少しほっとすると、
悲しみの気持がわいてくる。
特定の誰かや、何かに、ということではなく。
ここでわたしが言う悲しみとは、
感情的なものではない。
同情などではもちろんなく、
共感に近いか。
もっと純粋な何か。
水のようなもの。
純化されたもの。
そして、
悲しみは瞬時に祈りに転化されるのも感じている。
もうすぐ27回忌を迎える亡き祖母は、
祈りのひとだった。
長崎の原爆で被曝した叔父の看病を必死でおこない、
叔父はその後、昭和の高度成長期を支えるサラリーマンとして
バリバリ働き、よく食べ、よく飲み、明るく笑い、人の世話をよくし、
天寿を全うした。
叔父を後ろから支えたのはなんといっても祖母だったのだな、と思う。
子供の頃、祖母の家を訪れると
朝は、必ず神棚を拝んでいたのを思い出す。
そして、「みんなが元気でいるようにといつもお祈りしているのよ」と言っていた。
ここ何年かのわたしにとっても、
祈りは日常の中のひとつになっている。
全くご大層なモノではなく。
いつからか、
踊りも祈り。
悲しみも祈り。
になった。
なにか、深々と頭を垂れたい気持ちになるんだ。
何か大きなものに対して、畏敬の念を感じているんだ。
そしてそれは、
この美しい星に生きている限り
誰もが忘れてはいけないことだと思うんだ。
大切なことや大切な人に
大切だよ、とちゃんと伝えることなんだと思うんだ。
悲しみの気持がわいてくる。
特定の誰かや、何かに、ということではなく。
ここでわたしが言う悲しみとは、
感情的なものではない。
同情などではもちろんなく、
共感に近いか。
もっと純粋な何か。
水のようなもの。
純化されたもの。
そして、
悲しみは瞬時に祈りに転化されるのも感じている。
もうすぐ27回忌を迎える亡き祖母は、
祈りのひとだった。
長崎の原爆で被曝した叔父の看病を必死でおこない、
叔父はその後、昭和の高度成長期を支えるサラリーマンとして
バリバリ働き、よく食べ、よく飲み、明るく笑い、人の世話をよくし、
天寿を全うした。
叔父を後ろから支えたのはなんといっても祖母だったのだな、と思う。
子供の頃、祖母の家を訪れると
朝は、必ず神棚を拝んでいたのを思い出す。
そして、「みんなが元気でいるようにといつもお祈りしているのよ」と言っていた。
ここ何年かのわたしにとっても、
祈りは日常の中のひとつになっている。
全くご大層なモノではなく。
いつからか、
踊りも祈り。
悲しみも祈り。
になった。
なにか、深々と頭を垂れたい気持ちになるんだ。
何か大きなものに対して、畏敬の念を感じているんだ。
そしてそれは、
この美しい星に生きている限り
誰もが忘れてはいけないことだと思うんだ。
大切なことや大切な人に
大切だよ、とちゃんと伝えることなんだと思うんだ。