿地帯の泥のイメージに重なってきたのです。
身体の形が有りますが、ほぼ空っぽな状態になったので、このまま寝ていてもいいかという気分になりました。
天井を見ると洞窟の割れ目があり、空が見えていました。
そこから入ってくる光が水面ではねているのを見て、ああ、光になるんならなってもいいなと考えました。
自分の身体の形をした泥の固まりの中には光が詰まっています。
あとは、この泥の固まりを脱ぎ捨てれば、自分は光になります。
そこで、まず、左手から殻がぽろぽろとはがれ落ちて光が中から出てくるイメージを持ちました。
原さんのナビゲーションが、光になってもいいというような事を言っているのが聞こえてきて、オッケー、大丈夫と思いました。
ときどき目を閉じたり開けたりしているのでもちろん周りは見えていますが、イメージしているものを阻害することはありません。
ナビゲーションの声や音楽も聞こえているので、イメージにも影響を受けているとは思いましたが、
それも、ちょっとしたヒントになるだけで、イメージはとぎれません。

全身が光になって立ち上がったとき、
身体を脱ぎ捨てたら、どこにでも好きな場所に行けるし好きなものになれるというようなナビが聞こえてきました。
光になった僕が降り立ったのは荒れ地でした。
間違いなく津波で流され放射能で毒された地平線でした。
悔しいような気持ちが起こって、この光の身体を使って汚染された地面を浄化したいと思いました。
すると、僕は地面に根を生やして木になりました。
僕はゆっくり足の裏から毒を吸い上げ、浄化させて空気中にはき出しました。
一息ごとに自分の身体がしぼんでいくのがわかります。

そのとき、あれた地平線のいちばん遠いところに誰かがいました。
それは、昨日、緑の原の向こうに一本の木を見ていた自分でした。
昨日見ていたあの木は自分だったのかと思いながら、呼吸していくと地平線が昨日見た緑の原に変わっていきました、
同時に僕の身体はしぼんでいき、地面に寝転がりました。
光を出しながらこのまま光を使い果たしてなくなるかな、と思ったとき、
神様でも何でも自分の信じるものからエネルギーを貰ってだしなさい、という声が聞こえました。
背中から、どっと光が流れ込んできて、僕の身体を通って世界にはき出されていきます。
僕は光の通り道になりました。ああ、もうこのまま、寝ころんでいるだけでいいやと思ってしばらくじっとしていました。

ふと、僕のよこで誰かが立って動いています。自分も動きたいという気が起こって、ゆっくりと立ち上がりました。
身体が大きくなっていて、手も足も10メートルも向こうまで、もしかしたらもっと向こうまで届いている感じでした。
もうすでに大きさに縛られた身体はありませんから、いくらでも大きく空気をかき混ぜることが出来ます。
地球が見えるという声を聞いた気がします。僕は、可能な限り大きく動きました。
手も足も地球をなでるようなスケールをめざしていました。
青い小さな球体が僕の手の先で一瞬瞬きました。僕はそれを捕まえました。
手の中でそれはもう見えませんが、確かにそこにあり強烈なエネルギーをもってふくらみ始めていました。
僕はそれをふくらむに任せながら、手の届く限り空へゆっくりと持ち上げました。
それはまるく大きく拡散しながら空に上って、きっと世界を包み込んだのです。
そろそろ帰ってきましょうとナビが聞こえてきました。

最初と逆の手順をイメージして、自分の身体に帰ってください、というナビに従って、
僕は自分の抜け殻が横たわっている場所にもどり、最初寝ていた水に、光になったときと同じ形に横たわり、
崩れた身体が元の形に固まる様子をイメージしました。
ふうっとため息が出て、帰ってきました。
僕は普通の身体にもどりました。


ワークショップから、ほぼ10日を経てふりかえってみるといくつか気づくことが有ります。
最終日の最後のワークの印象がとても強いのですが、けしてそのワークだけが突出しているわけではなく、
3回のレッスンの中で感じたことがずっと続いていて一貫しているようです。
また、イメージのストーリーがとても壮大でそのうえ抽象的で、
その時は、意識が没入しているように思っていましたが、意外に自分でコントロールしているように思えます。
特に水に入る場面で、自分のイメージに振り回されないように、イメージを補正しています。
このブレーキがきいていなければ、ちょっとしたパニックを起こしていたかも知れません。

僕は今回、ワークショップの全体を通して、とても楽な気分を保ち続けていました。
頭は、ずっとぼおっとした感じで日頃の生活や日々に考えているいろんなことをしっかりと遮断しています。
この距離感がどこから始まったか、確かでは無いのですが、
始まってすぐにそういう状態になっていたと思います。
それでも、放射能の事など、ふだんよく考えていることが出てきて、
イメージの中で勝手に問題を解決しているあたりはどうも、自分の願望がもろに出ているのかもしれません。

どうにも、とりとめのないレポートになってしまった気がします。
各セッションの順番など正確におぼえていたか少し自信がありません。
最後に、原さんの的確なナビゲーションに感謝します。
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